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アジアへ (トルコ)
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果たして2日分の価値はあるのだろうか。これが「カッパドキア」への率直な疑問だった。目指すはトルコ国境の町ドゥーバヤジットである。アンカラからは東に直線上に進路を取ればいいのだが、ぼくは南へやってきた。2日間も余計に自転車をこいで、このカッパドキアへと。
 しかし、その不安をぶっ飛ばすほど、ここはすばらしい場所であった。

 カッパドキアの入り口ウチヒサールへと、一度高度を1200メートルへと上げると、中心地ギョレメへと続く道は、谷底へグングン下っていった。まるでおとぎの国へと入っていくようだった。
 辺り一面が三角に尖った岩々に囲まれていた。アメリカのグランド・キャニオンの谷底に以前降りたことがあるが、それよりも数倍不思議な気分だった。グランド・キャニオンのあの角張った岩々の角を切り取って、それを三角にしてしまったかのような光景だ。そしてそれは夕日を浴びて赤く輝き何とも幻想的なのだ。
 岩の所々には穴が空き、はるか昔、その中で人が暮らしていたというのは本当のようだ。中を探検してみたいな。しかし全てを調べ尽くすにはどれくらいの月日が掛かるのかわからないほど、穴は無数に、通路は闇の中へと続いていた。

 洞窟ホテルと呼ばれる、奇岩の中に作られた宿に泊まる。相部屋だったがたった5ドルぽっちで穴蔵のようなすてきな部屋に泊まれるなんて、イタリアで泊まったお城のユース以来のヒットだな。
 翌日は丸一日、カッパドキア観光に費やすことにした。朝一番に、2万人の隠れキリシタンが暮らしていたという地下8階あるという地下都市カイマクルへ行く。次にトレッキングルートを1時間歩きゼルベという奇岩群を見て、途中合った現地人に奇岩の中の聖堂へと案内してもらうと、最後はローズバレーと呼ばれる渓谷へ夕日を見に行った。

 宿に帰る頃にはもうヘロヘロだった。せっかくの休みが全く休養になっておらん。
 それにしてもここは本当に素晴らしい場所だった。個々それぞれが違う姿を見せる奇岩を見るたびに感嘆のため息がこぼれた。奇岩にあいた、どこまで続いているかわからない穴、その一つ一つをじっくり探検してみたかった。願うことなら明日も明後日も腰をすえて見て回りたかった。この地への未練は十二分にあったが明日には出発する事にした。
 なぜかぼくは先を焦っていた。それというのも新年はパキスタンで迎えようと考えていたのに、急げばインドに正月前に着けるのではないかと思ってしまったからだった。
 パキスタンの名もないような町で、一人で新年を迎えるなら、旅行者が多いというインドで誰かと一緒に迎えたほうがずっとましだと思ってしまったのだ。そしてインドに大晦日に着くには、時間を気にせずのんびりと旅しているわけにはいかなかった。
 カッパドキアからトルコ・イランの国境までは、まだ1000キロ以上もあった。山道の中の1000キロなので、10日以上は確実にかかるだろう。

 ぼくが明日出発することに決めたのは宿で会ったある青年の一言がきっかけでもあった。
その日本人の青年は、ぼくの目指す国境の町へと今夜バスで出発するという。
「今からドゥーバヤジットまでバスで行くんだよ、でも遠くてね」
 彼は言った。
「確かに遠いや、でもバスでどのくらいかかるの」
「丸一日、24時間以上はかかるんじゃないかな。丸一日だよ、遠すぎるし、長すぎるよ。ケツが痛くなるだろうな」
「たった一日!」
 なんてこったい。改めて実感する自転車とバスのスピードの違い。ただ座っているだけの一日と、ひたすらこいでの10日間。それを聞き、なんだか体から力が抜けてしまった。
「急ごう、急いで前に進まねばならない」それはこれから来る本格的山道への決心でもあった。
しかし、旅はこれよりさらなる佳境へと突入していくのであった。

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