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アジアへ (トルコ)
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道路は独り占め状態だった。なぜ誰もいないんだろう、日曜だからだろうか。これまではどの国も国境付近の町は賑わっていたというのに、辺りはひっそりとしている。これもトルコとギリシャ両国の関係が、今現在もキプロス島問題で悪いからだろうか。トルコまで12キロという標識が見える、本当に後わずかだ。なんだか心の奥からドキドキした、イエーイ。
 ギリシャ側の検問を抜け、出国手続きをする。書類に必要事項を書いてパスポートに出国印が押される。成田空港の手続きと何ら変わりはない。国境と国境の間の緩衝地帯と呼ばれる、どちらの国とも定義されてない場所、無国地帯を走り出す。
 行き手には川が横たわっていて、その橋の上には両国の国旗が風になびいていた。この橋こそが国境なのだ。橋の両端には、各国の兵士が銃を構えて立っている。橋は中心で色が異なっており、ギリシャ側は国旗を象徴する青、トルコ側も国旗の赤色と、二つの色に塗り分けられていた。そして橋の中央には二本の線が引いてある、この線が両国の真の境ということらしい。なんてわかりやすい国境なんだろう。目に見える国境、これこそ陸の国境がない国に住むぼくが、いつも想像していた国境だった。
 そのなんでもないような線を跨ぐだけで違う国だなんて、嘘みたいだ。しかし実際にその赤と青の線をまたぐと、そこはもうヨーロッパではなくトルコだった。
「ようこそトルコへ」
 橋の番人でもある兵隊が、にこやかに微笑みながらそう言って迎えてくれた。越えた線はただの線ではないのだ。やっと、ヨーロッパを抜けた、ついにトルコまで来たのだ。アテネでは見えなかった何かが、今やっとかすかだが見えた気がする。
 ぼくは今トルコにいるんだぞ、ヨーロッパを自分の足だけで抜けたんだぞ、誇っていーんだぞ!

 とりあえず記念撮影をして、ぜひ以前から一度やってみたかったことをやってみることにした。それは国境を実際に跨ぐこと。右足はギリシャ側において、左足をトルコ側におく。
「現在地はギリルコなり」なーんてね。
 トルコ側の兵隊はとても親切で、写真は撮ってくれるわ、気づくと自転車乗ってるわで可笑しかった。ギリシャ側の兵隊は、「写真は駄目」ってむすっとしていたが、両国の兵隊同士は仲が良いようだった。
「国はケンカしているけど、オレたちは友達なんだ」
 おお、なんていいことを言うのだ。
 さらに進むと今度は入国審査だ。こちらもスタンプを押すだけのいたって簡単なもの。一応免税所があり、タバコなどを売っていた。外に出て両替所で現地通貨に両替しようとするとトラベラーズチェックの両替は不可というので、現金10ドルのみを両替した。渡された札を見てビックリである。ゼロがいちにいさんしい…おれって金持ちー?というわけではなくてそれはトルコの急激なインフレのせいだった。

