トップページ

 

 


 

16.ジジイとババアはハワイで寝転べ
17.最後のハイライト
18.白い山脈、Cordillera Blanca
19.靴どろぼう
20.エクアドル・イン
21.世界最高峰Cotopaxi


 

 

Peru >> Ecuador
16. ジジイとババアはハワイで寝転べ

 

久しぶりに辛口でいこう。

11月6日、予想以上に長居した、愛するボリビアを後にし、ペルーに入国。南米で一番大きいというチチカカ湖を訪れた。この島、とあることでツーリストに人気。それは世界でも極めて稀に、人口の浮島がありそこに人々が住んでいるということ。
これらの島々を訪れるツアーが、湖岸の町プーノから各種出ている。その一つ、浮島のウロス島と、タキーレ島を訪れるツアーに参加した。

まあ、浮島のウロスは今はかなり観光ナイズドされているというのは知っていたけど、それが予想以上にすごかった。この島は昔からあり、周辺で取れる葦を切り取り、それを幾重にも幾重にも重ねていき(3.4m)、その浮いた物体に人々は住んできた。農業は行わず、食料はその葦と魚に依存して。その特殊な生活形態がこれらの島の売り。
「Uros is very very touristic, but interesting」とはとある外国人旅行者の話で、確かに興味深くはある。そしてその観光地っぷりがあまりにもすごい。
全ての人は観光収入で生きているといっても過言ではないと思う。毎日何台ものボートが横付けして白人ツーリストがぞろぞろとやってくるのだ。おばちゃんはみんなお土産売りで、男は民族衣装を着て力仕事だ。
あまりの観光地ずれに、もうこれらの島には人々は生活してないんではないか、と疑ってしまった。本土から30分と近いので、本当は本土に住んでいて朝に出張して来るんではないか、と。
まあ、観光地なんてそんなもんか、それは置いておこう。

  

本題は続いて訪れたタキーレ島にある。この島は本土から船で3時間、美しい水の色を放つチチカカ湖に囲まれた島である。この島は先住民のカラフルな服装を売りとしていたが、これも観光客のために着ているだけ。いうならばお飾りである、職業的制服なのだ。
さて、ここでこの話の主役となる子供が登場する。
この島の子供がひどかった。一言付け加えておくけど、子供がひどいのではなくて、彼らをそうしてしまった環境がひどいというわけだ。どこの国に行ったって子供は子供だ、大差なんてない。何時だって彼らは愛らしくかわいらしい。

僕は自分の食料を入れたスーパーのポリ袋を手からぶら下げていた。一目その袋を目にすると、どの子供も我先にと駆け寄って来た。そして、袋を指差し「ここに入ってる物くれるんでしょ、頂戴。」と言うのだった。
「違うよ」と僕は繰り返し何度も言うことになった。村の小さな道を歩いている30分、会う子供会う子供に聞かれた。いったいこの島はどうしてしまったのだろう。

村の広場に到着し、適当に腰をかけると僕は持参したサンドウィッチを食べ始めた。するとまた、近くにいた子供が3人くらい寄ってきて、僕の目の前に立った。彼らはずっと無言で、物欲しそうな顔をしてただずっと僕を見つめていた。
違う女の子が来て、僕の脇に置いてあったミカンを指差して言った。これ、私にくれない、と。
いったいどういうことだろう。ここがアフリカの何もなく飢えている村やフィリピンのスラム街なら僕はすんなりとこの状況を納得できる。しかし彼ら、彼女らはちっとも貧しそうにも、飢えても、乞食にも見えようがない、しっかりとした制服をめかしこんだきれいな子供達なのだ。僕の主観だが、この島は作物が育たない貧しい島でもなければ、産業がなく貨幣収入の無い島でもない。畑もたくさんあり、家畜もいて、なにより、観光産業でかなりの収入があるだろう。もしかしたらこの島の住人は本土の人よりずっとお金持ちなんではないかとすら思った場所なのだ。
何がこの子供たちをこのように、白人に媚びる、すれた子供にしてしまったのだろう。

