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1.Good Air : Buenos Aires
2.スノーボード・イン・パタゴニア
3.パタゴニアへの道
4.アルパタトレッキング
5.チリパタトレッキング
6.世界最南端の町とアフリカ病と
7.旅の終着地
8.旅もなかなか忙しい
9.世界で最も乾いた場所




 

 

Argentina>>Chile
8.旅もなかなか忙しい

 

南アフリカからアルゼンチンに入国し、ブエノスアイレスに10日間、アルゼンチン側のパタゴニア、チャルテン村に1週間、そしてチリ側にも1週間。世界最南端の町には8日。こんな、ある意味ゆとりのある日程で言うのもなんなのだが、旅もなかなか忙しいのである。最近は忙しすぎて日記も満足に書けないし、寝不足で瞼が重い。

旅が忙しいなんて言うと、日本でちゃんと働いている人には怒られそうだけどね。
太平洋側のチリをスキップすることに決め、3000kmを飛行機でぶっ放してきて、まさかのブエノス・アゲインをしてからというもの、今日まで10日間で
アルゼンチン入国4回
ブラジル入国2回
ウルグアイ入国1回
パラグアイ入国1回
そして、今はチリの首都サンチアゴにいる。
いやー、飛ばした飛ばした。

まず、2度目のブエノスアイレスからウルグアイへ日帰り。
銀の川と呼ばれた、ラプラタ川を渡り、ブエノスアイレスの対岸、一応世界遺産に登録されているコロニアを訪れる。川の対岸だからといってなめてはいけない、このラプラタ川は世界で一番横に広い川で、コロニアまでは45km、豪華客船で2時間半。もっとも広い河口部は220kmもあるんだとさ。

これがコロニアの町、とってもコロニアルな(ダジャレ?)建物が並ぶのだ。もとはと言えばポルトガルの植民地として貿易で栄え、のちにスペインに奪回された。並木道に石畳の道路が続き、車よりもスクーターの数が多そうで、時折ロバも見かけた。観光客さえ来なければ、のどかないい町である。ただ、白い砂浜が続く川沿いのビーチは、ラプラタ川の水がまっ茶色でいただけなかったね。

続いて北に18時間、世界三大瀑布の一つ、イグアスへと向かう。
世界最大の滝と言われるジンバブエのビクトリア・フォールズで大感動がなかったから、ここにも来ようかどうか迷ったけど、生きている内に絶対に来るだろうし、そのときは30万円くらいかかるだろうし、今は4日間の遠回りだけで見ることができるんだし、行くことに決めたのだ。
イグアスの滝はちょうど、ビクトリアやナイアガラがそうであるように、国境に跨って位置している。
でも僕が思うに、これはまぎれもなくアルゼンチンの滝だと思う。アルゼンチンで滝観光にかかる時間は5時間。とにかく広くいろんな角度から滝を堪能できる。ブラジルではアルゼンチン領土の滝を遠目で眺めるといった感じなので観光には1時間くらいしかかからない。でもブラジル側イグアス滝のパンフレットは「滝はアルゼンチンとブラジルに跨っています。しかしながら最も眺めのいいポイントはブラジル側にあるのです。」と言い切ってしまっている。まあ、これはあながち嘘ではない。
ブラジルからは滝の全景、パノラマビューが楽しめる。アルゼンチン側は細かく、小刻みに心行くまで滝を堪能するといった感じ。どちらにもそれぞれ違った良さがある。

ジンバブエのビクトリア・フォールズとの勝敗を言ってしまうと、トータル面でここイグアスの勝ち。値段も半額だ、こんちくしょー(さらに言えば、こちらは外国人料金が地元民の2倍。ビク滝は70倍)。
ビクトリア・フォールズは、よく「世界最大の滝」と称され、ここイグアスは「世界最大級」と表わされることが多い。なにを持ってして世界最大なのかわからないが、確かに水量、迫力などのトータル面での世界一はビクトリアだと思う。友人がビクトリアを「ザ・怒涛」と表現してたけど、まさにその通り。
じゃあ、なにがこちらの方が上か、それは美しさである。「これだよ、これが見たかったんだよ!」と僕はイグアスで叫んだ。それはどんな光景かというと、大小いくつもの滝が少なく見積もっても横に2kmくらい連なって見えたのだった。これがビクトリアで僕が期待していて、見たかった光景なのだ。
それはため息が漏れるほど美しかった。(しかし、付け加えるならば、ビクトリアは時期的に不利な点があった。行った時期は水量が多すぎて、滝の水のせいで滝自身が良く見えないという、なんじゃそりゃ状態だったのだ。違う時期ならばビクトリアが勝っていたかも。)
↓どうすか?

