ザンビアからボツワナへと入る、チョベ国立公園を通り、ナミビアへ。ナミビアのカプリビ地方(ここは外務省から渡航自粛勧告が出ているがいたって安全)を300kmかすめ、再びボツワナ。ボツワナは象が多く、このバスからも何頭か象の群れを見た。
海に出ることのない川、オカバンゴデルタ。ここは、ナショナルジオグラフィック社の『最後の楽園』という写真集で見事表紙を飾っている場所だ。
ボツワナはダイヤモンドのおかげで物価がバカ高く、このオカバンゴデルタへのフライインサファリも500ドルと手が出ない。何せこの国「アフリカのボツワナより国債の格付けがしたなんて」と日本の首相が嘆いた国なのだ。
デルタの北西、セロンガという村から、モコロと呼ばれる伝統的な細長い船でデルタに入る。この村からは格安のサファリが出ているのだ。丈の長い葦のような草木が一面に生い茂っており、その草を掻き分けるようにモコロは進む。ポーラーと呼ばれる熟練した船頭(?)さんがいて、ムカシと呼ばれる3mもある長い棒を水中につきさして進む。
ハスやパピルスを眺めながら進んだ、時折「グガガガガガ」というカバの声が聞こえた。水はどこでも飲めるというので、手酌ですくって飲む。甘くておいしかったが、後にこの行為を後悔することになる。
デルタの中には無数の島があり、僕らもそこでキャンプをすることとなった。島でウォーキングサファリ、というと響きがいいのだが、車でのサファリと違って、2時間も歩いて、見たのはゾウとヒヒ、インパラだけ。でも、バキバキバキーと木をなぎ倒すゾウを真近で眺めるのは迫力大。
夜はブッシュの中で焚き火。空には満天の星、暗闇の向こうからは聞いたことのないような野生動物の声。そのたびにポーラーが、あれはハイエナだとかカバだとか教えてくれた。水を汲みに行こうとしたら、ワニがいるからだめだと言われ、彼が代わりに行ってくれた。
こんなキャンプ場、日本には存在しない。
あまり多くの動物を見ることはできなかったが、カラハリの宝石は、空がどこまでも広く、風がどこまでも心地よく、そして永遠と永遠、水の広がる人間が勝つことができない、動物の休息地であった。なぜここが「最後の楽園」の写真集に載っていたのか、分かった気がした。
オカバンゴを後にした僕らは、カラハリ砂漠へと向かった。ボツワナは公共の移動手段が極端に少ないので大変だ。ヒッチハイクをするしかないのだ、といってもこのヒッチハイク、アフリカならではの有料なのだ。2,3時間待つことはざらで、ピックアップトラックの後ろで、冬の寒風に身をさらしてはガクガク・・・相棒は風邪をひいてしまった。ガンジ、という町で、NGOがやっている、ブッシュマンの生活というのを見に行った。
カラハリ砂漠に住んでいた、ブッシュマンの野生の知恵や、かつての生活様式などが見れ、しまいにはダンスまでしてくれる。これはもう、観光用で、このような生活を営む人々は今では皆無だと聞いた。50歳のブッシュマンを沙漠の何もないところに、ポンと置き去りにしても生きていくことができるらしいが、若者はもう、その知識を持っていないという。まさにあと何十年かで滅びゆく文化である。
なかなか面白いものを見せてくれた、土を掘り起こしては、この根っこはこの病気に、この実は笑いが止まらなくなる実、ここからは毒が取れ、それを鏃に塗って刈りに使うんだとか、手で火をつけてもくれた。すばらしい生活の知恵だと思う、なくなってしまうのは本当にもったいない。ただ、疑問なのは、なぜブッシュマンはこのような、ある意味、原始的な生活を何千年も、つい最近の現代まで続けてきたのだろうかということだ。
彼らはアフリカ最古の民族といわれる。驚くことに彼らは黒人ではない、日に焼けた黄色人種のような顔をしているのだ。
その顔が、アジアの人に会ったようで、僕の心に安らぎを与えてくれた。
ボツワナに9日間。僕らはついに、南アフリカにやってきた。
ここはヨハネスブルグの60kmほど北のプレトリア。世界一の犯罪都市、レイプ天国ヨハネスは避けて、この比較的安全といわれるプレトリアに来たのであった。なんせ、この南アフリカ、統計上は1分間に1回以上レイプが起こっているのだ(一説によると20秒ごと)。プレトリアも決して安全な場所ではない。土曜日に中心地に行こうとしたら、「週末は町に黒人だけになり、とても危ないから行くのをやめなさい」と言われた。このセリフ、かつてアメリカのデトロイトで言われたこととまったく同じであった。
アフリカも終わりが近づいてきた。
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