ゴンダールから北のシミエン国立公園へと向かう。目指すは標高アフリカ5番!ラスダシェン山!といきたいとこだったが、8日間かかるのでやめてしまった。
代わりにここで2番目に高いBwahit=4430mを目指すことにする。馬と馬使いが安いので荷物を載せるのに雇うことにした(それぞれ1日300円、でも馬と人間が同じ値段なんて、ちょっとひどいなあ)。そして銃をもったエスコートは必携。つまり、ガイドを雇うのは義務ではないのだが、この銃をもった人を雇うのは義務付けられているのだ
なんで山に銃が必要なの?と聞くと
「ここはアフリカの山だから!」と言われた。
なんか納得。
山登り、というよりは、小さい村々の中を行く面白いトレッキングだった。崖の向こうはプチグランドキャニオン。そこらじゅうに毛むくじゃらのヒヒがいる。大地は乾燥していたが、サボテンやいろいろな花、むいても剥いても中から新しい葉っぱが出てくる玉ねぎのような木。昼間から出ている、変な月。
地球なのに地球でないような景色をいく、ここはそんな場所だ。
われらがスコート(銃を持ったガイド)アブラハムはさすがアフリカ人、というような「目」を持っていた。時々遠くを見つめて大声で友人と話し出す、その方向にじーっと目を凝らすと、人がいるのが何とか分かる。ちなみに僕の視力は1.5〜2.0。彼はその遠くの人の顔まで識別してしまうのだ。
ある日アブラハムがいつものように遠くを見つめ、怒鳴って怒り出した。双眼鏡を取り出して彼が叫んだほうを見つめると、木を伐採している2人組がいたのだった。ここは国立公園だから園内の木を伐採してはいけないんだと彼は言う。
でもその切った木はどうしているのだろう、ツーリストが買っているのだと僕は思った。この山でキャンプをすると地元の人が薪を売りに来る。彼らはそうして現金収入を得ている。大抵のツーリストはその薪を買っていた。でも僕は買わなかった。この何ヶ月もの間、薪にするために生きている木をバシバシお構いなくなぎ倒す現場を腐るほど見てきたからだ。自分の寒さをしのぐためにこの美しい山が荒れてしまうのがいやだった。
いい景色を見たくて、観光客がお金を払ってやってくる。でもその観光客のために、「いい景色」を壊してまで木を切る人々がいる。そして何も考えないでその木を買ってしまう人々がいる。結局環境を壊しているのは観光客ということになる。
シミエン国立公園はユネスコの世界遺産に指定されているが、同時に危機にさらされている世界遺産に登録されているのだ。
大地溝帯、文字通り地球の割れ目が眼下に広がった。登っては下り登っては下る。3200mのサンカダールから3600mのギーチヘ、そして3926mのイメットゴーゴからは遥か彼方まで赤茶けた断崖の絶景が続く。5日目、最後の目的地、4430mのBwahitを目指す。キャンプ場から頂上までは標高差800m。体は山になれ、面白いように軽い。ガイドのアブラハムのスピードにも難なく付いて行けるようになったのがうれしかった。頂上付近で氷を見かけるも、気温は10℃弱くらいだろうか。僕はケニア山登頂を確信した。
頂上からの眺めは特に絶景ではない。遠くにエチオピアではこのあたりにしか生息していないというIbexを拝んだ。
帰りはいつものように駆け下りた。
この山で僕は念願の「鳥を殺せる男」になった。トレッキングの途中、村を通るので、鳥と卵が調達できる。(ヤギも1000円で購入可、でもヤギは食いきれないし殺せないよなあ)ある日、村に行って鶏を交渉して買って、ナイフで首を引き裂いた。この鶏、立派な雄鳥だった。しばらくテントに繋いでおくと愛着がわいてきてしまったが、心臓がドキドキさせながら思い切って殺した。肉があまりにも固くておいしくなかったのは残念だった、あいつもきっと無念だな。日本では地鶏、高いのになあ。
山から戻ると、キリスト教のお祭りをやっていた。エチオピアのキリスト教はオーソドックスと呼ばれこの国で独自に発展したものである。
この祭りはティムカットと呼ばれ、村中の教会からタボットと呼ばれるアーク(モーゼの十戒を刻んだ石版で、エチオピアの伝説では正真正銘本物のアークが北部の聖地アクスムに収められているという)のレプリカが運び出され、それを偉い司祭が頭に載せて運び、色煌びやかな衣装を着た牧師たちが周りを囲み、村中の人々が、太鼓と聖なる音楽にあわせ踊りまくるという、楽しいものだった。この祭りは3日間続いた。
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