突然病院に入院することになった。アフリカはエチオピア、首都アジスアベバでだ。
一週間前ラリベラでかかった風邪が完治せず、咳がひどく肺も痛く、熱もぶり返したので病院に行ったのだ。5分もかからない軽い診察の後、医者は言った。
「じゃあ2、3日入院しよう。」と。
病名は不明。
そこは空港のそばにある、日本大使館の紹介の外国人行きつけの病院。保険が効くので、部屋は1等、シャワーTV付きのプライベートルーム。
でもさあ〜・・・
シャワーのお湯は出ない、排水溝は詰まっている、すぐに停電する(手術は大丈夫なんだろうか)、朝6時におばちゃんが部屋を掃除しだす・・・
点滴が終わっても8時間以上も交換にこないので、血が逆流しているし、そして次の日交換すれば針をベッドに忘れていくし、頼んだミネラルウォーターは賞味期限過ぎているし(病院でこれは許されるのか)。あらを探せば探すだけ出てきてしまうのだった。もう2日間入院していなさい、と言われたのだが3日で出ることにした。今も調子は良くない。
だって一日に一回しかこない医師に病名は何なの?と聞いたらわからないと言うんだもん。
肺炎かもしれないし、マラリアかもしれないし、ほにゃららかもふにゃららかも知れないと、だからもう2日待ってと。でも血液も尿もレントゲンも取ってわからないってどういうこと!
しかもやってることといったら抗生物質の点滴を打っているだけで、あと2日いても熱が出ない限り再検査はしないという。
そんなわけで2日後にまた行くことにして、薬だけもらって出てきた。
チャンチャン!
さて、
ゴンダールからはタナ湖のあるバハールダールへ。タナ湖はあの青ナイルの源流である。ここから青ナイルは南に一旦下り、西はスーダンのハルツームで白ナイルと合流し、遥か北のエジプトで地中海にたどり着くのだ。このタナ湖には島がたくさんあり、その島には、これまた教会があった。それらは以前読んだナショナルジオグラフィックの記事ほど神秘的ではなかったけど、中の宗教画が本当に美しい所だった。
続いて訪れた、アフリカで2番目に大きいという青ナイル滝は「あれ〜、日本にもこれくらいあるぞ」というほどしょぼかったのは、乾季のせいということにしておこう。
最後にエチオピアのハイライト、ラリベラへ。ここはアフリカのペトラと呼ばれているそうだ。なるほど・・・である。岩を掘ってあるところが確かに似てるね。
12世紀に、敬謙なキリスト教徒、ラリベラ王が、第二のエルサレムを創るべく、ここロハに11の教会の建設を命じたのが始まり。ここの面白いところはほぼすべての教会が、岩を掘って作られているのだ。すなわち天井は地面の高さである。
宗教心ってすごい!の一言。コツコツコツコツみんなで掘ったのだなあ。
しかし、このラリベラ、好きになれなかった。本当にペトラと同じ。ツーリズムがこの小さな村に与えた影響はあまりにも大きい。小さなかわいい子どもまで、口を開けば「ハローマニー」「1ブル頂戴、10ブル頂戴」の連続。
ちょっと大きくなればそれが「ガイドしようか」にかわり、物乞いは色の白い人めがけてまっしぐら。実に1分たりとも静かな時間がなかった。だれが教えたのかチ○コ!マ○コ!と叫び声まで響いてくる・・・
観光、というものについてちょっと考えてしまった。
「15年前までは本当にのどかな村だったんだ」と誰かが嘆いていた。
ラリベラから首都アジスまでは2日間。エチオピアの交通、なかなか曲者である。道はほとんど未舗装でバスがすこぶる古く、時速30キロでればいい方。120kmの道を故障もしないのに7時間かかった時はさすがにびびった。
さらにさらにすごいことに、このエチオピアの交通、全てのバスは朝6時出発なのだ(なぜ!?)。だからバスに乗る日は5時起き、つらかったあ。
しかも、夜行バスはない、日が暮れたら走らない、そしてバス速度が遅い。ということは、ちょっとした距離があると2日がかりとなってしまうのだ。この場合、朝6時に出発して夕方5時くらいに中間の町に着き、解散。翌朝各自集合しまた出発。
さらに、だ。エチオピアのバスの不思議はまだある。どんなに暑くても決して窓を開けないことだ。一説によると、エチオピア人は風が風邪やその他悪いものを運んでくる元凶だと信じているようで、僕が窓を開けると必ず誰かに「閉めろ」と怒られた。
窓は締めっきり、暑い、道は未舗装でバスは縦に揺れる、さらに山道で横にも揺れる。乗客はバスになれていない。そしてやってくるのが、恒例の「ゲロリンタイム」誰かがゲロを吐く、窓は開けずに匂いが充満、そしてもらいゲロにつぐ貰いゲロ。
交通に関しては「西」を経験していただけにもう驚かないと思っていた。エチオピアやってくれます。アフリカ君はまだまだ驚かせてくれそうだ。
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