村と町の議論はさておき、こちらは文句なしの世界最南端のスキー場へ行った。
特に期待はしていなかった。なぜなら今年は暖冬で、南緯54度のこの地も暖かい春の訪れを感じるし、アルゼンチンで一番大きいというスキー場も雪がまったく良くなかったからだ。
しかし、このウシュワイアのCerro Castroスキー場はすばらしい場所だった。リフトはたったの3本しかないのだが、どこまでも横に広い。標高は低いのに、緯度のせいで森林限界線がすぐにやってきて、岩が剥き出しで木が生えてない斜面が無制限のコース数を生み出しているというわけ。しかも、リフト最上部からハイクアップして、ちょっとしたバックカントリー気分も味わえる。雪が前日に降ったというので、この時期にしては異例のパウダースノーを楽しんだ。
話は560度くらい飛ぶのだが、
今日、宿に置いてあった沢木耕太郎の本を読んだ。1991年に『旅のドン・ファン』という題名で書かれたショートエッセイにこんなくだりがあった。
《私はこの二十年の間に、六、七十の異国を旅してきた。そうした旅の中で、果たして「こここそが私の求めていたところだ」と声をあげたくなるような土地に遭遇したことがあっただろうか。
中略
だが、それでもなお、ここがわたしの宿命の土地だったという地名は浮かんでこない。
中略
しかし、私が頻繁に旅をするということには間違いない。一年の何分の一かは確実に家を空けている。東京を出て、さまざまな土地に赴く。その旅の中には、義務としての旅ばかりでなく、夢見た旅もある。そして、そのときの「夢」とはたぶん宿命的な土地に遭遇したいという思いに支えられたものではないかと思える。
ドン・ファンが無意識のうちに「たったひとりの女」を求めているように、旅を続けている私にも「たったひとつの土地」をひそかに求めているようなところがあるのかもしれない。だが、もし、その土地が見つかってしまったら、私はもう義務としての旅以外はしなくなるのだろうか。それでもなお、もっと、もっと、と旅を続けるのだろうか。》
その後、沢木耕太郎は「たったひとつの土地」を見つけれれたのだろうか。おそらく見つけられていないのだろう、でもそれは見つけないほうが幸福なのかもしれない。
僕はこのLatin Timesの冒頭に彼と同じ物を探していると書いた。
あの沢木耕太郎ですらたったひとつの土地を見つけられないのだから(もしくは目の肥えた沢木耕太郎ゆえに見つからないのかもしれないが)、僕の桃源郷探しも、永遠の時間がかかるかもしれないな。
先は常に長くて見えない。
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