8月8日
最終目的地、アフリカ大陸最西南端、喜望峰に到着。
英名;Cape of Good Hoop
英語で書いたほうがかっこいいと感じるのは、横文字に慣れてしまった現代人だからだろうか。
その昔から、ヨーロッパ列国の無数の船がこの岬を回ってインドへ、アジアへと向かった。つらい船旅だっただろう。何人の船乗りがこの岬を見つめた事だろうか、幸運や希望、Good Hopeをここに託して・・
アフリカの旅があと数日で終焉を迎える。
思えば長い道のりだった。
モロッコのモスクに始まりサハラ砂漠を縦断し、西アフリカと出合った
悲しいほど貧しいサヘルの国々と、砂漠に生きるトアレグの民
生き生きとした熱帯雨林の広がる奴隷海岸と呼ばれたガーナやカメルーン
チャドの賄賂地獄、それと正反対に親切なスーダン人
かつてのアフリカの英雄エチオピア
すばらしい自然と山々、無数の動物種を有する東アフリカ
もっとも愛した国タンザニアに暖かい心をもったマラウィ
そしてアフリカでもっとも発展し、かつ根深い人種問題を抱える南部アフリカ。
日本で「アフリカ」と一言で片付けられてしまうこの大陸は様々な表情を見せてくれた。
日本にいるとき、創造の中のアフリカを僕はこよなく愛した。
一部分はそれと同じであり、大部分はまったく違うものだった。
アフリカはどこまでも巨大だった。白人が最終的にこの大陸を支配できなかったのもひとえにその大きさからではなかっただろうか。
一年間という期間は、この大陸を語るにはあまりにも短い時間だ。
密林の入り口に何があるのか、僕は知っている。
しかし密林の奥深くに何があるのか、結局、僕は知り得なかった。
アフリカはどこまでも僕を浪費させた。
時間はもっとあるけれども、一年という期間が限界だったのも事実だ。
もう疲れてしまった、バスを5時間待つのも、度重なる故障も、おしくら饅頭のような荷台に乗るのも、値段を交渉するのも、毎日誰かに何かをくれと言われる日々も、そして20日も38℃を上回る高熱にうなされるのも。
アフリカの何かが僕を消費させた。
しかし、
元気をくれたのもそのアフリカだった。
アフリカは最初から最後まで、どこまでもどこまでも陽気だった。
何もかも風のごとく吹き飛ばしてしまう、
そんなアフリカが僕は大好きだ
アフリカの未来が明るく開けていることを切に願う。
アフリカに祝福あれ。
GOOD HOPE ! AFRICA!
END
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