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5. South Africa |
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天空の王国と自らが名乗るレソトという小国で馬に乗ってトレッキングをした。僕としては、こんな標高2000mくらいの国で、天空なんていわれると「どこがじゃ!」と異議を唱えたくなってしまうのだが、まあ、いい国だった。 南アフリカのプレトリアから、レンタカーを借りてクルーガー国立公園へ。ここはある意味、今まで行ったどの国立公園よりも感動が少なかった。世界でも有名な、この広大な国立公園はもちろんサファリをするための場所なのだが、舗装路が公園内をくまなく走り、各施設は巨大で立派、そして規制が細かく(窓は開けてはいけないとか、道から出てはいけないとか、速度は何キロで、とか)まったくもって大自然の中に来ているという気がしないのだ。そして南アフリカに外国人料金はない、と思っていた僕は、ここで平手打ちをくらった。現地人は30R、外国人は120R(2000円)だという。おいおい、ちょっとまってよ、ガイドブックには30Rって書いてあるよ、というと。 クルーガーからはブライデリバーキャニオンという渓谷にいき、こりゃまた小国、スワジランドを経て、ここレソトにいたるのだ。 しかし、自称「モンゴルの馬乗り」の僕もびっくりするほどの急斜面を駆け下りるのだった。レソトの川は、どれも大地を何十メートルも削ってできている。ちょっと遠くへ行こうものなら、そのたくさんある川を越えなければいけない。もちろん橋はない。そのえぐれた斜面を川に向かって降りていくしかないのだ。これが瓦礫の中の急勾配の道で、結構馬が滑るんだ。「自分の馬を信じるんだ、信じるしかないんだ!」と思っても、これがなかなかこわい・・・ 山の景色よりは、素朴な村々を通るのが、このトレッキングの醍醐味だった。レソトの人々はバショトと呼ばれ、みな一様に毛布を体にまとっている。これは観光用にやっているのでもなんでもなく、今でも誰もが普通に着ている民族衣装なのだ。まあ、今時分、その毛布は中国製だったりもすると思うが、この衣装が山の景色とマッチして実に美しいのだ。今は冬で毛布を纏っているが、夏はどんな格好をしているのか不明。子供も毛布をかぶり、こりゃまたなぜか、みんな長靴を履いていた。 朝日に照らされた家々からは煙が立ち昇る。これぞまさしく朝!って感じだ。子供は羊を放しに行き、女は主食であるとうもろこしの実をせっせと芯から切り離す。鶏は真っ暗なうちからケッコケッココとうるさく、馬は草を食べるのに必死だ。 この素朴な村の中を3日間かけて進んだ。最後には馬も言うことを聞いてくれるようになり、全速力で走ってくれるようになった。 レソトからブルームフォンテインに戻り、夜行バスでケープタウンへと向かう。一度ケープタウンに向かってから、北のナミビアに向かう予定だ。なぜこのようなルートをとったかというと、自分の親がナミビアに来るからであった。日本人、時間がないのでもちろんナミビアからケープタウンまでは飛行機で飛ぶ予定だ。でも僕は飛行機で飛びたくなかった、あくまで陸路でこの大陸を縦断したかったのだ。だから2回ケープタウンに来ることとなろうと、陸路でここまで来ることにこだわったのだ。 そして僕らは、ある意味最後の町となる、ケープタウンに到着した。ここで西アフリカのカメルーンでお別れした大西洋と再開。ケニアのインド洋から、この大西洋までの横断も、また長かったなあ。 この国、南アフリカはあまりにもアメリカに似た国だと思う。この国にいればいるほど、その考えはより確かなものとなってくるのだ。バスのなかで、後ろに座っていたアメリカ人が「まあ、アメリカにそっくりな景色だわ」と叫んだ。その通りだ、と思った。景色もさることながら、ハイウェイの造り方までもが似ている。 まあ、こんな批判的な目でこの町を見てしまうのは、僕が病気だからかも知れなかった。数日でナミビアに出る予定が、もう一週間。なぞの高熱に始まり、親知らずを引っこ抜き、それでも高熱が続いている。せっかくすてきな町にいるのになあ。写真でも撮りに出かけたいよぅ。 |
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