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アジアへ (トルコ)
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 エルズルムから東も道はアップダウンの繰り返しだ。村とも呼べないような小さな部落を通りすぎる。そこには人が住んでいるのかもわからない土やレンガで固めた家らしきものがいくつかあるだけだ。
 アンカラ以降、比較的大きな町は200キロ毎ほどにあるだけで、しかもその町を出てしまえば、周りはとことん田舎だった。食料の調達もままならないので、街道沿いにある食堂で卵や、チーズ、パンを分けて売ってもらうことが多くなった。
 ホテルがあればホテルに泊まり、ガソリンスタンドを見つければそこにテントを張らせてもらっていたが、ぼくの行程に合わせてそんなに都合良く町があるはずがなかった。やむを得ず野宿をしなければならないときは、たいていは人里離れた山の中である。

 今日も遅くなるまで宿が見つからなかった。しかし暗くなった山中を走っていると、偶然にも、そして幸運にも軍隊の駐屯所を発見した。臆病なぼくはここの側なら安全だろうと、近くにテントを張らせてもらうことに決め、一応尋ねに行った。
「ここにテントを張ってもいいかい」
「だめだ。」
 建物の外を見張っている、一番下っ端っぽい兵隊は情け容赦なく首を横に振った。
「だってもう真っ暗だし…」
「だめだ」
「それに町は遠いし」
「だめだ」
 軍隊戒律厳守男には何を言っても無駄なようであった。よしそれならテントを張ってしまえ。駐屯所の明かりがわずかに見える程度まで離れた場所にぼくはテントを張った。ここなら何もないところより安全だろう。ションベンをしに散歩がてらテントから離れると、なにやら家が数件建ち並ぶ、村落らしきものに出くわした。しかし人の気配は何処にも感じられなかった。もしや廃村ではなかろうか。
 そのとき急にアンカラの大使館員の言葉を思い出した。
「軍隊の人間には十分に気をつけなさい。彼らには絶対に逆らってはいけない。何をされるかわからないからね」
 もしやここは軍隊に滅ぼされたクルド人の村なのでは。その妄想は頭から離れなくなり、そう思い込んでしまうと、先ほどの無愛想な兵隊が悪人に思えてきた。怖々と足早にテントに帰るとすぐに寝袋に入り込んだ。

 朝が来て明るくなり、やはり人一人っ子いない不気味な村落を確認し、テントを早々と撤収する。不気味な場所を後にし、今日こそ宿に泊まるぞと誓った。
 しかし今日も「5キロ先にガソリンスタンドがあるよ」というトラックドライバーの言ったことを信じたがために、無理に進みすぎて挙げ句の果てには昨日より更に奥深い山中で野宿をする羽目になってしまった。
「山の中にはクルド人ゲリラの基地があるんだよ」
今日も日本大使館職員の言葉を思い出す。テントを立てたら見つからないようすぐに明かりを消した。あたりはひっそりとしていて、音といえば谷を流れる川の音と時折通るトラックの騒音だけだった。不気味なほどあたりは真っ暗だった。テントを張った場所は谷になっていて、周りを見渡してみても暗闇の中に岩陰がかすかに浮かび上がっているだけである。ここで、襲われても誰も助けに来てはくれないだろうな。
 クルド人ゲリラって一体どんな格好をしているんだろう。民族衣装でも着て、後ろに銃を構えているのかなあ。そう考えると、本当にそのような格好をした者が山を越えてこっちに向かって来る気がした。
「もし誰かに襲われて、山に埋められても一生発見されないよ」
 再びアンカラで言われたことを思い出す。そういえば、今日は素通りした基地から望遠鏡で監視されていたっけな。もし彼らが後をつけてきて、金品目当てに襲われたらどうしよう。
 悪いほうに悪いほうにと想像が膨らんでいった。その日は見たこともないクルド人ゲリラ、度々会うトルコ軍人におびえながら眠った。眠りが浅いので、少しの音で目を覚ましては、聞き耳を立て、なんでもないことがわかると再び眠りについた。
 この頃からぼくは、果たして生きて日本に帰れるのだろうかと真剣に考えるようになった。

 いいことはなかなか続かないのに、悪いことは続くものである。翌日、いつものように東へと向かっていると、突然犬の鳴き声が聞こえた。あたりを見渡すと、少し離れた高台の上に犬が3匹立っている。
「やばいな」そう思った瞬間、犬は勢いよく、大声で吠えながら、崖を駆け下りこっちへ突進してきた。
「狂犬病に発病したら、死亡率は99%」日本で聞いた言葉が脳裏をよぎる。こんな田舎に医者なんかあるもんかと必死に逃げた。3匹のうち2匹は振りきったが、1匹はしぶとく追いかけてくる。その犬の目は充血していて、走りながらよだれをぼたぼたと垂らしていた。焦りながらもペットボトルに入った水をかけると、やっと離れていった。
 次の部落を通りすぎると、また犬の鳴き声がする。見ると、2匹の犬が村の中からこちらを見つけて、恐ろしいスピードでこっちに向かってくるじゃないか。それはそれは大きな犬だった。ぼくはまたしてもおびえながら全力で逃げた。できることはひたすら逃げることだけだった。片手でペットボトルをつかむ間などなく、一匹のさらに大きい方の犬が、自転車の後ろのバッグに噛み付いた。
「グルルルルー!」
 その犬はぼくの自転車に引きずられながらも、首を振りながらバッグに噛みついたまま離れようとしなかった。もう生きた心地がしない!そこへ運良く、村の子供が現われ、石を投げて追い払ってくれた。
 しかし安心も束の間、次の村では、今度は犬でなく子供が追いかけてきた。目がとても良いのか、遠くからぼくを見つけると、叫びながら10人くらいの子供が駆け寄ってきて、「なんかくれ、なんかくれ」と一斉に手を差し出してきた。物乞いでもない彼らに何もあげる気はしないのでひたすら首を振って断ると、なんと犬を連れてきてその犬に襲わせるぞと言う。ある子は、隙を見てはバッグのファスナーを空けようとする。
「なんちゅー悪ガキだ、どっかいけい」
 そうは言っても、上り坂なので逃げることができない。ずっとつきまとわれ、やっとのことで坂を登りきり、自転車にまたがり行こうとすると、子供たちは叫びながら石をこちらに投げながら逃げていった。

