キゴマで美しいタンガニーカ湖を眺め、昔々、行方不明になったリビングストンを探していたアメリカの記者スタンレーが、ついに彼を捜し出し、マンゴの木の下で巡り合ったという、アフリカ探検史上における記念すべき村を訪ねた。
日本ではゴールデンウィークも終わった。日本を出てもう10ヶ月あまりが経とうとしている。いったい自分は何を得たのか、不安になることもしばしば、心の葛藤もある・・・
「南に行こう」
と思った。自転車をこいでいる時から、前進が好きなのである。見たことのない、想像の世界に行くのが好きだ。
そうと決めたら先を急ぐことにした。
この西の果て、キゴマからタンザニアの首都、インド洋に面するダルエスサラームまで電車が走っている。終点までは2泊3日の旅となる。
丸一日かけて途中のドドマまで乗ることにした。小さな村に停車する度に物売りが来る。それらが村ごとに特徴があって面白い。売るものが蜂蜜だったり、かごだったり、バナナだったり、クラフトとは呼べないようなお粗末な工作だったり。
電車は、まるで象やライオンが出てきそうな草原を走っていった。
それはまさしく「タンザニア的」風景であった。
アフリカはよく「野生の王国」と称されることがある。かなりありがちな表現だが、ことタンザニアに限ってはその称号は適切であると思う。
ドドマからはバスに乗り換えて南へと向かった。バスはミクミ国立公園の中を走っていた。
ふと、草原の向こうにキリンが3頭歩いているのが見えた。ムムムムムと目を凝らすとシマウマの大群が見え、ヌーの群れがいて、ライオンがのっそり歩いていた。
何もない場所でバスが止まるので何かと思ったらアフリカ象が3頭、道路を横断していた。無料サファリである。
その後はバオバブの木々が覆い茂る、タンザニアの「バオバブ街道」を走った。ものすごい勢いで南に向かっていたので、山に生える木々の植生も変化し、新鮮だった。イリンガという町の近くの小高い丘には巨岩がゴロゴロ転がっていて、まるでその昔巨人が山に無造作に石をほおったみたいであった。
日本の小川山を思い出し、紅葉や四季が恋しくなった。
大好きな大好きなタンザニア
最後に「サファリビール」を飲み、マラウィへと入国。
マラウィは、国の観光局自らが「Warm heart of Africa」とキャッチフレーズをつける。直訳すると「アフリカの暖かい心」となるのだが、自分の国の国民性についてここまで言い切ってしまう国もすごいが、まあ、あながち嘘でもないのでいいだろう。
この国、予想に反してかなり田舎である。
田舎というのは、まずインターネットが普及しておらず、銀行でお金を替えるのに苦労し、電気のない村がある、というこりゃまた旅行するには不便な所なのだが、そんな場所だからこそ、人々が暖かいのである。
マラウィといえばマラウィ湖!とでもいうように、観光資源に乏しい。
しかし我々の目的もまたそのマラウィ湖でリラックスすることだったので、湖畔に面す「ンカタベイ」と「ケープマクレア」という地を訪れた。
ケープマクレアは、西アフリカにいた時からある種、夢見ていた場所なのだ。なぜなら英語のガイドブックにこのように紹介されているからだ。
「アフリカを旅する者の大多数が通過地点として訪れるケープマクレアー。ここで君はアフリカのどこかしらで出会った旅人と再開することになるであろう。この、世界でもっとも美しい淡水湖に面する村は以下のような場所である。
美しい湖を目の前にビーチに座って、リラックスして、ビールを持って、次に考えることといったら、ビザの日数がもうすぐ切れてしまうということ」
うまい言い回しだよね。これを読んで、観光客で賑わうリゾート地を想像していたら、いい意味で期待を裏切ってくれた。
そこにはリゾートホテルもなければ、コンビニもない、さらには電気すら通っていない、美しい湖と素朴な村だけのすばらしい場所だった。ある意味、やることもあまりないので、開き直ってのんびりするしかない。昼からビールを飲んで、村の子どもと遊んで、湖面を真っ赤に染める大きな夕日を眺め、ホゲーっとした。
ダイビングを1本、2日ほどカヤックを漕いだ。
水は「おそろしく」透き通っていて、カリブ海やインド洋の様である。湖は海のように広く、そこにポコポコと小島が浮かぶ光景は、なんだか「アジア的」であった。いいところだ、唯一の難点は湖には住血吸虫とう危険な寄生虫がいること。
感染してないといいけど。
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