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インドで1勝1敗 (インドバングラ)
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「メリークリスマス」
 朝起きると、ぼくは同室のみんなに元気よく言った。そう、今日はクリスマスイブなのだ。ま、特に意味はないけど誰かしらにこう言いたかったのだ。
 朝YWCAを出発しようとすると、いいと言うのに大勢の旅行者が見送ってくれた。 
 ラホールを出発し30キロ走ると、悪名高いインドーパキスタン国境に着く。ここのインド側の係員は、賄賂を要求し、荷物をスルことで有名だった。
 まずパキスタン側の出国管理所へと行く。必要書類に書き込み提出すると
「インドのお金は持っているかな」
 と、その係官は聞いてきた。インドルピーは、偽札防止のため国外への持ち出し、持ち込みが禁止だった。国境でインドルピーを持っていると、偽札とみなされ没収されてしまうと聞いていた。
「持っていません」
「一銭もか」
「うん、インドに入ったら両替するよ」
 そう言うと、彼はまるで出国管理官とは思えないような発言をした。
「じゃあ、俺が両替してやろう。レートは銀行よりもいいぞ」
 出国管理官が闇両替するなんて聞いたこともない。ここは噂に違わず変な国境なんだなあ。ここで両替して、そのインドルピーを持ってインド側に入ると、偽札とみなされ没収されてしまうかもしれない。その申し出は丁重にお断りして出国スタンプを押してもらうために、隣の部屋へ行く。
 しばらくすると制服を着た偉そうな係官がスタンプを持って入ってきた。今度の男はぼくの書類を眺ると、こう言った。
「じゃあ、出国税として10ドル収めなさい」
「出国税?」
「そうだ、誰もが払わなくてはいけないんだよ」
 賄賂だ、賄賂に違いないだろう。空港使用税じゃないんだから、陸路で国境を越えるのにそんなの払うなんて聞いたことない。入国税ならまだわかるけど。
「そんなの払わないよ、さあ、さっさとスタンプを押してくれ」
 ぼくは強気になって言った。
「何で払わないんだ。それを払わないと出国できないぞ」
「だって賄賂でしょ。そんなの払うなんて誰にも聞いたことがないよ。あんたにお金は払わない」
「賄賂じゃない、それは出国するためには必要なお金なんだ。ここを通る者は全員払っている」
 10ドルという大金をか。大体なんでパキスタンルピーじゃなくてドルなんだ。そんな大金をインド人やパキスタン人が毎度払うわけないだろ。
「賄賂は払わない、バクシーシなんて払うもんか」
「払わないと出国できないぞ。それにこれは賄賂じゃない」
「じゃあ、こうしよう、日本大使館に今すぐ電話してみてくれ。大使館員にあなたが説明して、彼が払う必要があると言ったら、ぼくは何も言わず10ドル払おう。だってここで10ドルも払うなんて誰にも聞いたことがないもの。賄賂じゃなかったらそうできるはずでしょ」
 係官の顔には明らかに焦りが見え始めた。
「わかった、おまえはもう行っていい」
 そういうと、パスポートにボンとスタンプを押しドアの方を指差した。
「ほら、やっぱり賄賂じゃん」
 ぼくは、ぼそっと言った。
「賄賂じゃない、今回だけの特別な処置だ。もう行け」
 彼は最後までそう言い張った。悪いのはインド側の国境と聞いていたんだけどなあ、こりゃパキスタン側も腐ってるな。インド側が思いやられる。

 建物を出て「INDIA」と書かれた進行方向へと進む。きれいな舗装路の先には二つの門がある。手前の門には「パキスタン」、奥の門には「インド」と書かれていた。門と門の間は5メートル程空いていて、その真ん中に白線が引いてあった。
 その線を跨いでぼくはいざ、インドへと入った。
 インドの入国管理では、「おまえは麻薬所持の疑いがある」と言われ、荷物の隅から隅までひっくり返され、調べられた。
「毎日自転車をこいでるのに、麻薬なんてやるわけないだろう」そう言っても聞き入れてくれなかった。ぼくは自転車ということで、いつも入国時には珍しがられて温かい持て成しを受けることが多かったが、荷物検査を受けたのは後にも先にもこの国境だけだった。
 幸い、何も盗まれることもなく審査は終わり、やっとインドを走り出せることになった。

