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24. ティカル遺跡とアンティグア

 

南米でインカの文化が花咲くずっとずっと前に、今のグアテマラとユカタン半島ではマヤ文明が栄えていた。マヤ文明の絶頂期は起源300年から800年の間だという。インカ文明が1400から1500年初期くらいまでだからそれがどんなに古いものかわかるだろう。ご存知インカはスペインによって滅んだが、マヤ文明はスペイン人が到来するずっとずっと前にすでに滅んでいてしまったのだ。
そんなのここに来るまで全く知らなかった。
今回その最盛期に作られ、マヤの遺跡の中でもとりわけ偉大で、都市だったとも宗教センターだったとも言われているティカル遺跡を訪れた。

ティカルの基点となるフローレスという町からジャングルの中を車で走って一時間。ティカル遺跡の入り口に着く。ここから遺跡まで密林の中を歩いて20分。この歩いてってのがなんか良かった。普通こういう有名観光地だと、観光客の便宜ばかりを優先して遺跡まで続く舗装路でもつくってしまいそうなのに。
そう、ここは中米の生命豊かな密林だ、人間のためだけを考えて木を切ってしまうのは愚かな選択。よくやった!と褒めてあげたかった。
途中、道は3つくらい分岐していたが、僕は「ショートケーキのイチゴは早く食ったほうがうまい派」なので、この遺跡の核心部のグランプラザを目指した。ジメジメとした、熱帯雨林特有の森の中を歩くこと20分。密林の間から真っ先に見えたのは、このティカルでもっとも荘厳で芸術的だという一号神殿。高さは44m、急勾配のピラミッド型神殿である。密林の中にたたずむその姿はなかなか圧巻だった。     

ティカルの写真というと、大抵はこの一号神殿なので、この神殿しかティカルにはないのかと思っていたら大間違い。グランプラザと呼ばれるだけあってこの広場には大小さまざまな石造建築物があった。一号神殿の対に二号神殿、その後ろに三号神殿。これらの神殿はどれもピラミッド型。ピラミッド型神殿は合計五つか六つあった。正直こんなにピラミッドがあるとは思ってもいなかった。
その神殿を囲むように北と南に住居なども兼ねたアクロポリスと呼ばれる広大な石の建造物があったり、もっと遠くには失われた世界と呼ばれる場所や、かつて7つの神殿があった広場、そしてグループGなどアルファベットの振られた遺跡が周囲に広がっている。グランプラザだけで1ヘクタール、ティカル全体の総面積はなんと60ku。とにかく広大なのだ。

 

   

マチュピチュから何故人が忽然と姿を消してしまったのかが今だ謎のように、このティカルも、いやマヤ文明も何時ごろどのような理由によって滅びてしまったのか謎であるという。
ティカルは今日も1500年前と変わらず密林の中にいる。ここでは当時と変わらないように、鳥の声がこだまし、サルの鳴き声が森に響く。虫たちは何も知らないで、千年以上前と同じくブーンブーンとうめいている。

最後にここで最も高い神殿、四号神殿に登った。高さ70m。これはコロンブスが到達する以前のアメリカ大陸で最も高い人口建造物だったそうだ。頂上からは密林が広がった。一号神殿や二号神殿がその頭だけを控えめにピョコピョコと出していた。
遥か彼方まで続く大密林はこの遺跡をすっぽりと飲み込んでいた。どんなにすばらしい歴史建造物も、自然そのものの美しさに敵わないように、この壮大な遺跡も自然には勝てないで埋もれてしまっていた。
この密林といい、その埋もれっぷりといい、建造物の石の光沢やコケといい、カンボジアのアンコール遺跡に似ていた。
いい遺跡だった。後でどう思うかわからないけど、個人的にはマチュピチュよりも良かったかもしれない。

 

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順序は逆になるがこのティカルの前にいたのがグアテマラの古都、アンティグア。中米で唯一じっくり見た町となってしまったが、かなりお気に入りな町となったので書いておきたい。
中米も南米も世界遺産の町というのはColonial色の強い町である(コロニアルとは植民地のとか植民地的なという意味)。すなわち、基本的にスペイン人征服者が立てた町並みや建物がいかにきれいに残っているかということだ。
町の中心には大抵の場合広場があり、それを取り巻くようにカテドラルや旧市庁舎などの歴史的建造物が立っている。
ヨーロッパの世界遺産の町を9こも10こも回っていると、しまいにはどれも同じに見えてきて教会に飽き飽きしてくるのと同じで、この中南米でもヨーロッパ的な世界遺産植民地都市に飽きが来る。
ガイドブックも言うことがないのか毎回同じことの繰り返し。
「この古いコロニアルな町は、ここはまるで中世のヨーロッパの文化がミックスしたような・・・」てな具合に。
僕はもう「コロニアルで古くて美しい」をうたい文句にした町には惹かれなくなっていた。そして、このアンティグアも世界遺産の古い町なのだ。
しかし、僕はこの町に着いた瞬間から、ここが好きになっていた。日本では聞いたことのないようなグアテマラという国の古都だからといって、外国人がいないわけではない。どこにもかしこもぞろぞろいる。古都の風情なんてものはここにはないかもしれない。しかし、コロニアルの町でも他とは違ったグッとくる良さを持っているのだ。アルゼンチンのブエノスアイレスや、ペルーのクスコがそうだったように。

町自体は歩いて回れるくらい小さいが、主要道路以外は全て石畳でできていて、その石が、長い年月をかけてか、所々地面に陥没している、いや、道全体が何センチもへこんでいるとこもある。そこから歴史を感じられるのがいい。家々の壁は、黄色や赤、青などの華やかな色で塗られている。その独特なPOPな感じの家並みが意外と石畳の道にマッチしているのだ。各ブロック毎にあるような小洒落たカフェも、けっして浮くことなく町並みに溶け込んでいた。グアテマラはコーヒーの産地でも有名。思わず、そのすてきなカフェを全て巡ってみたい衝動にも駆られた。

   

この町のアンティグアという名前はスペイン語の古いという単語からきている。ここは1542年に建設され、その後200年以上にわたり、アメリカのほぼ全域を管轄したスペインのグアテマラ総督領の主都であった。1773年の大地震で壊滅的な打撃をうけ、主都はグアテマラシティに移転し、その後も幾度か地震による被害を受けている。そのためスペイン人が建てた建物の多くは崩れてしまい、今はその跡地や瓦礫の建物、もしくは修復された物を見ることになるが、それでもこの美しい町並みを見ようとやってくる観光客は多い。
そして、ここに来る外国人は観光客だけではない。ここは古都の町という名前と同時にもう一つの呼び名を持っている。それは語学学校の町である。
スペイン語学校がここにはたくさんあり、毎年世界中から多くの人が語学研修に訪れる。僕はここでの語学研修はごく最近始まったのだと思っていた。しかし、聞くところによると、もう10年以上前から、ここはそういう語学研修が目的の若者たちで賑わっていた町であったという。
それを聞いて、なるほど、と納得したことがある。他のいわゆる観光地と違って、ここでは町中いたるところにいる外国人の姿がけっして浮いていない気がしたのだ。むしろそれがさも自然に受け入れられている感がある。僕もここが妙に居心地がいいのは、「外部の人」と特別視されずに普通に風景に溶け込めるからかもしれない。だから僕はこの町が好きになったのかもしれない。

いつか、ここでスペイン語学校に3ヶ月くらい通って、それから今回見落とした南米の各地へと下って行きたいなあ。
なんて思ったりシテ。

 

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