   

ともかくはるばる来てよかったと思った。ただ一つ、難点を挙げれば、国立公園内の設備が良すぎて、テーマパークにいるみたいだし、滝もきれいで庭園的で「大自然の驚異」という感じではなかったね。
これにて世界三大瀑布、制覇!

ついでと言ってはかわいそうだけど、パラグアイに入国してみた。イグアス周辺には3つの国の国境がある。ブラジル、アルゼンチンとこのパラグアイ。この国、イグアスの滝からたった10数キロ離れてしまっているために、滝の恩恵に与れないかわいそうな国なのだ。
さらに情けないことに、この国境の町、シウタ・デル・エステには世界最大!のダムがあり、そのダムから流れる滝もどきの水を観光資源としているとのこと・・・
おいおい、だれがあの滝を見た後にダムを見に来るっちゅーんよ。

ガイドブックによると、このパラグアイはかつてブラジル・アルゼンチン・ウルグアイの3国同盟と戦争をして(もちろん)負けて、領土をごっそり奪われたっていうから、元はといえばイグアスもパラグアイにあったのかもしれない。あーあ。

この国に入国したのはたった一つの理由からだった。それは日本食が安く食べられるということを友人に聞いたからだ。パラグアイの南部、エンカルナシオンに日系二世の日本人女性とドイツ人の旦那さんの営む宿があり、その隣でその奥さんのお父さんが食堂をひらいていた。ここでレストランと書かないのは、ここはいわゆる海外の日本食レストランと違い、日本人なんかめったにこないであろう大衆食堂だからだ。客も現地の人が多く、ヤキメシや焼きそばがこの国の人々に受け入れられているのが印象的だった。
僕はラーメンと、焼き飯と、魚定食をトライ。どれも100円から200円と格安。なんで海外で食べる日本食って、こうもおいしいんだろう。「だったら日本に帰れよ」ってほど、それは恋しくておいしかった。

ブラジルやペルーに日本人の入植者が多くいるのは周知の事実だが、このパラグアイにも200世帯ほどの入植者がいるのはあまり知られていない。この入植は第二次世界大戦のあとに始まったもので入植者の年齢も比較的若いという。この日本食・食堂の親父さんはここに来て、45年くらいが経つと聞いた。この周辺にも主に大豆などの農業を営む日本人のコミュニティーがあるらしく、町にはスーパーマーケット清美という日本人経営の食材店まである。

親父さんの歳は60代中盤くらいだろうか。ここに45年いるとなると、日本に住んでいた時間より、ここに暮らしている時間のほうが2倍くらい多いということになる。それでも、今でも親父さんは日本のNHKを見て、日本の本を読んでいた。
祖国というのは何年たってもそんなものなのだろうか。
ここパラグアイには、日本人だけではなく大勢のドイツ人移住者がいるとも聞いた。

そう聞いて、僕はどうしても経済の格差というものを考えてしまう。なぜ、これらの人は自国より経済的に低いこの国に移住して、住み続けるのだろうか、と。今では発展途上国と呼ばれてしまう、これらの国に移住してきたメリットはなんなのだろうかと。もちろん、移住した当時は自国との経済格差は今ほどなく、夢のようなサクセスストーリーでも聞いたのかもしれないけど。
暮らし向きは何にせよ、外貨計算したら給料も本国に比べてずっと低いと思う。ここでの生活はともかく、外国の製品が不当に高くなるということだ。本国に帰るという選択肢もあったはずなのにここに住み続けるということは、やはりこちらの生活のほうが、暮らしとして自国よりずっと豊かで幸せなのだろうか。それとも、いつまでも祖国を夢見ながら、帰るきっかけを失ってここに住み続けているのだろうか。
そして、どんなにここでの生活が豊かでも、祖国はいつまでたっても恋しいものなのだろうか。