 のどかな風景が少し続くと、すぐにゴチャゴチャした街中に入っていった。町並みはパキスタンとあまり変わらなかった。そりゃあ話す言葉もほとんど一緒で、50年前は同じ国だったんだから当然か。サイクルリキシャと呼ばれる、2人乗りの客車を前の自転車で引っ張る三輪車がやたら多く目に付いた。

 国境から30キロ、黄金寺院で有名なアムリトサルに着く。シィク教徒の聖地であるこの地には、ゴールデンテンプルと呼ばれる、その名通り、黄金色に輝く寺院がある。そこに無料宿泊施設があるというのは、旅人の間では有名な話だった。
 寺院の外側はあいにく工事中で、水面に浮かぶ煌びやかな寺院を見ることはできなかったが、宿泊所は通常通り開いていた。登録所に記入すると、外国人専用の宿舎へと案内された。小さな部屋の地べたに、4、5枚の汚れた布団が敷かれているという、見るからに汚い部屋だったが、無料だというのだから仕方ない。
外国人に与えられた部屋は4つで、宿泊棟であるその大きな建物のほかの部屋は、すべてインド人で占められているようだった。しかしあまりの多さに部屋に入りきれず、通路に布団を敷いて包っている者も多かった。外国人と言うだけの理由で信者でもないのに部屋を宛われて、なんだか彼らに悪い気がした。
 食料も無料で供給してくれるというので、夕食の時間になると食堂へと足を運んだ。広々としたホールに、大勢のインド人と一緒に床に座らさた。ますはステンレス製の皿、お椀、コップが配られた。バケツを持った少年が皿にライスを入れていき、ローティーと呼ばれるインド式パンが配られ、コップには水、お椀にはダールと呼ばれる豆スープが注がれた。
 無料にしては豪勢なメニューだった。ダールにローティーを付け、それを口に運び水を飲む。
 こんな現地の水を飲んでいるから下痢が治らないんだろうか。パキスタンにいるときから、ぼくは1週間以上、連続して下痢になっていた。ミネラルウォーターを買うの面倒くさがり、現地水をゴクゴク飲み、屋台でなんでもかまわずバクバク食べていたからだろうか。パキスタンでは毎晩のように、寝ている最中に2回は腹の痛みに起こされトイレに行った。それでも治そうとしなかったのは、下痢の状態に慣れてしまったからであった。出す物を出せば腹の痛みは治まったので、ぼくはあまり気にせずに相変わらずなんでも過剰量を食べ、水も平気で飲み続けているのだ。

 〈ゴーン、ゴーン〉
 金のような音がして目を覚ます。外には人の声が聞こえる。時計を見るとまだ4時半だった。信者は熱心なんだなあ。寝袋が暑すぎるらしく、体の全身から汗が出ていた。尻の方も湿っていたが、汗だと思いまた眠りについた。
 5時にまた目が覚める。尻の穴のあたりがどうも不快である。触ってみると汗はまだ乾いてないようだった。これは汗だよな、少し不安になって指の色を嗅いでみた。

 ぷーーーん!
 ・・・衝撃的だった、そしてショックだった。22年間生きてきて初めての経験だった。
 ぼくは生まれて始めて「寝下痢」をしたのだ。それもクリスマスに。
急いで寝袋のジッパーをあげると、中からもわっと、臭い空気が漏れてきた。はー・・ショッキング。自分がとても情けない、いったい何歳なんだよもう・・相部屋の人達に気づかれないようにこっそりと部屋を出ると、トイレに行きお尻を洗った。そして水道で洗剤をつけてパンツと寝袋を洗った。朝の5時から汚れたパンツを洗っている、22歳のぼくの姿はどこからどう見ても惨めに違いなかった。

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