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アジアへ (トルコ)
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翌朝、朝飯までご馳走になり見送られながら出発する。
 今日の風も昨日と同じく追い風だ。急な上り坂も風のおかげで楽に感じる。「風さんありがとう」それにしても、さすがに高所に来ただけあって短パンでは寒い。
 途中からは雨も降り始め、ますます寒さは増す。「No wind.No rain」っておじさん全然違うじゃないかよー。
 今日も野宿をすることになったが、今日のキャンプサイトは人気のない、山の中の小川のほとりで、久々に自然の中のキャンプ地らしい場所だった。場所は最高だが体の調子がちと悪い。昨日からなんだか熱っぽいのだ。それに加え今日は雨に打たれたので念のため薬を飲んでから寝た。

 悪い予感は的中した。朝起きると頭が痛いじゃないか。それでもアンカラまでは130キロと、急げば一日圏内なので、早々とこぎ始めることにする。
 今日も相変わらずひどい山道だ。その坂を登るたびに頭がガンガンと響く。太陽も顔を見せず、ひんやりとした山の中特有の風を受けながら進む。昼に休憩すると、明らかに熱が出てきているのを感じた。でもアンカラに着けば休めるのだ、さっさと着いちまおーと自分を励ましながら進む。
 しかし、その2時間後には限界、進むことができなくなってしまった。ギブアップである。倒れこむように道路の脇に寝転ぶと、目をつぶりしばらく休む。「ガコンガコンガコン」心臓の動機が変な風に聞こえる。
「今日のアンカラはあきらめよう」何のために今まで急いでいたのかわからなくなったが、そう決めると最後の力を振り絞り、しばらく進み、なんとかガソリンスタンドの食堂の2階に寝床を見つけることができた。
 何とも汚い部屋だった。そもそもこんな観光地でもない僻地に、それもガススタの上に宿がある自体が不思議である。コンクリートの6畳ほどの部屋に薄汚れたベッドが1つ。使われてないようなクローゼットが1つ。日本のボットン便所の数倍汚いトイレが、薄暗い廊下を挟んであり、部屋には窓すらなかった。見れば見るほど汚い部屋だった。それでも先ほど道端で買ったメロンを人囓りして薬を飲むと、ぼくは深い眠りについた。
 翌朝目が覚めると、昨日の夜中に強制的に起きて薬を飲んだのと、12時間の睡眠が効いたのかずいぶんと体が軽くなった気がする。無理をしてはいけないと思ったけど、この何もない場所に今日もまた滞在するのはいやだったので、風邪が回復しないままアンカラを目指して出発した。

 トルコの首都アンカラに着き、その繁栄に驚きながらも日本大使館だけ訪れると、町そのものは素通りし奇岩で有名なカッパドキアを目指し一路南東へと向かった。
 大使館へ行ったのはトルコ東部の治安情報を得るためだった。大使館員の話によれば、ぼくがこれから目指す東部は南東部と比べずいぶんと治安は良くなってきているという。クルド人ゲリラも問題だが、それよりもトルコの軍隊に気を付けろと助言された。彼らにだけは逆らってはいけないと。そして夜は必ず宿に泊まること「寝ているうちに殺されて、どこかに埋められたら、一生出てこないだろうからね」と彼は恐ろしいことを言うのであった。
 そうそう薬局で薬も買ったのだ。熱冷ましと風邪薬。現地の病気には現地の薬が効くという言い伝え通り、それを飲んで寝ると体調はばっちり快復した。

 右手に広大な塩湖「トゥズ湖」を眺めながら軽快に走っているある日、後ろから来た一台のワゴン車に呼びとめられた。車を止めると中からは背の高い西洋人が出てきた。彼も旅人で、生まれはイギリスだという。
「まあ、中に入りなよ、お茶を入れるから」
 彼はそう言うと、そのおんぼろなワゴンの中に招待してくれた。中に入ると彼は引出しを掻きまわし、二つの地図を取り出し、それをぼくの目の前に置いた。トルコとパキスタンの地図だった。
「オレも一昨年、トルコからインドまで自転車で走ったんだ。ま、イランの地図は無くなっちゃったけどさ」
 よく見ると、自分の走った道だけ鉛筆でなぞってあった。
 出されたお茶を飲みながら、熱心に彼の話に耳を傾けた。イラン人のこと、パキスタンの砂漠のこと、石を投げてくる現地の子供たちのこと、国境のこと、野宿の安全度、彼は多くのことを親切に教えてくれた。
 トルコ南東部のワン湖周辺のことについて話していたとき、彼は時間が無かったのでバスに乗ったと言った。
「ここからここまでの区間、オレはCheatingしたんだ」
 彼は地図の鉛筆でなぞられていない区間を指すとポツリと囁いた。そのバスに乗るという行為を、彼は「ずる」だと言ったのだ。
「Cheating?」
「そう、ずるだ、だってバスに乗ってしまったのだから」
 やはりぼくたち自転車旅行者にとって、自転車ごと何か別の乗り物に乗せて運んでしまうのは「ずる」と言うのだな。そしてそのバスに乗るという行為は、彼が十分なアドベンチャーを成し遂げて 2年経ったあとでも、心の中に「ずる」というマイナスイメージとして残ってしまっているのだなあ。
「自転車で行けるところは自転車のみで進もう、緊急時以外は車に乗ってはだめだ」ぼくはそう思うと、この先のトルコ東部も自力で進むことを決心した。

 アンカラを出てからも、毎日1時間ほどは雨が降り、強い風が吹いた。久しく完全な青空というものを見ていなかった。はじめのころは、雨が降っても走り続けたが、待てば1、2時間で止むとわかると、それからは 雨が降ったら屋根のある場所を探して休むことにした。
 雨をしのぐ場としてガソリンスタンドで休むことが多かったが、そんな時は従業員がきまってチャイを出してくれた。
 チャイ、チャイ、チャイ、この国はチャイで溢れていた。道端に止まっているトラックに呼び止められてはチャイ、レストランから呼び声がしたと思えばチャイ、宿に泊まれば気のいい主人からチャイが出された。ヨーロッパではティー、そしてトルコより東部の国ではチャイと呼ばれ、これから付き合いが長くなるであろうこの飲み物は、この国では小さなグラスに入って出された。そこに角砂糖を入れスプーンで静かにかき回す。少し渋めのその紅茶は、いつも心に安らぎを与えてくれた。トルコ人がなぜ、第二の主食のように頻繁にチャイを飲むのか少しだけわかった気がした。

 トルコのガソリンスタンドは、なんとも便利な場所だった。ぼくは、宿が見つからない時は、よくガソリンスタンドにテントを張らせてもらった。「宿に泊まりなさい」と大使館員は言ったが、そう都合良くぼくのペースに合わせてホテルがあるはずがなかった。ガソリンスタンドは、通常24時間体制で、常に人がいたので、あたりに誰もいない山奥よりも、かえって安全だと判断したのだ。
 町から近いスタンドには、たいてい芝生のエリアがあり、そこに張れば背中の下がふかふかで気持ち良く寝ることができた。
 ガソリンスタンドの隣には、たいていはレストランがついていたので、そこで食料を調達することもできたし、従業員はいつも親切で、朝と夕方にお茶を入れてくれた。
 たまに子供にいたずらをされたり、興味津々なトラックドライバー達に囲まれることもあったけれどガソリンスタンドは良い寝床だった。

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