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01.誇り高きエチオピア
02.シミエン国立公園
03.入院!
04.悪の巣窟、ナイロビへ
05.おれたちゃマサイ!
06.赤道直下のケニア山
07.アフリカ大陸最高峰へ
08.アウトドアグッズマニア
09.偽札発見!悪徳ガイドにリベンジ
10.楽園
11.マリンディの悪夢・・・
12.悪の巣窟で停滞
13.密猟者が潜む山
14.ナイル川でラフティング
15.深夜の訪問者
16.黒人のホビット、ピグミーに会う
17.何を求めていたんだろう
18.大虐殺記念館
19.コンゴに行きたい!
20.内戦に遭遇

 
 
 
 

4. East Africa
mail_11 / 1st,APR,2003 @ Nairobi : KENYA
マリンディの悪夢・・・

 

ザンジバルの幸せの日々、その裏に潜んでいたもの・・・


ザンジバル島から、ダルエスサラームへと渡り、海岸沿いを一路ケニアへと向かう。あこがれのラム島へ行くためである。
「ラム島はまるで、19世紀のままだ。アフリカとは思えないアラブの香りが漂い、車の持ち込みは島全体で1台のみ、狭い路地にはロバがひしめく。かつてアフリカのカトマンズと称された、ヒッピーの目的地であった」という。
アラブの香り、という点ではザンジバルと同じなので、一瞬、行くこと自体ためらったが、なんせ西アフリカにいるときから目指していた場所だ、行かねばなるまい。

タンザニアの首都ダルエスサラームからバスで10時間。ケニア第二の都市、モンバサへ着く。ナイロビの次に大きくて、ナイロビの次に危ない場所。僕らはここを「第二の悪の巣窟」と名づけた。
この町からラムへの直通バスが出ていることは出ているが、夜遅くて両替することができなかったので、翌朝、マリンディヘ向かい、一泊してからラムへ行くことにする。これが運の尽きであった。

マリンディはイタリア人に人気の海岸リゾート、とはいっても町も海も汚くてどこがいいのかさっぱりわからない。ここでの僕らの目的は「アフリカのアンコールワット」と呼ばれるゲディ遺跡に行くことだった。
ゲディは13〜14世紀にわたって栄えたスワヒリ帝国。遺跡自体はそんなにきれいに残っていないが、バオバブの木や、熱帯の木々が遺跡を覆っているのがアンコールワットと呼ばれる由縁だろうか。
まあ、アンコールワット、その本物を見てしまった後では、アフリカの偽物は、残念ながら貧相に見えてしまったのであった。アンコールワットという喩えが良くないかもしれない。ゲディはゲディだ。

遺跡から帰ると宿の南京錠が壊れていた。自前のものを使っていたが開かないのである。10分くらい格闘し、結局宿の従業員が助けてくれて、開けてくれた。「これは壊れているから宿の鍵を使いなよ」という言葉を残して。
宿をチェックインしたときにおやじはこう言った「この宿はとっても安全だ、ドアに鍵が3つもあるからね。」僕らは「不覚にも」その言葉を信用し、宿の南京錠をかけて飯に出た。そして鍵をレセプションに預けた。
「この町の安宿のなかでは一番いいホテルだろう」とガイドブックには書かれていたことだし。

これまで、僕はこのアフリカで執拗なほどに警戒をしていた。アフリカ人なんてめったに信じなかったし、トイレに1分行くときも、ホテルの食堂でご飯を食べるにも貴重品は持ち歩いたし、眠るときでもそれは枕の下。鍵だって大抵は持ち歩いた。でも、ここまで人を信用しないのもどうなんだろうか?って常々思ってもいた。現地の人を疑ってばかりでは地域に根差した旅というのはできないんじゃないか。信じて騙されたらそれはそれでいいかもしれないではないだろうか、と。