  いざ、そして遂にトルコを走るとしよう。「トルコはアジアとヨーロッパの架け橋であり…」ガイドブックの文章が頭に浮かぶ。うひーアジアか、ついにアジアを走るんだな。体中にアドレナリンが駆け巡り興奮していくのを感じる。
 とりあえず、両替ができそうなある程度の規模がある町とみられる35キロ先のケサンを目指す。
 辺りは何もなく、道は小刻みの上り下りの連続だった。たまに人とすれ違うと、物珍しそうにじーっと見つめられる。それでも気さくな国民性なのか、手を振ってくれる。
「アッジアー、あああ亜細亜、あーじあ」
 ぼくはひどくご機嫌であった。このままムフフンといつまでも走っていたかったが、35キロはあっという間で、すぐに最初の町ケサンに着いてしまった。
 国境付近は一面の畑だったのに、ケサンに近づくにつれて景色は一転した。ケサンには、マンションが立ち並び、ぼくの想像のトルコとはなんか違う。あれートルコってもっと遅れているんじゃないの。意外に進んでいるんだねえ。でもそれはそうかもしれない、なんといっても一応EUの準加盟国なんだからね。
 町の住民には怪しい目で見つめられ、子供の集団には「チーノ、チーノ」と叫ばれ、追いかけられた。それでもなんとか街の中心らしきところに行き、一番ぼろそうなホテルに入ってみる。交渉して65万トルコリラという値段になった。スゴイ数字であるが、繰り返し言うようだが、これは極度のインフレのせいなので、日本円にするとたったの400円くらいなのだ。その400円の部屋は、風呂もトイレも、洗面台さえついてなく、汚くて小さいベッドが所狭しと横たわっているだけの部屋なので、果たしてこれが安いのかどうか判断はできなかった。
 もう日は暮れていたが、街中を歩いてみる。新しい国というのはわくわくするものだ。
 ほとんどの商店はしまっているけど、窓から中を覗き商品を眺める限りでは、トルコは結構進んでいるようだった。バスから降りてきた女子高校生らしき女の子はブレザータイプの制服を着ていた。うーん、いまいち小綺麗でトルコの実感がわかないなあ。
 宿に戻ると、隣の食堂のおやじがしきりに呼んでくる。なんだろうと思って行くと、外で炭を燃やしていて、そこで肉を焼いている。それを指差しながら、しきりにこう言う。
「食ってみろ、美味いぞー」
「まだいいよ、あとでね」
「いいから食え、まあ、座れ座れ」
 断ってるのに強引に椅子に座らされてしまった。なんて強引なオッサンだ、こんなのヨーロパではまず起こらないことだよ。
 仕方なく、一番安そうな肉を指差し頼むと、「これはシシカバブサンドだ」と言って、フランスパンのようなものに包んでくれた。おじさんは満足そうにニコニコしていた。こんな小さい街に外国人が来るなんて珍しいのだろう。
 なかなかうまかったけど、食べている最中もみんなの視線を感じ、なんだか落ち着かない。食べ終わり席を立つと、今度は隣の食堂の客からお呼びがかかった。きちんと背広を着た、ビジネスマン風の二人組だった。
「これがトルコのビールだ、飲みなよ」
 と、いきなりビールをおごってもらう。トルコはイスラム国だから、その戒律に従って禁酒かと思っていたけどどうやら違うようだった。その後もわけのわからぬ地酒らしきものを飲まされ、話もはずんで、宿に帰ったときにはもうグッタリとしていた。これがアジア初日だなんて信じられない。こちらが行動に移さなくても、向こうから何かがやってくる。聞いていた通りだ。
 
 だが、次の日やってきたのは良いものとは限らなかった。宿を出るときに料金を払おうとすると、昨日の主人と違う奴が出てきて、100万リラだと言い張る。ぼくは「ふざけんな、昨日より40万も高いじゃないか」と主張し、そこで言い争いとなった。結局、じゃあ払わないというぼくの意見に相手が折れ、最初の値段でよいこととなった。
なんだかトルコに来てから、アジアに入国したという洗礼を受けているようだ。

