ウエスタンステイツへの道 -2- 当選

2019年12月8日
早朝から携帯のアラートがピコピコうるさかった。武田の杜トレイルランニングレースへ出るため仲間たちと前泊していた宿で目が覚めた。
InstagramやFacebookで自分がタグ付けされているようだった。

何事だ・・・ジローくんからメッセージ。
「あたってますよ」
なんのことやら・・・
「ウエスタンステイツ当たっています」
半ば寝ぼけていたのもあるが、戻したメッセージは「ええ〜・・・」
「まじかー」
「マジです」
「当たっても出なくてもいいもの?」
「そりゃ出なくてもいいですけど、普通はこれですよ」と送られてきた写真がこれ。

Western States Endurance Runウエスタンステイツ・エンデュアランスラン
1974年、今から47年前にアメリカで誕生した最古の100mile(160km)のトレイルランニングレース。もっとも歴史があり最も権威ある100mileと認識されていることから、いつかはウエスタンと多くのランナーの目標となっている。しかし出たくても出られない。なぜなら5千人以上のエントリーに対し、当たるのは300人にも満たないからだ。
特殊な抽選方法をとっていて、1年目のエントリーで当たるのは40人くらい(1.3%)2年目だと倍率が2倍に上がり、3年目で更に倍となり年々当たる確率は上がるものの8年目でも落ちる人がいる。そしてエントリーするには同様の難易度の100km以上のレースを完走する必要があるのだ。
以上、ジロー談。(そしてそのジローくんも出るのに6年かかったという。)

そもそもRio del Lagoに出るときに「ウエスタンの最後のクオリファイ(認定)レースですよ〜」とジローくんに聞いていたので、完走してからなんとなく抽選に申し込んでおいたのだった。1%という倍率に当たるわけないと思っていたし、出られるとは全く思っていなかった。

「どうしようか・・・・」と僕。
「当たってこんなテンション低い人はじめてみました!」
「いやー、どうしよう」

モヤモヤしたまま武田の杜に向かった。
12月の武田はRioのレースから約1ヶ月。比較的体は復活してきていて、追い込みはしなかったけれど、腸脛靭帯に痛みが出ることなく、気持ちよく走れて楽しかった。走り終わってから、それじゃあウエスタンも出てみるか、と思った(軽っ)。

2019年の暮には息子とヒマラヤの旅へ。
帰国後年を明けたら、仙元山トレイルクラブの葉山駅伝の練習。この頃には出るからにはせっかくだからしっかり練習しようと決めた自分がいた。きっと一生に一度きり。ならば誠心誠意走ることに向き合って、やるからには全てを出し切って行けるところまで行こう、と。

Rio ペーサーの弘樹から連絡が来た。「やるならシルバーバックルを目指そうぜ。」すなわち24時間以内に完走せよってことだった。

近所に住む磯さんがランボーズの湘南葉山サテライトの練習クラブに誘ってくれて、毎週水曜日に激坂だったり公園を年甲斐もなく全力でゼエハアする練習に誘ってくれて通うことになった。

これまでランナーじゃなかった自分は、走れば走るほど、体を痛めつければ痛めつけるほど強くなると勘違いしていた。まさにサイヤ人理論。
水曜日には激坂でゼエハアして。木曜日にはお昼休みにインターバル。土曜日にはヤビツ峠。日曜日にはバック・トゥ・バックの追い込み。体が疲れすぎて眠れない日々が続いた。でもサイヤ人だから大丈夫。痛めれば強くなるんだから。

ある日、体が音を上げた。自分はサイヤ人じゃなく、ただのおじさんだったのだ・・・そしておじさんの体は故障したらなかなか復活しなかった(チーン)

そんなさなか、コロナが襲ってきて、大会自体がなくなってしまった。
練習はする必要がなくなり、ファンランをするだけで良くなった。それでも来年のために走ろう、といつもよりは走った2020年だったと思う。

2021年になり開催するかわからないけれど、開催されると想定して、サイヤ人じゃないと割り切って怪我に気をつけながらしっかりとした練習することにした。1月-2月はマラソン本を買ってサブ3:15を目指すメニューの練習。3月は仙元山で100kmチャレンジ。4月-5月は毎週末ロング走からのB2Bで月間400km。ランナーなんてなるわけがないと思っていたのに気がついたらランナーになってしまった1年半だった。この期間だけでいうと、人生が変わってしまったと言っても過言ではない。それもウエスタンステイツのせい(おかげ)
思えば沢山の人が一緒に練習してくれて、そんな彼らと年甲斐もなく切磋琢磨するのは楽しい日々だったと振り返っても思う。そして日々走りに出かける異常行動の自分に理解を示してくれた家族もとてもありがたかった。

水曜日の夜、夜な夜な20:00に逗子や葉山をゼエハア大人気なく走る「ランボーズ湘南葉山サテライト」の皆さんと。無事に卒業できますように。

そして6月17日、こんな状況下でペーサーを引き続き引き受けてくれたジローくんと一緒にウエスタンステイツに向けて出国した。

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