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アジアへ (トルコ)
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秋を通りすぎて、冬が来ているようだった。「まだ我慢しよう、まだだ」と思っていた長ズボンの使用をついに解禁。寒さには上半身より下半身の方がずいぶんと強いものらしいけどそれにしても寒い寒い。その2日後には耐えきれずにとっておきのフリース靴下の使用も解禁してしまうこととなった。東に進めば進むほど寒さが増してきているようだった。
 いつも昼飯は適当な空き地を見つけ、そこでサンドウィッチを作って、それから本でも読みながらのんびりするのだけれど、最近はのんびりしていると体が冷えてくるので常に休憩なしでこぎ続けねばならなかった。あまりにも寒いのは標高が高いからなのかもしれない。アンカラは標高800メートル、カイセリは1000メートル、シワスは1200メートルと高度はジリジリとそして確実に上がっていった。

 カッパドキアから続く坂を登りきり、カイセリの町へと近づくと、なんとすぐ近くの山の頂上に雪が積もっているではないか。本当に近い山だった。こりゃ寒いわけだよ。
 カイセリからは北東に進路を取り200キロでシワスへ。トルコの中心よりやや東よりのこのシワスまで来れば、もう半分以上は来たことになる。シワスからは、アンカラより東へと続いているE―88、200号線に合流する。この道は途中100号線と名前を変えるが、これをひたすら東へと進めば、イランへたどり着くのだ。そしてこの道は「アジア・ハイウェイ」と称される道でもあるのだ。

 「アジア・ハイウェイ」この名前をどこかで見たことがないだろうか。目を凝らして高校の地図帳を眺めてみよう。赤字で書かれたアジア・ハイウェイという文字が見つかるはずだ。それは文字どおりアジアの国々を繋ぐ道路である。実際に各国で手に入れている地図には「アジア・ハイウェイ」のアの字もなく、おそらく地理学上の呼び名であろうけど、この道はここトルコからイラン、パキスタン、インド、バングラデシュ、ミャンマー、そしてタイへと続く道なのだ。もっともミャンマーなど陸路での国境を閉じてしまっている国がある以上、この道を通ってタイまで行くのは事実上不可能であるが、この道がインドまで続いているかと思うと胸にぐっとこみ上げる熱いものを感じる。少しずつではあるけれど確実にシンガポールへと近づいてきているのだ。 

 ぼくの旅はトルコ以西は地中海沿岸の旅、そしてトルコ以東タイまではアジア・ハイウェイの旅となる。

 シワスを出発する朝、これからの旅へと気合いを入れて短パンで宿を出ると、辺りは霧というか、冷気が立ちこめあっという間に髪の毛と足の毛が凍り付いた。一時間の登りの末、やっとのこと霧の中を脱出すると眼下には雲が広がった。ああ、雲の中を走っていたのだな。
 この道がいったい何処に続いているのかわからない。ビートルズの曲を歌った「ロング・アンド・ワインディングロード♪」。何処までも長く、何処までも曲がりくねった道だった。
 「アジア・ハイウェイ」とは名ばかりの細く小さい道が、山々をうねるように続いている。平らな土地なんて久しく見ていない。登っては下りの繰り返しである。坂を上りきれば素晴らしき下りが待っているはずだったが、下り道は風が冷たすぎ凍え死にそうになるので楽しむことができず、そしてその坂を下りきると、また長い長い登りが待っていた。
 時には40キロも登り坂が続くこともあった。それでも以前なら「おまえら何でこんなに道路つくるの下手なんだ、どうか平らにしてくれ!バカヤロー」と、見えない敵に切れていたけど、最近はこの否平道路になれてきていて、別に標高の高い峠にも驚かなくなってきた。
地道にこげばいつかは着くのだと思えるようになってきていた。

 地道なんて日本にいるときのぼくからは想像もできない言葉である。何にでも飽きっぽく、学校では「もう少し地道に努力できれば」と言われ、親にも「あんたは地道ってことがどうしてもできないのね」と言われ続けたこのぼくが。どうだ、母さんよ今のぼくを見てみろ、「地道、努力」その言葉のまんまだぞ。
 ぼくは無敵のケツをも手にいれた。どんなに長くサドルにまたがっても、もう決してお尻は痛くならなかったし、ましてや血が出ることなんて論外であった。

 開けた牧草地帯で羊飼いが羊のあとをのんびりと歩いていれば、切り立った草など生えぬような恐ろしい崖から崖へ羊を引き連れて歩いている者もいた。どちらも子供の羊飼いだった。前方にも後方にも果てしなく山々が続く。トラックやバスが轟音をたて頻繁に真横を通り過ぎていったが、それ以外の時は、辺りは静けさに包まれ、暗く冷えた空気が漂う森の中にでもいるようだった。実際にぼくは森の中にいるも同然なのだ、ここは奥深い山の中を一本の道路が走っているだけなのだから。そして相変わらず太陽を見せない分厚い雲が、ここにさらに寂しい空気をプラスする。
 毎日懲りずに雨が降る。ほんとあのアダパサルの親父の言ったことはなんだったのだろう。雨の降る黒海岸線よりも、雨の降らない山岳道路を選んだはずなのに、これじゃあ雨の降る山岳道路と悪いとこ取りじゃないか。
 まあ、その雨も慣れてくると悪いことばかりではないと思えるようになってきてはいたけど。雨が降り一時的に雨宿りをさせてもらった軒下では、必ずと言っていいほどチャイをご馳走してくれたし、時には自家製のピラフなどの料理を食べさせてくれることもあった。そして雨が上がった空は、太陽が出ようか出まいか躊躇しているのか、その色までが曖昧で、濡れた道路の上を新鮮な風を切って空を眺めながら走るのは格段に気持ちがよいことだった。

 首都アンカラ、大都市イスタンブールを西部に抱えるトルコでは、東へ行けば行くほど人口密度は低下する。町よりも村と呼ぶような村落が増加するがもう一つ増加するものがある。それは軍隊の密度である。
 イスタンブールで得た情報通り、ここトルコ東部は対クルド人ゲリラとの重要拠点のようであった。装甲車とすれ違うのなんて日常茶飯事だし、小さな基地をいくつも通り過ぎた。道を走っていると突然右手にバリケードが出現し、麻袋が積み上げられた穴の中には銃を持った兵隊が構えていて、じっとこちらを見つめていた。バリケードの中には、数台の戦車や装甲車があり、銃を持った兵士が周囲を見回しながら歩いていた。
 峠にも必ずといっていいほど、小さな基地があり、その小高い丘からは、監視兵らしき男が双眼鏡でぼくのことを見ていた。彼らは時々手を振ってくることもあったので、そんな時は内心びびりながらも、愛想よく愛想よくと自分に言い聞かせ微笑みながら手を振る。
「あんたらまだ戦争中かーい?」ぼくは心の中で叫んだ。それほど頻繁にぼくはトルコ軍に遭遇した。バスに乗ると言っていたフランス人とオランダ人サイクリストの選択が正しいものだったのだろうか。
 ただ、今のぼくにできることといえば、自分の勇気ある選択が正しいように祈ることだけであった。

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