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10.ウユニ塩湖
11.催涙ガス、浴びる
12.世界で一番・・・
13.六千メートルの世界
14.Next Stageへ
15.世の中、なんて不平等なんだ



 

 

Bolivia
14.Next Stage へ

 

ボリビア最高峰、火山サハマ。
標高6542m。
最初にそれが目に入ったとき「何て大きい雪の塊なんだろう」と思った。こんな山に果たして登れるものか、と。

6088mのHuayna Potosiから帰ってきて3日後、また僕はこの世界に戻ってきてしまった。僕は自分の中の次なる次元を目指した。

DAY1
一日目はサハマの町への移動で終わる。首都ラパスから車で5時間。この一帯は国立公園に指定されている。敷地には間欠泉や温泉があり、雄大な景色の中にリャマやアルパカが放牧されていて、山を登らなくてもその美しい景観を十分に楽しめるところである。ちなみに、もちろん周囲は山に、それも高い高い山に囲まれている。ふっつうに5千メートルがあり、6千メートルもサハマ以外にもある。
中でも美しいのはチリに国境を跨るPayachataという双子のような山。Tomorateは6300m、Parinacotaは6350m。どちらも火山で富士山に良く似ている。
この小さいサハマの町の標高は4200m、今日はAlojamiento、シャワーも無いぼろホテルに宿泊。

Day2
今日はイージーデー。4200mから4700mのCampo Base(ベースキャンプ)への移動だけだ。なんだ、と思うかもしれないけど、このような高所登山では平地のように一日8時間も歩こうもんなら、標高が上がりすぎてしまい、たちまち高山病にかかってしまう。それゆえのスローペースなのである。

   

サハマの町を出て、ダートの車道を45分ほど北に向かい、それから右に分岐。目の前にサハマ山を拝みながら進むことになる。ベースキャンプまではロバがテントと食料を運んでくれた。

なんとも乾燥した土地だ。ステップ特有のトゲのある草木が砂地の上に生えている。柔らかい砂の地面は歩きにくいが、道はなだらかなのでハイキング気分。とても6500mに向かっているとは思えない。
どんどん、目の前のジャイアントが近づいてくる。その斜面に取り付くわけでもなく、山頂に見下ろされる格好で広い砂地にキャンプ。
午後、野生のビクーニャが遊びに来た。

ここから山頂までは約2000mの差。明日の朝出発して、翌日の夜中に登頂を開始するから実質24時間でこの2000mを詰める事になる。大丈夫なんだろうか。

DAY3
本日は少し本格的な登り。1000mアップして5700mまで行く。こんな高いところで睡眠をとるのは初めての経験だ。
朝は氷点下。ポーターが村から来た。彼が食料とテントをCampo Alt(高所キャンプ)まであげてくれる。驚くことに、このポーター、高所キャンプに荷物を上げた後、また村まで帰るんだと。そしてまた明日、今度は荷下げのために村からキャンプまで上がってくるのだ。その効率の悪さも驚きだが、体力もすごいものだ。

キャンプ場を出発し、すぐに斜面に取り付く。地面がフワフワしていて登り辛い。一時間ほどで石が積み上げている場所に付く。水場は無いがここでキャンプをする人もいるのだろう。ここから見る頂上はかなり近く、いとも簡単に登れる錯覚さえしてくる。
さらに一時間は斜面をトラバース気味に登る。そして稜線に出たら、あとは急斜面の直登のみだ。この直登が高所ゆえのきつさたっぷりである。でも高度順化はしっかりとできているようで、慎重に休み休み行けばなんて事は無い。

道はつづら折、カーブごとに一息入れる。後ろは文句なしの絶景だが、一歩足を踏みはず時たら死ぬこともできるほど急だ。

   

出発から4時間35分。Campo Altoに到着。崖みたいなところにテントを張る。積み上げてあるテント場の石が崩れないものか不安だ。
ガイドのロキオが不吉な発言をした。
「雪が解けて、ルートがなくなっている。明日は大変だ、岩場は確保しながら進むことになるだろう。難しい・・・」と。
これを聞いて、正直、びびった。今いるこの斜面だって断崖だ、落ちたら死ねるさ。それをね、それよりもっと危ないとこを午前3時の真っ暗な中登るんだから。
はあ・・・