結果はどうにせよ、今回ホテルの人間を信じてしまった。それは僕の心の緩みだと思う。
ご飯に行って1時間後、部屋の3つの鍵を開けて中に入ると、荷物は荒らされ、カメラが盗まれていた。それも2台、デジタルと一眼レフ。
その他にも、気が付くとCDウォークマン、ラジオや小物が無くなっている。
警察が来て取り調べをして、その後3日間、警察に通う日々が続くことになる。この日は宿の部屋があまりにも暑く、また悔しくて悔しくて眠ることができなかった。それにしてもやっぱりきたかあ、とも思った。何かあるとは思ったが、やはりそれは東アフリカで、そしてケニアでおきたのであった。

当初、犯人はホテルの従業員であると信じて疑わなかったが(一度は下っ端のおやじが警察にしょっ引かれた)警察と宿の言い分は、僕らの隣に泊まっていて、宿代を払ったのにも関わらず僕らが帰ってくる10分前にチェックアウトした2人のタンザニア人が犯人であるということで落ち着いた。
それでも犯人がレセプションから鍵を持っていったのは明らかで、宿のほうにも防犯上の責任は大いにある(これは警察が宿のおやじを呼び出して叱ってくれたほど)。それなのにおやじの態度といったら「おまえがレセプションに貴重品を預けなかったから悪いんだ、宿に責任は全くない」といって謝りの一言も一切ない。

裁判所に行ってホテルに金を返してもらえってみんなに言われるので、まあアフリカでそんなこともネタ的にいいか、と思い、裁判所にも行ってみた。裁判は時間がかかるということで、弁護士を三千円で雇い(プラス成功報酬)ホテルと対決。
結果だけ言えば、アフリカの商店を見てわかりきっていたことなのかもしれないが(アフリカで、おっ!いいじゃんと思うお店はほとんどの場合、経営主はアフリカ人でなく、アラブ人やインド人)ホテルのアラブ人オーナーの方がこちらの黒人弁護士よりも一手も二手も上手で、相手も弁護士を雇ったりして、なんだかバカらしくなったので、関わるのをやめた。
まあ、向こうも弁護氏代を払う事態になったということでよしとしよう。

そんなこんなで、またしばらくはアフリカ人を信用できなくなった。西アフリカで人を信用できなくなり、その壁をスーダン人が取り払ってくれ、東アフリカの警戒心をタンザニア人の笑顔が解いてくれて。そして三度、ケニアの不信感、これはいつか無くなるのか??

この腐った町、マリンディに4泊もした。ここでナイロビへ向かったら負けだと思った。行きたかったラムへ行こう。そう心に決め、これ以上悔いの無いようにラムへと向かった。マリンディ−ラム間は武装強盗がたまに出るらしく、旅人は飛行機を使うように、と注意されている。最近では4ヶ月前に出て、警察が撃ち殺されたって言っていた。
なので、バスには途中から機関銃を持った警官が2人乗ってくる。彼らも命懸けだ、すごいすごい。
Mkoweというラム島の対岸の町でバスを降り、島行きのフェリーを探すと、寄ってきた客引きがこう言った。
「Welcome to Paradise!!」
楽園か・・・
こんな気分では来たくなかったなあ。
その男の言う通り、「ラムはザンジバルにそっくり」であった。

アラブとアフリカがミックスした、スワヒリの人々が多く住み、90%はイスラム教徒。ザンジバルのストーンタウンのような迷路が続き、少し町を離れれば白浜のきれいな海岸。アラブの帆船、ダウに乗って、マングローブの生える海岸線を進み、海に潜ってロブスターを取った。
何もしないでここに1ヶ月いるという人にも会ったけど、何にせよ、こんな沈んだ気持ちで来たくはなかったパラダイス島であった。

毎晩、蚊に刺された。蚊帳に入れば暑すぎて寝ることができない。毎朝、天井を眺めながら、事件のことを思い出した。そして失った写真を想った。ケニア山からキリマンジャロへのハイライトのデジタル画像200枚、ザンジバル島のがんばって撮った写真たち。
眠れないし悔しいしちっともいい気分じゃないので、このパラダイスとお別れすることにした。

さらばインド洋。

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