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2004 Spring

@3月22日

旅から帰ってきて早2ヶ月。今ではすっかり日本に馴染んでいる。旅の間ずっと感じていた→「人間って苦しいこととか辛いことって順応するのが遅いけど、快適にはすぐに順応できちゃうんだろうなあ」って。たとえば水シャワーとか、虫のいる汚いベッドとか、そんな生活に慣れるのに一週間かかったとしても、お湯のシャワーやきれいなトイレには一発で馴染んじゃうってこと。
一発とはいかなかったけど、日本食も快適な布団も毎日のお風呂も、今や感動もない普通のこと。なーんかそれって残念だ。
今までずっと旅をして、最近は一年半の旅に出ていて、もうこれで終わりかなとも思っていたけど、やっぱり僕は旅が好きだ。旅をする感覚で日々暮らしていけたら最高なのになあってつくづく思う。

この快適極まりない生活に身を置いていることでオロオロしていることもある。それはある「感覚」が失われていくということ。うまくいえないけど、旅をしている間に得てきた、いろいろな感覚が、日本で生活をしていることでどんどん失われていく。地名だって人の名前だっていろいろな思い出だって、水が溢れるようにどんどん忘れていく。これはどうしたらいいのだろう。

とりあえず首都圏に住むのはいやだなあって思う。
幸運にも、4月から静岡の田舎で暮らすことになった。

@4月13日

首都圏を離れて一週間。今、僕は静岡県の富士山の西にある町で暮らしている。
町といってもここはかなり外れのほうなので、僕が住んでいるところは村と呼んでも過言ではないと思う。
旅をするように、普段の生活が送れたら最高なのになあと常々思う。そういう意味では、今現在の暮らしは旅だ。いつまで続くかわからないけど。
生まれて初めて、日本の田舎に居住している。それはまるで、田舎のばーちゃんの家にずっと遊びに来ているような感覚だ。正直かなり楽しい。毎日が発見の連続だ。だから僕は今の暮らしは旅だと思うのだ。
海外を旅しているときに味わった凝縮された面白さ、みたいなものをこの日本の暮らしで普通に発見できるなんて。なんか胸がときめいちゃうのだ。
最近、今まで畑だと思っていたところに水が入った。田んぼだったんだ、これも発見。
水が入るとすぐに、カエルの声がいくつもいくつも聞こえ始めた。その数は毎日増えているように思う。部屋からは農業用水の流れる音が終始聞こえて、バックでカエルが合唱していて。曇りの夜に道を歩くと真っ暗で何も見えなくて。草も木も元気に呼吸していて、年とったばーちゃんたちも大いに元気で。
みんな田舎に住もう!

夕方、まだ稲も植えられていない、水を張っただけの段々畑の水面が茜色に染まる。静かで美しくて、これが最近の僕のお気に入りだ。

@5月10日

定期的にこれを書いていこう、なーんて思っていたのに気がついたら一ヶ月もたってしまった。日記を書こう!なんて決心すると大抵3日くらいでやめてしまって、週記になって月記になってしまいには終わっていってしまう、そんな性格だから仕方ないか。
GWが終わったら、田んぼに稲が植えられた。この辺りはおそらく兼業農家が多いから、みんなお休みに田畑をいじるのね。
相変わらずカエルはゲコゲコ大合唱。そんで夜、田んぼに近寄ってみると見事にその部分だけ声が聞こえなくなる。あいつら夜目が利くんだろうか?
富士山の雪が半端じゃない解け方をしている。早い。今日は山頂からスノーボードで滑降しようと思っていたのにあいにくのジャージャー雨。次の休みに行ってみよう。

@5月16日

なんか悶々としてる。
部屋の中を見回してみた。そうか、この部屋には娯楽がまったくない・・・
って今まで気づかなかった〜。
テレビもない、ネットもない、漫画もない、小説すら一冊も持ってきていない。だから今は夜の10時だというのに町まで遊びに行きたくなってしまったのか。
いったんは車で20分先の漫画喫茶にでも行こうと思ったのに、あまりに霧がすごいのでやめた。

今住んでいるとこ。
正面は田んぼでカエルがガコガコひっきりなしに鳴いている。裏は標高500mくらいの竹林の里山。コンビニ(といえるかどうか?)までは徒歩15分。そこは遠藤昭二商店という「なぜか!」フルネームがついた店で7時には閉まってしまう。
町の入り口までは頻繁に霧がかかる峠を越えて、早くて15分。この峠越えが厳しいんだよなあ〜、精神的に町をもっと遠くしてる。だから出無精になって、引きこもりぎみになっちゃうのだ。
もちろん田舎ならではの楽しさもたくさんある。最近畑を始めたんだけど、近所のおばあちゃんたちに、「あのカボチャの植え方はなっていない」とか「スイカは端に植えなきゃだめら」などとご指導頂いた。畑の周りに住んでいるわけではないのに、よーく見ていらっしゃる。
昨日も夜遅く帰ってきてしばらくすると、ガラガラーと一軒下のばーちゃんが突然家に入ってきて
「今日はなかなか電気がつかないから待ってたのよ。遅かったわね〜。」
と言うなり、これで二度目となる竹の子の甘煮をくれた。うまいんだこれが。
なんかいいよね、まるで海外にいるみたいな人と人の距離感が。
でも・・・悪いことはできないなあ。

@6月1日

今日から露の6月。シトシトシトシトトト。
休日は決まって雨が降る。おれってそんなに雨男だったけな。
雨だと外に行く気がしないので、アフリカの写真を整理していた。スキャンをしてHP用の写真をアップしようアップしようと思っているのに、やる気が出ないのは何故だろう。
スペイン語も忘れてきちゃったし、写真を見ても遺跡の名前が出てこないし、そこには行ったという事実だけで、遠い惑星の出来事のように別世界だったり。
普段の生活と旅の時間を何とかコラボさせたいなあ。

@6月10日

埼玉という半端な場所に住んでいた僕は、昔から都内に出ることを「東京に行く」と言って、東京住まいの友人に馬鹿にされた。
久しぶりに静岡から実家の埼玉へと帰った。家は埼玉なのに、感覚的には「東京に帰る」って感じだった。変なの・・
2ヶ月ぶりくらいに電車に乗った。しかもビュンビュン新幹線。ぼんや〜りと窓の外を眺めた。本を読むわけでもなく、ただぼわーっといろんなことが浮かんできて、旅ってやっぱいいなあって思った。
そのまま、ぼんや〜りと次第に増えてくる人口の建造物とネオンを眺め続けた。あれだけ田舎に住みたかった自分。長旅から帰ってきた直後は東京の乱立するマンションや狭い路地に異常なまでの嫌悪感を示していたのに、なぜだろう、電車から見えた明かりのついたマンションの一室に家庭の暖かさみたいなものを感じてしまった。22時、人気のなくなった神田の路地を歩くと、そこにも誰もいないのに妙な懐かしさがあるのだった。昼間の誰かが気配を置いていったかのような。
「東京になんて絶対に住みたくない」って思っていたのに、まあそこまで悪くないかあ。うん、悪くない。
夜になるとゲコゲコとカエルの声しか聞こえないで、人の気配なんてめったに感じない静岡の我が家。もちろんそんな生活も好きだけど、東京にも東京なりの良さがあるんだな。
 

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