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ラストラン (マレー半島)
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 ここはいったいどこなんだ。
 空港から街へと向かう途中、路地に迷い込んだ。その住宅街は日本と寸分変わらなかった。
街中を走る。人の肌の色が少し黒いのを除けば、後はすべて日本と瓜二つだった。
 きれいに舗装された3斜線の道路、そこを走るトヨタの車、道路沿いに建つ24時間営業のセブンイレブン、そしてカード専用公衆電話。ここは日本だよと、誰かに言われたら、きっとぼくは信じてしまっただろう。
 人は自分と全く違った文化圏に行くとカルチャーショックを受ける。しかしこの場合は逆カルチャーショックとでも言うべきだろうか。

 ダッカの安宿を朝早く出発し、通りに並ぶ数多くのリキシャの間を切り抜けながら20キロ先の空港へと向かう。空港で荷物をパッキングすると、いつものように大勢の人が周りに群がった。弾みのいいきれいな椅子に2時間も腰掛けると、そこはもう別世界だった。

 タイの空港へと降りて、最初に驚いたのはエスカレーターだった。エスカレータを見たのなんて何ヶ月ぶりだっただろう。その、おかしな乗り物に乗りながら、空港を見渡す。こんなにきれいで近代的なところも久しぶりだった。驚きの連続だった。
 入国審査を済ませ、外で自転車を組み立てる。今までと違い誰も近寄ってこなかった。
30キロ離れたバンコクへと向かって走る。交通量もあり、多くのスクーターも走っていたが、誰もぼくに話し掛けることもなく、ぼくを凝視することもなく、トラックからのクラクションもなかった。
ここはもう先進国なのだ。
 排気ガスの街、渋滞の街、喧騒の街、そうガイドブックには書いてあった。
 排気ガス?日本製の比較的新しい車が多いので、どんなに車が多くてもイランのように空気が曇ることはなく、それはいたってきれいであった。
 渋滞?道路は詰まることはあっても、インドのようにサイクルリキシャ、オートリキシャ、それに時には牛を混ぜたような渋滞ではなく、いたって普通の四輪車だけの渋滞だった。
 喧騒?耳に付く音といえば車のエンジン音ぐらいだった。物乞いも、物売りも、旅人を珍しがり近寄ってくる人もいなかった。誰もが他人には無関心に見えた。しかしそれはあたりまえのことだったのだ。なぜならここはただの都会なのだから。

 ここバンコクにないものはなかった。マクドナルド、KFC、タワーレコード、吉野家、ミスタードーナツ、ピザハット、伊勢丹、紀伊国屋、松屋、SOGO、セブンイレブン、と数え挙げればきりがない。ぼくは一つ一つ発見するたびに歓喜の声を上げた。
 安宿街で有名なカオサン通りに居を構えると、ぼくは7日7晩この町を歩き回った。
 朝セブンイレブンでヨーグルトを買って朝食とする。デパートへ行き紀伊国屋で日本の本を立ち読みする。それからマクドナルドでハンバーガーを食べ休憩し、タワーレコードでCDを試聴した。夜はカオサン通りの屋台で中華料理のようなタイチャーハンにビール。
 ここはもう日本だった。ぼくが8ヶ月間、日本に帰ったらやりたい、食べたいと思い続けていたものがこのバンコクには存在するのだ。ここにいる限り、もう日本へは帰る必要がないように感じられた。
 ぼくの旅はもう終わってしまったのかもしれなかった。

 3月2日、南へと走り出す。シンガポールまではたったの2000キロ。2000キロといえば日本では札幌から博多までの距離である。けれども、あと2000キロなんて、ぼくにとってどうってことない距離であった。
 南へと続く道は片側4車線、路面はきれいで立派なガソリンスタンドや、コンビニが脇に並ぶ。それにしても熱かった。ぼくは1時間おきにコンビニに寄ると、よく冷えたジュースを一気に飲み干した。ほんとにここはいったいどこなんだ。これじゃあスペインで走っていたときと全く同じじゃないか。

 何とも快適な国だった。唯一の欠点と言えば、その暑さだった。バンコクにいるときは心地よく感じられた暑さも、自転車をこぐときは一番の敵となった。あまりの暑さに、一番暑い正午付近になると、ぼくは適当に食堂に入り、2、3時間本を読みながら休憩した。そしてその暑さは夜になっても収まることがなかった。ぼくはテントの中で汗をかきながら、いつまでたっても寝付けなかった。熱帯の国の夜は真の熱帯夜であった。
 あまりにも先が見えすぎていたので、ぼくはチュンポーンからタオ島へと渡り、今までの旅の疲れをいやすことにした。島で10日間ものんびりと過ごすと、ぼくの体は無性に自転車をこぎたいとぼくに訴えてきた。
 行きと同じボートでチュンポンに戻ると、150キロ、141キロ、144キロ、135キロ、そして214キロと、ぼくは自転車をこいでこいでこぎまくった。

 海辺の砂浜にテントを張った。夜風に当たりながら空を見上げると、そこには満点の星空と椰子の木の陰が見えた。翌朝南シナ海に上がる太陽を眺め、4日後にはマラッカ海峡に沈む夕日を見つめていた。
 マレーシアに入ると物価は多少上昇したものの、ますます先進国度は上がっていった。密林の中を走ると、目の前を狐と猿が横切っていった。道路には文明の犠牲者である、ありとあらゆる生物が車にひかれ死んでいた。巨大な蛇に、大トカゲ、イグアナ、そしてアルマジロでさえも。そしてその密林の中を流れる川は、近くに工場でもあるのか真っ黒に汚れていた。
 マレーシアには華僑が多いので、どんな町にも中華料理屋があり、ぼくの毎日の朝飯は肉まんとなった。暑くて眠れない夜が続き、ぼくは夕方になると氷を買い込み、テントの中で裸になり地肌の上に氷をばらまいて眠った。 

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