|
||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||
Argentina>>Chile |
||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||
南アフリカからアルゼンチンに入国し、ブエノスアイレスに10日間、アルゼンチン側のパタゴニア、チャルテン村に1週間、そしてチリ側にも1週間。世界最南端の町には8日。こんな、ある意味ゆとりのある日程で言うのもなんなのだが、旅もなかなか忙しいのである。最近は忙しすぎて日記も満足に書けないし、寝不足で瞼が重い。 旅が忙しいなんて言うと、日本でちゃんと働いている人には怒られそうだけどね。 まず、2度目のブエノスアイレスからウルグアイへ日帰り。 これがコロニアの町、とってもコロニアルな(ダジャレ?)建物が並ぶのだ。もとはと言えばポルトガルの植民地として貿易で栄え、のちにスペインに奪回された。並木道に石畳の道路が続き、車よりもスクーターの数が多そうで、時折ロバも見かけた。観光客さえ来なければ、のどかないい町である。ただ、白い砂浜が続く川沿いのビーチは、ラプラタ川の水がまっ茶色でいただけなかったね。 続いて北に18時間、世界三大瀑布の一つ、イグアスへと向かう。 ジンバブエのビクトリア・フォールズとの勝敗を言ってしまうと、トータル面でここイグアスの勝ち。値段も半額だ、こんちくしょー(さらに言えば、こちらは外国人料金が地元民の2倍。ビク滝は70倍)。 ともかくはるばる来てよかったと思った。ただ一つ、難点を挙げれば、国立公園内の設備が良すぎて、テーマパークにいるみたいだし、滝もきれいで庭園的で「大自然の驚異」という感じではなかったね。 ついでと言ってはかわいそうだけど、パラグアイに入国してみた。イグアス周辺には3つの国の国境がある。ブラジル、アルゼンチンとこのパラグアイ。この国、イグアスの滝からたった10数キロ離れてしまっているために、滝の恩恵に与れないかわいそうな国なのだ。 ガイドブックによると、このパラグアイはかつてブラジル・アルゼンチン・ウルグアイの3国同盟と戦争をして(もちろん)負けて、領土をごっそり奪われたっていうから、元はといえばイグアスもパラグアイにあったのかもしれない。あーあ。 この国に入国したのはたった一つの理由からだった。それは日本食が安く食べられるということを友人に聞いたからだ。パラグアイの南部、エンカルナシオンに日系二世の日本人女性とドイツ人の旦那さんの営む宿があり、その隣でその奥さんのお父さんが食堂をひらいていた。ここでレストランと書かないのは、ここはいわゆる海外の日本食レストランと違い、日本人なんかめったにこないであろう大衆食堂だからだ。客も現地の人が多く、ヤキメシや焼きそばがこの国の人々に受け入れられているのが印象的だった。 ブラジルやペルーに日本人の入植者が多くいるのは周知の事実だが、このパラグアイにも200世帯ほどの入植者がいるのはあまり知られていない。この入植は第二次世界大戦のあとに始まったもので入植者の年齢も比較的若いという。この日本食・食堂の親父さんはここに来て、45年くらいが経つと聞いた。この周辺にも主に大豆などの農業を営む日本人のコミュニティーがあるらしく、町にはスーパーマーケット清美という日本人経営の食材店まである。 親父さんの歳は60代中盤くらいだろうか。ここに45年いるとなると、日本に住んでいた時間より、ここに暮らしている時間のほうが2倍くらい多いということになる。それでも、今でも親父さんは日本のNHKを見て、日本の本を読んでいた。 そう聞いて、僕はどうしても経済の格差というものを考えてしまう。なぜ、これらの人は自国より経済的に低いこの国に移住して、住み続けるのだろうか、と。今では発展途上国と呼ばれてしまう、これらの国に移住してきたメリットはなんなのだろうかと。もちろん、移住した当時は自国との経済格差は今ほどなく、夢のようなサクセスストーリーでも聞いたのかもしれないけど。 果たして幸せとか豊かさとは何を基準に言ったらいいのだろう。その価値観についてこの旅行ほど考えされたことはない。誰からも貧しいと思われているアフリカの何にもない村に住んでいる人々は、お金を沢山もっている日本の仕事漬けのサラリーマンよりずっと幸せそうで素敵な笑顔をしていた。 確かに、ここパラグアイはいい。アルゼンチンやチリの発展には程遠いけど、二日間という短い日程で見るにはかなり惜しい国だったな、と思えるいい国だった。ここにくる途中、バスの中から5時間、ずーっと北海道のような景色が続いていた。それは大豆畑だったり麦畑だったり、パッチワークの混合選手だったり。まあ、北海道というたとえが悪いね、それよりもずっとずっと広大だった。 だらだらと長くなったが、パラグアイ最大の見所(?)で世界遺産に指定されているイエズス会の伝道村、トリニダード遺跡にも行ったその足でアルゼンチンへと6度目の入国を済ませる。パスポートにはアルゼンチンのスタンプだらけ。もう残りが6ページしかないので、ほんと困る(増補も不可)。 国境の町ポサダスからコルドバ経由でメンドーサへと夜行2発。メンドーサではワイナリー見学なんかもしちゃったけど、ここに来た目的は一つ、南米最高峰アコンカグアを「見る」ことである。アコンカグアのトレッキングシーズンは11月中旬から1月、今は閉山中。残念、登りたかった。 プエント・デル・インカと呼ばれる温泉からとことこと歩いて一時間、アコンカグア国立公園へと一歩足を踏み入れる。ここの標高は約3000m、目の前に見える山は6960mもあるのに、遠すぎるのかそこまでの高さを感じなかった。そしてパタゴニアのフィッツロイ山に感じた、山そのものに対する神秘性みたいなものもここではあまり感じることができない。 そして今日、僕らはアンデスを越えた。昨日アコンカグアの麓からメンドーサの町まで4時間かけて戻り、今日もまた同じ道を4時間上がってくるという効率の悪いことをやっているのだが、昨日は終始眠っていたので、今日は絶景の展望を楽しむこと然り。このルートで夜行を利用してしまうのはかなりの愚か者だと思う、と言い切れるほどすばらしい景色がずっと広がっていた。 山と山の間を縫うように進むこの道は、数年前に自転車で旅行した、パキスタンと中国に跨るカラコラムハイウェイの光景を彷彿させた。木も生えない瓦礫だらけの乾燥した山が、いっそう僕に美しいカラコラムの山々とそこに住む素朴な人々思い起こさせる。 そのアンデスを越え、首都サンチアゴに到着。そして明日にはサンチアゴを出発しビーニャデルマルという海岸沿いの町にシーフードを堪能しに行くのだ。ああ忙しい。 さあ、太平洋だ。 |
||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||