DAY4
午前3時の起床だったが、眠れたもんじゃなかった。薄い意識の中で、何度も夢を見た。どれも不吉なものだった。
いきなり岩が崩れてテントごと下に落ちてしまったり、岩場から滑落したり、とにかく僕は何度も落ちていた。
怖かった、死ぬのが怖かった。何度も上に行くのは無茶だと思った、無理だと思った、止めたかった。
もしかして正夢なんじゃないか、とか、今の自分は全てを悪いほうに考えるネガティブ人間と化していた。
しかし、午前2時20分、時はやってきた。ロキオが起こしにきたのである。
今日は天候が悪いから登るのは不可能だ、と言ってくれることを願ったが、彼の口から出たのは「Vamos(レッツゴー)」の一言。

正直、この日の出来事はあまりに辛くて、登ったら意識ももうろうとしてしまってあまり覚えていないのだ。正直、この文章も今、書く気がしない。書こうと思うと、辛さが蘇ってきていやなのだ。

3時、Campo Altoを出発。ちなみに、彼女は先日のHuayna Potosiが限界とギブアップ。一人テントに残った。
いきなりの直登、それもかなりの急斜面だ。昨日までフワフワしていた地面はうって変わってカチコチに固まっている。おまけにプラスチックブーツ、グリップが効かなくて足を何度も滑らせる。左右を眺めると、どちらもかなりの斜面で転げたら下まで行くだろう・・・
そう考えると、一歩一歩踏み出すことがかなりの恐怖である。所々四つんばいになって進んだが、4、50分後、精神が耐えられなくなりロキオにロープを結んでもらう。
ふう・・・

一時間くらい経つと岩場が待っていた。ここも脇は崖。ビビリながらホールドできる場所を探し、ソロリソロリ、ハーハー、ドキドキ、そしてビクビク。
やっと岩場が終わり、もう難しいとこは終わりかとロキオに聞くと、「これからの30分がもっと難しい」との返事。
ガビーン。

クランポンを装着した。今まで見たことの無い地形だった。岩には雪が付いている、簡単な斜面かと思えば、ところがどっこい、この雪の斜面から尖った氷が止め処なく「生えて」いるのだ。どう表現したらいいのだろう。まるでツララが地面から生えている感じなのだ。
この氷の塊の上部分をアックスで砕いては、その氷に乗る。その繰り返しの30分。
ここでは下に落ちるという恐怖はなかった。かなりの急斜面だが、落ちてもその氷に引っかかるだろう。
30分ほど経つと、上に稜線が見えた。あれが頂上へと続く、雪の斜面だと思った。もう楽ちんだ、と心の中で喜んだ。
しかし、いざその場に立ってみると、正面は崖、頂上は右手に見え、そこまでは険しい岩場が続いていた。
ロキオは「クランポンを外せ」と言い放つと、ザックを降ろし、中からクライミングの時に使う確保の紐(何て呼ぶんだっけ、フリーのとき襷がけにするあのカラフルな紐)を出したのだった。
「えっ!ちょっとまってよ」
と僕はもう泣きたくなった。なんかもう生きて帰れない気がした。そして思った。
「この嘘つき」と。

首都ラパスで説明を受けたときを思い出す。あの時彼は言った。「サハマはウアイナ・ポトシよりずっと簡単な山だ。問題は標高だけだ」と。
今思えば、そんなのまったくの嘘だった。もちろん、ここのベストシーズン、雪の付いた冬の乾季はそうなのかもしれないが、雪が解けてしまった今はそんなことまったくない。この山の方が200%難しいじゃないか。

「ロキオ、この山のほうがウアイナ・ポトシよりずっと難しいじゃん」
と僕は愚痴をこぼしていた。
「Si、もちろんだよ」
との彼の答え。おいおい待ってよ。
僕らはこの山の一番の難所を進んでいた。2度ほどロープで確保する場面があったが、ホントに生きた心地がしなかった。岩はもろく、手でつかむとボロボロと剥れていった。なにかあったら死ぬだろうな、と僕は真剣に思った。
自分の実力を100としたら、この山は120。本来100の実力しかないなら、ハプニングに備え80までの山にしか登っていけないのだ。
いっぱいいっぱいだった。限界だった。ここで何かが起こったら、それをカバーできる余力が僕には残されていない。

5時30分、ようやく、頂上へと続く斜面へとたどり着く。
ここで僕は再び愕然とした。
下から見たこの斜面は雪に覆われていて、クランポンとピッケルを着ければ容易に登れると思っていたのだ。それがどうだ、雪だと思っていた斜面は全て氷。それも先ほどと同じように、ツララが斜面から生えているかたちだ。その高さも1〜1.5mと先ほどより高い。そのツララもどきは横に並んでずらりと生え、縦には30cmから50cmの隙間が開いていた。