果たして幸せとか豊かさとは何を基準に言ったらいいのだろう。その価値観についてこの旅行ほど考えされたことはない。誰からも貧しいと思われているアフリカの何にもない村に住んでいる人々は、お金を沢山もっている日本の仕事漬けのサラリーマンよりずっと幸せそうで素敵な笑顔をしていた。
その答えを見つけるのは非常に難しい。あの人は何に幸せを求めているのだろうかとか、じゃあ自分は幸せかとか、でも自分さえ幸せならそれでいいかとか、世界中全ての人がみんな幸せだったらいいのにとか、考えればどんどんそれは複雑になり・・そこに一つの答えなんてないのだ。
少なくとも、幸せはお金と必ずしも比例しないのだけは確かである。

確かに、ここパラグアイはいい。アルゼンチンやチリの発展には程遠いけど、二日間という短い日程で見るにはかなり惜しい国だったな、と思えるいい国だった。ここにくる途中、バスの中から5時間、ずーっと北海道のような景色が続いていた。それは大豆畑だったり麦畑だったり、パッチワークの混合選手だったり。まあ、北海道というたとえが悪いね、それよりもずっとずっと広大だった。

だらだらと長くなったが、パラグアイ最大の見所(?)で世界遺産に指定されているイエズス会の伝道村、トリニダード遺跡にも行ったその足でアルゼンチンへと6度目の入国を済ませる。パスポートにはアルゼンチンのスタンプだらけ。もう残りが6ページしかないので、ほんと困る(増補も不可)。

国境の町ポサダスからコルドバ経由でメンドーサへと夜行2発。メンドーサではワイナリー見学なんかもしちゃったけど、ここに来た目的は一つ、南米最高峰アコンカグアを「見る」ことである。アコンカグアのトレッキングシーズンは11月中旬から1月、今は閉山中。残念、登りたかった。
んで、しかたないから早速山見に行くわけだ、バスで4時間。町を出ると、一面の畑、もちろんワイン用のブドウ畑もある。その背後に高い高い壁、アンデスが立ちふさがる。
「アンデヤマーカー♪」とアンデスの音楽が心の中で踊っていた。でもこんなとき、自分はちっぽけな日本という国から来たちっぽけな人間なので、規模はぜんぜん違うのに、「まるで甲府みたいなロケーションだな」って思ってしまうのだ。アンデスさんすみません。

プエント・デル・インカと呼ばれる温泉からとことこと歩いて一時間、アコンカグア国立公園へと一歩足を踏み入れる。ここの標高は約3000m、目の前に見える山は6960mもあるのに、遠すぎるのかそこまでの高さを感じなかった。そしてパタゴニアのフィッツロイ山に感じた、山そのものに対する神秘性みたいなものもここではあまり感じることができない。
それはおそらく、パタゴニアのフィッツロイが一流のクライマーでも登るのが容易でない山ならば、この南米の最高峰は高度純化さえしっかりできれば技術的困難はなく比較的容易に登れてしまう山だからだと思う。
僕はいつかきっとこの山は登ると思う、フィッツロイには登れないとしても。

そして今日、僕らはアンデスを越えた。昨日アコンカグアの麓からメンドーサの町まで4時間かけて戻り、今日もまた同じ道を4時間上がってくるという効率の悪いことをやっているのだが、昨日は終始眠っていたので、今日は絶景の展望を楽しむこと然り。このルートで夜行を利用してしまうのはかなりの愚か者だと思う、と言い切れるほどすばらしい景色がずっと広がっていた。

山と山の間を縫うように進むこの道は、数年前に自転車で旅行した、パキスタンと中国に跨るカラコラムハイウェイの光景を彷彿させた。木も生えない瓦礫だらけの乾燥した山が、いっそう僕に美しいカラコラムの山々とそこに住む素朴な人々思い起こさせる。
この南米の山々が遠くはなれたアジアの光景に似ているというのは、おかしなことかもしれないが、それを利用したのがブラッド・ピット主演の『セブン・イヤーズ・イン・チベット』。あのロケはこの付近で行われたのだという。
そんなのここに来るまでちっとも知らなかった。チベットでの撮影は無理だとしても、せめてヒマラヤくらいで映したのかと思っていたよ。なんだよ、詐欺じゃん!
まあ、とにかくチベットのように美しいところにいるということで・・・

そのアンデスを越え、首都サンチアゴに到着。そして明日にはサンチアゴを出発しビーニャデルマルという海岸沿いの町にシーフードを堪能しに行くのだ。ああ忙しい。
リゲインCM風に歌ってください、ハイ
「24時間旅でーきますか、
タビビビトマーン、タビビトマーン、ジャパニ〜イズ、タビビトマン♪」

さあ、太平洋だ。

 

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