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27. 日本人宿

 

今僕は、メキシコシティーにある日本人宿、サンフェルナンドというところに泊まっている。まあ、明日は大晦日だし、そんなときは同じ風習を持つ人たちと騒いだほうが楽しいっていうのが、ここにいる理由かな。
「日本人宿」とはいったい何か?それは決して日本人が経営している宿だけを指すわけではない。もちろん日本人が経営をしているケースもあるが、大抵の場合「日本人宿」が指すのは日本人旅行者が多く泊まっている宿のことだ。悪く言えば日本人の溜まり場。
ヨーロッパや北米ではあまり見かけることはないが、アジアやここラテンアメリカには日本人宿と称される宿が多数ある。ちなみにブラックアフリカには僕の知る限り一軒しかなった。

僕はこの「日本人宿」っていうのが大嫌い「だった」。今でもアジアの日本人宿は泊まる気がしない。
その嫌いな理由は以下のことによる。
1.そうでない宿ももちろんあるが、規則がやたら厳しいこと。これは経営者が日本人の場合が多い。アメリカなどのユースホステルなどにもちょっとした規則の張り紙などがあるが、日本人宿の場合、それがかなり過剰なところが多い。「食べた食器は洗いましょう」から始まって、これはこうしてください、これをしてはいけません、ここの利用は何時から何時などなど。とにかく、常識の範囲内のことにあれこれ指図がなされているのに参ってしまうのだ。時に門限まであったりするのだ、未成年がいないとしても。
そうなると、なんだか客として宿に泊まっている気がしなくなってくる。泊まっているというよりは泊まらせてもらっているという錯覚に陥ってくるのだ。おそらく経営者が日本人の場合、宿主その人も、安い値段で貧乏旅行者を泊めて「あげている」と思い込んでいるのかもしれない。
単純に例えると、海外に出たら、日本の常識なんて捨てて、開放感に浸りたいって思うとして、それができないのが日本人宿なのだ。ソファーに足を上げてたら怒られるかなあとか、夜の1時にシャワーを浴びたら非常識って思われちゃうかなあとか、なんかビクビクしちゃうんだよねえ。

2.一番の大きな理由は泊まっている人たち。僕は日本人宿に溜まっている人たちがあまり好きになれない場合がよくある。これは昔からそうだった。もちろん、何日かそこにいて、話してみて、好きになる人もいい人も多くいるけどね。
とにかくアジアの宿に溜まっている人たちは濃い人たちが多かった。それと比べると南米の旅人はさわやかな人が多いのも事実。
アジアの200円とか300円の安宿に1ヶ月も2ヶ月も溜まっているような人は、もはや旅人ではなかった。ただ日本人宿に溜まって、日本人とだけ話して、マージャンをして外にも出ないで、あっという間に1ヶ月がたって、そんな話ザラだ。
はっきりいって、僕らはいったい彼らが何をしているのか理解できないし、しようとも思わない。もちろん、何をやるかはその人の全くの自由なので批判はしたくない。ただ理解に苦しいってだけだ。せっかく海外に来て、せっかく日本と違う文化圏にいて、見るところ感じるところ、すばらしいところなんて無限にあるのに、なんで宿にこもってママゴト遊びをしなければいけないのか。時に、この人日本に友達いなかったのかなあとか、学生のときあまり遊ばなかったのかなーとか、むしろそのときの遊びが忘れられないのかなーとか、思ってしまう。
あるとき、そんな事を日本人宿に2ヶ月くらい溜まっていた人に言ってみた事がある。「そんなに溜まってる時間があるなら、僕としては、その時間を語学学校に行ってみたり、ボランティアでもしてみたり、いろんな史跡でも回ったりしたほうが有意義だと思っちゃうんですよね」と。それに対する彼の答えはこうだった。日本人宿にこの旅で何ヶ月も滞在したけど、すごく良かったと思うのは日本の各地に友達が沢山できたことだと。日本にいて、日本各地に友達をつくるのは難しい、日本に帰ってからこのコミュニケーションが生きてくるのが楽しみだと言っていた。
なるほど、そういう考え方もあるか。でも、どうせだったら、日本中じゃなくて世界中に友達ができたほうが良くないかな。
日本中に友達が作りたかったら、夏にでもツーリングして、富良野のキャンプ場に行って2週間でも滞在すればいいじゃんねえ。

3.これは個人的な理由で、上とちょっと被るけど、海外に出てまで日本人の溜まる宿に行くのはどうかなあ、って思ってしまうんだよね。どうせだったらいろんな国のいろんな旅人と話すほうが僕にとっては理想的だし。
日本人宿がある町だけを転々として、その間はあまり寄り道しないで駆け足で回って、そんな旅の仕方って、とっても閉鎖的じゃない?でもこういう旅人がいるのさ、沢山いるのさ。南米を旅して半年、でもその7割は日本人宿でダラリとしてました、なんて人がさあ。そんなに日本が恋しいなら帰れよ、っていうか旅に来るなよ、って思う。
だから僕は日本人宿っていう理由だけで、そこに行くことない。料金が安くて、立地が良くて、情報や日本文化が恋しいときにだけ日本人宿に行くことにしている。

4.最後は日本人宿の閉鎖性。もちろん日本人が多く泊まっているってだけですでに閉鎖的なんだけどさ、南米で泊まった日本人宿は大抵の場合「日本人以外お断り」であった。いくら日本人が溜まる宿で、日本人の客しか来ない場合が多くたって、公言と「日本人以外は泊まっていけませんよ」って言うのはどうかと思う。もちろんセキュリティーの関係上、経済格差があまりにもある国で、相部屋しかないような宿に現地の人を泊めたくないって考えは理解できる。しかし、どうせなら同じように旅をしている外国人も泊まることのできる宿であるといいな。「日本人が良く泊まってるけど外国人もOKですよ」ってなソフトで中世な感じが。
こう見ると、よく日本人は、世界各国にチャイナタウンをつくってしまう華僑の中国人を、その国の文化に馴染もうとしないと批判めくけど、日本人にだってその資質は充分にあると思う。

以上。
と、ここまで言ってながら、なぜ日本人宿に泊まったりするのか、泊まらなきゃいーじゃんって怒られそうだけど、日本人宿もそれはそれでいいとこもあるのだ。もちろん。
日本人宿に泊まる利点はまず日本語の情報があること。地球の歩き方や各種ガイドブックがそろっているので、先の国のイメージや計画を立てるのに大いに役立つ。そして大抵の場合、宿には情報ノートと呼ばれる旅人が様々な旅行情報を書き込んだノートがあって、それがまた役に立つのだ。あとは日本人と会えるので、久しぶりに彼女以外の日本人と日本語で話すのも楽しいし、小説の交換も出来る。本も沢山あるので、旅先で一番飢えている文字の充電ができる。

簡単に言えば、そこには完全な「日本」があるのだ。横浜のチャイナタウンに紛れ込んだときに中国を感じるように、宿の中にはジャパンタウンが存在する。
長旅で日本が恋しくなったときに寄る分には最適な場所と言えるかもしれない。
でも
NOT ALWAYS

 

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