半時間後にその原因が「やってきた」。
子供たちが広場の隅に向かって駆け出した。そこには歳をとった白人の団体客がいた。
そして彼らは一様に、子供にペンやらノートやらを配り出したのだった。クリスマスでもないのにサンタがやってきたのだ。
その太った高齢の白人の手にはペンが50本以上握られていた。
「はーい、ペンだよ、これでしっかり勉強しなよ。おーい、まだ貰ってない子はいないか」
彼らはさぞかし、自分たちがしている行動が子供のためになっていると思っただろう。子供はペンを貰って嬉しそうだ、ペンはお菓子と違って勉強に使える、いくらあっても無駄にはならないだろうとでも思っているのだろう。
次に彼らはペンをあげた子供と対になって記念写真を取り出した。「貧しいペルーの子供にペンとノートをあげたのさ。これで勉強ができるって、喜んでたよ。」とでも本国に帰って自慢するのだろうか。

この偽善の皮を被った、団体客が一日何回この島を訪れるのだろう。
そういう何も考えない、偽ボランティア的行為が、地域にどんな悪影響を及ぼしていくか、僕はアフリカで腐るほど見てきた。
大げさではなく、その行為が地域の共同体や、昔からの生活形態、はたまた文化まで踏みにじってしまうことだってあるのだ。
物は、働いたり、何かの代償によって得られるものであって、無料で見も知らぬ人からもらえるものではない。
そもそも発展途上国にくる観光客は人を上から見下して、誤解と偏見で物を考えていることが多い。
発展途上=自分たちより遅れている=貧しくてかわいそうだ=満足に食も食べれていないかもしれない=何かしてあげたい=何かあげたい
とでも思っているかもしれない。しかし、これに反論すれば、ここペルーやボリビアの人はけっして「遅れていて、自分たちより優れていない」というわけではない。文明化の点では確かに遅れているかもしれないが、ここには高度な歴史と文化があって、何をもって遅れていると判断できるのかもわからない。富についてもそうだ。かれらが貧乏だと考えるのは、時に基準点を誤っている場合だってある。

そう偏った考えの人間が、自国からいわゆるギフトをもってきて、無差別に訪問先で配る。そしてそれが良い行為だと勘違いしたまま、その国を去っていく。
これは白人観光者に限ったことではない。日本人の団体だって同じだ。
ケニアで会った、ある日本のサラリーマンは言った。それは彼がお金を払って観光マサイ村を訪れてきた後だった。
「いやー、マサイも聞いていたよりいい人が多いですね。何かクレって言われるって聞いていたんですが、誰からもそんなこと言われなかったですよ。日本からペンを100本持ってきたんですよ。それを全員に配ったらみんな喜んでいてね。」
物をクレって言われる前にあげるんだけら何もせびられるわけがない。彼みたいな人間のせいで、他の観光客が今度は物をせびられるのだ。
このような人達のせいで、観光客と見れば誰でも者をくれるのが「普通」だと一部の田舎の人は思い、民族の尊厳も自らのプライドも捨て、観光乞食となってしまう場合だってある。仕事もろくにしないで、観光客の来そうな場所に行っては物を媚びる人たち。

これを読んでも、どこかの国に行くとき不特定多数の人にギフトを持っていこうと考えている人、よーく考えてみてくれ。自分がヨーロッパやアメリカを旅するときにも同じように考えるかと。ギリシャの素朴な田舎の村に行くときも、果たして不特定の子供にペンを持っていくのかと。
だって、途上国では人々は貧しくて、物が不足しているじゃないか、とあなたは言うかもしれない。
僕は聞きたい、あなたのその基準はどこからきたものなのかと。例えそうだとしても、具体的に、この国のこの地域は、どのように貧しくて、何が原因で、どのような背景があって問題を抱えていて、だからこれが必要なのだと説明できるのかと。

とにかく、途上国と呼ばれる国で、サンタクロースになりたい欺瞞のジジイとババア。お前らはそんなとこに行く必要はない。ハワイや地中海の白浜の上で何もしないで寝転んでいてくれ。
そのほうがよっぽど世界のために役立つから。

 

▲top


All text and images © 2007 tabibum . All rights reserved