 今日はさらに大きい町テキルダまで。
 道は相変わらず小刻みな登りと下りの繰り返し。しかもかなり急で、それが永遠と続く。ゼーゼー言いながら坂を登りきると、洗濯板のような道路が遠くまで果てしなく続いていた。いったいいつになったら平らになるのだ。「登りか下りどっちかにはっきりしろ!」って感じだった。トルコ人は道を作るのが下手なのか?それとも地形がこうなのか。
 さらには追い討ちをかけるような向かい風を受け、心底こぐのが嫌になった。そこへ一台の軽トラックが後ろからやってきて止まった。新しいタイヤを落としてしまったんだけど、見なかったかと聞かれる。そういえば、来る途中にそんなものが道ばたに落ちてたなと思い、たぶん後ろにあるよと言うと、ぜひ一緒に車に乗って探して欲しいと言われた。
 先を急いでいたし、あまり時間は無かったが、とても困っているみたいなので手伝ってあげることにした。その間自転車は、彼の隣りに座っていた娘らしき少女が見張ってくれることになった。
タイヤ探しは難航したが、なんとか一時間後に発見することができた。喜んだおじさんは、僕の自転車と一緒に次の目的地まで送ってあげるよと言った。
 向かい風の登り下りの激しい道で、ぼくはとても疲れていた。それに昨日両替が出来なかったので、今日は絶対に銀行が空いている時間までに町に着かなきゃいけない。今の一時間のロスもあるし、もし着かなかったら大変だ。と、車に乗せてもらう要素はたくさんあった。けれど、迷ったあげく、「自転車で行くからいいよ」と断った。そう言った自分はとても格好良く見えた。
 しかし、いざ彼が「わかった」と頷き、あっさりと去っていってしまうと、その車を見ながら「やっぱ乗せてくれー、おーい、待てくれー」と心の中で後悔している自分がいる。そんな自分は先ほどの格好良さなど微塵もなく情けないに違いなかった。
 親切を素直に受け取るべきなのか、あくまで自分の力で進むか、難しいとこだね。でも一度乗せてもらうと癖になる気がするからこれで良かったのだろう。
 その後はさらに強い向かい風となり40キロを4時間、普段の半分のスピードしか出ない。それでもなんとか目的地のテキルダに着き、無事お金を両替することができた。早速宿を探しにうろつくと、バザールを発見。
 バザールとは、なんてことはない様々な屋台の集合体なのだけれど、これがとにかくでかかった。これがうわさに聞くアジアのバザールなのだな、想像していたとおりだ。昨日から何かとアジアらしさを感じさせてくれるものにであうなー。
 すると、遠くからお経のような音楽が聞こえる。これがイスラム教の寺、モスクから流れるというコーランに違いないと、これまた感心した。やっとトルコらしくなってきた。

何軒か回った後見つけた宿は、400円と昨日とほぼ同料金だったが、そこそこきれいで何より宿の主人が親切そうだった。
 毎日汗だくになりながら自転車をこいでいるというのに、もう3日も体を洗ってない。この宿にも風呂はなかったので共同浴場、「ハマム」とやらに行ってみることにする。
 日本のガイドブックを見ると、ハマムでは韓国の垢すりのように、体をごしごしと擦られると書かれていた。入り口の前で、その未体験ゾーンにたじろぎつつ、いざ意を決して中に入った。入り口で金を払い、タオルを渡され、腰にタオルを巻いたおじさんにあっちだと指を指された。緊張しながらドアを開けて中に入ると、中は湯気が立ちこめるタイル張りの広い部屋だった。個別に仕切られた一角に、蛇口が突き出ていて、そこから温かいお湯が出ているだけである。つまり自分で洗えということだ。これではまるで風呂桶のない銭湯である。後でわかったことだが、体を擦ってもらうのはどうやら別料金だったらしい。

 とにかく垢をこすりさっぱりしてから、宿に帰ると、夕方のバザールへと繰り出した。バザールも初体験だ。今日は「アジア体験一日入学」みたいなものだ。
バザールには全部見るにはきりがないほど多くの露天が並んでいた。食料品から衣料品、鍋に生活雑貨とここに売ってないものはないように思えた。とりあえず、フルーツを買うことにしたがその安いこと安いこと。
 ブドウ1キロ35円、りんご1キロ70円、スイカは1個50円、そしてたまねぎにいたっては1キロ15円。おまえら野菜と果物なめてんのかーってくらい安かった。
食堂の飯も安いし旨い。食堂はトルコ語で「ロカンタ」と呼ばれ、入り口には銀色のトレイが並び、中にはどれもおいしそうなトルコ料理が入っていた。一つを指さし席に着く。茄子と挽肉のオリーブ炒め。パンは食べ放題らしく次から次へと出てくる。「安い、旨い最高!」ぼくの旅の印象と、満足度のレベルはこんなものであった。
今のところ、ここはとてもいい国だ。

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