 それからもいくつも小さい村を通りすぎたが、村には必ずといっていいほど番犬がいて、その犬または、石を投げつけてくる子供に追いかけられる。ぼくはもう前に進みたくなくなってしまった。行く手に村を発見すると、また犬か子供に追いかけられるのかなとビクつきながら、恐る恐る通りすぎるのであった。
 犬に追いかけられるのは、自転車というものを東部では一切見かけなかったので、その奇妙なものに対する警戒心からとわかったけど、なぜ子供に石を投げつけられるのかは疑問のままだった。彼らは実にすばしっこく、こちらが石を投げ返そうとすると、瞬く間に逃げてしまう。捕まえようと走っても、彼らの距離の取り方は絶妙に上手く、ぼくも自分の荷物が心配であんまり深追いできない。しかし何とか仕返しをしてやりたかった。
 そしてリベンジをするチャンスは意外にも早く到来したのである。

 国境の町の100キロ手前、アグリという町に着いた夜のことであった。いつものように安宿を見つけ荷物を置き、ぼくは町を歩き出した。程なく歩くと暗闇の中、ぼくの後をずっと付いてくる子供の軍団があった。
「ジャパニージャパニー、アッハッハッハ」
「チーニー、チーニー、ハハハハハ」
 その5人組の小学校高学年くらいの子供達は、どうやらぼくを笑いの種にしているようだった。ぼくが振り返ると、彼らは笑いながら後ろに後ずさり距離をあけた。これじゃあ村で追いかけてくる石投げ小僧と同じじゃないか。
「ジャパニー、ホニャララ、ハッハッハー」
 ぼくが適当に歩き、町はずれの公園に来ても、彼らは懲りずに付いてきた。後ろを向いては距離をあけ、また歩き出すと笑いながら付いてくる、その繰り返しだった。
「よし、あのボス格を一丁懲らしめてやろう」ぼくはそう決めると、後ろを振り返ることなく歩き始めた。予想通り、子供は油断してぼくとの距離を徐々に徐々に縮めていった。
 そのとき、突然ぼくは振り返りボス格の子供へとまっしぐらに駆けていった。慌てふためいた子供達は叫びながら方々へ散っていった。ぼくの狙いはボスだけだった。所詮は子供の足、その差は見る見るうちに縮まる。
「ポリース!ポリース!」
 子供は必死だった。彼は叫びながら角を曲がると、石に躓いて豪快に転んだ。
「ハハハ、馬鹿にするから罰が当たったんだ」
 そう笑った瞬間、子供が転んだ場所の横の立派な建物の中から、二人の警察官が走って出てきた。そこは子供の叫び通り、本物のアグリの警察本部だったのだ。ぼくは両手を上げさせられ、武器を持ってないか体を触られ調べられる。さらに悪いことに、三人の警官が建物から出てきた。子供はぼくの方を指さし、泣きじゃくりながらトルコ語で警察官に訴えていた。ぼくも無実を主張しようとしたが英語が全く通じない。その国の言葉を話せる者と話せない者。その差は歴然であり、状況はまったくもってぼくが不利である。子供を襲った正体不明の外国人、理解されぬまま、独房にでも入れられてしまうのだろうか。

 ここで今までの旅の成果、スーパージェスチャーの能力を発揮するときが来た。
「聞いてくれ」
 ぼくはそう言うと、ポケットからホテルのルームキーを取り出し警察官に見せた。
「自分はただのツーリストである」
「ぼくは歩いていた」そして歩く仕草をする。
「すると、ビル、イキ、ウチュ、ドルトゥ、ベシュ」トルコ語で5まで数え、子供の方を指し、もう4体  の子供を指で描いた。
「彼らは付いてきた」ぼくの後ろに5人を描く。
「そしてジャパニー、チーニー、ハッハッハと馬鹿にした」ぼくを指さし、腹を抱えて笑う子供の仕草をした。
 そこまですると、警官は今度は逆に子供に対して、トルコ語で厳しく質問をし始めた。急にぼくを手で追い払うので、やっかいごとにならないうちに素早くホテルに戻ることにした。子供の方をちらりと見ると、警官はいきなりその子を殴り、警察署の中に連れていってしまった。
 ちょっとかわいそうなことをしたな。でも多少叱られる程度だろう。それにこれで奴も懲りるだろうさ。それにしても大事に至らなくて良かった。場合によっては刑務所に入れられたっておかしくないくらいだ。
 これにてヒヤヒヤもんの復讐劇は終了したのであった。

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