まず、先頭のロキオが、氷の上半分をピッケルで砕く。高さが50cmくらいになったらその氷に乗り、下の隙間に降りるか、次の氷を割ってそこに飛び乗るか、その作業の繰り返しだった。
永遠と永遠とそれを繰り返した。それは時間にして3時間以上あったと思う。なんとも辛い作業だった、それも標高6000mで、だ。

そうこうしている間に、ようやく生命の源が上がってきた。母なる太陽が大地を赤く照らす。しかし、ここは北斜面、その恩恵はなかった。手足がしびれ、凍傷というものに思いを巡らした。

二時間もその作業を続けると、ロキオが言った。やっと6100m、Huayna potosiと一緒だ、と。
えええっ!まだ6100m?そんなバカな、そんなことがあるものか。あそこに見えるのは頂上じゃなかったのか。今度ばかりは彼の言うことが嘘だと思いたかった。
しかしそれは事実・・・

今見えている頂上を登り切ると、そこにまた偽もの頂上があった。
もう限界だ、と思った。帰ってもいい、と。
すると、もう一人の自分が言った。だめだ、何のためにここまで来たんだ、目をはっきり開けろ、集中力を高めろ、と。
ただただその繰り返しだった。

氷を砕く地獄の3時間が終わり、ようやく太陽が正面に見え出した。それも一瞬ですぐに雲に隠れてしまった。空を見ると今まで見たことのない速さで雲が動いていた。不思議な現象だった。
暴風が後ろから容赦なく襲う。防風のジャケットの中にも、靴の中にも、体の心にまで冷気が忍び込んでくるようだった。よろけながら、僕は足を前に出した。
「いち、に、さん、し・・」数えながら足を出し、40で止めては2、3分激しく呼吸をするために立ち止まった。風によって、無数の粉雪が肺に入ったのか、乾いた咳が止まらない。

ただ、足を前にだした。
ただ、ただ、よろけながら。

11月1日、午前9時5分。6542m、自己記録を更新した。ボリビア最高峰、Volcan Sajama登頂である。
ロキオがロープを手繰り寄せながら言った。
「Si! ここが頂上だよ、ハポネス、ストロングだったぞ」
そして僕の肩を抱いた。
なぜか涙が出た。この涙はなんだろう、何故涙が出るのだ、僕には全くわからない。下山した今でもわからない。景色に感動したわけではないのだ。

頂上は風が吹き荒れ10分といることができなかった。フットボールの試合ができるといわれている通り(そして去年実際に観光局のイベントでここでサッカーの試合をしている)、頂上は広大だった。

いざ、下山にとり掛かるが、登りで体力を使い切ってしまったため、降りる力すら残っていない。猛烈につらい、ものすごい逆風なのだ。
ヨロヨロと進んでは、時折風に負けてその場に倒れこんだ。

30分ほどで強風は終わり、変わってツララもどきの斜面を二時間。
ようやく雪がなくなり、クランポン外し、夜冷や汗をかいたクライミングパート。日光の下で見るそれはいたって簡単だった。
そして再び逆ツララ、最後は急斜面を駆け下りた。夜中にはカチカチに固まっていたこの斜面も、日が出た今となってはフワフワの地面に戻っており、下る分には楽ちんだった。

出発から9時間あまりが経ち、ようやくCampo Altoに生還。ホッとすると同時に、その場に倒れこみたかった。
これで終わりではないのだ。今日はさらに1000m下のCampo Baseまで降りるのだ。

一時間半の休憩後、下山開始。さすがにしんどい。
でも、ここも斜面が崩れていくスライディング系直下コースなので、下る分には楽だ。
二時間で4700mのCampo Baseに到着。
すぐに深い眠りについたのは言うまでもない。

DAY5
睡眠を充分とったためか、体の疲れはだいぶとれていた。
もう山は登らないぞと昨日何度も思ったのに、今度こそ山を嫌いになってしまったかもと思ったのに、テントから出ると冷えて乾燥した風がやけに心地よくて、周囲を見渡して、昨日まぎれもなく自分が立っていた高峰を眺めてしまうと、「山はいいなあ、自然はいいなあ、やっぱり山が好きだなあ」と思ってしまうのである。
懲りない奴め。

ロバ君が迎えに来て、下山開始。
乾燥しきったステップの大地を歩くこと二時間。道路に着く。
そこから車で温泉へ向かった。
きれいじゃないし、お湯も熱くはなくて、日本の温泉とは比べものにならないけど、やっぱり山の後の温泉は最高だ。
遠くにはSajamaが見え、後ろには双子のPayachataが聳え、周囲は緑豊かな牧草地で、その草を頬張るリャマやアルパカなどのラクダ科動物達がいて。

Peace・・・

これにて、Sajama終了!

 

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