ウエスタンステイツへの道 -1- Rio del Lago

ひょんなことから2019年10月末に行われたRio del Lagoという100mile(160km)レースに出ることになった。
振り返るとこれがウエスタンステイツへの始まりだった。

9月にアメリカへの出張が決まり、ベンチュラに住む二朗くんにメッセージ。「出張のあとの週末に休みをとって残るからどこかで遊ばない?」
「いいですよ〜」と即レスが来たけど、その後すぐに「あ、だめだ100mile入ってる。一緒に出ますかw まだ申し込めますよ」と軽いお誘いが。
どうしよっかな・・・と珍しく2週間位考えた。
正直なところ100mileのレースにあまり興味がなかった。天の邪鬼的考えなのかもしれないが、長い距離ほどすごいみたいな風潮を冷めた目で見ている自分がいて、100mileという距離は走ったことがないけど、練習すればきっと完走できるから出る気にもならない、と舐めてもいた。でも果たして1ヶ月後の100mileに今から出ようと決めて完走できるかどうかは極めて未知だな、と思った。完走できるかわからないから、それってチャレンジングなんじゃない?ドキドキするし、だったら出てみようかなと出走を決めたのが一ヶ月前、二朗くんの言う通り、そこまで人気もないらしくすんなりと申し込めたのだった。

日常的に走るのは水曜日の仙元山のグループランの7km。たまに行きたい山をトレランスタイルで。だから9月の走行距離は55kmだった。ちょうど一ヶ月前となる9/27に練習を開始して、大会までは300km走った。急にやりすぎたので、今思うとすでに故障の一歩手前だった・・・・

アメリカでの出張が終わった木曜日の夜。日本からペーサーがやってきた。友人の石川 弘樹だった。二朗くんにアクシデントがあり一緒にいけなくなってしまったので、心配して日本から駆けつけてくれたのだった。トレイランニングをやっている人なら知らない人はいない日本のパイオニアにして100mileの百戦練磨の達人で、ペーサーとしては非常に豪華だった。しかもペーサーをするためだけに日本から来た。


二朗宅で仮眠程度に寝て、翌朝早朝にベンチュラを出た。弘樹の運転で500kmを6時間かけて受付のあるオーバーンへ。ランニングショップが受付となっていて、ゼッケンをもらって買い物をして、ホテルにチェックイン。そして翌日の準備。

翌日は5:00のスタートで、30分前にスタート地点へ。
あたりは真っ暗で、スタートに人が集まってきたのは15分前くらい。ここでコースディレクターによるレースブリーフィング。ただ、そうはいっても気をつけて走ろうとか基礎的なことをいっていただけ。

「今日がはじめての100mileの人は手をあげよう!」との問に100人以上が手を上げていた。全部で400人もいないのに結構な割合である。ちなみに100mileという長い距離のレースなのに、このレースに出るために50mile以上のレースを経験していなきゃだめだとか、そんな堅苦しいものもなかった。つくづくゆるいのである。

そうこうしていると、暗い中開始の掛け声がかかる。最初の30kmは川沿いを緩やかに下って折り返し地点で川を渡ってまたスタートに戻ってくるというコースだった。アスファルトのサイクリングロードみたいな道が前半で、その後公園のダート道といったような、自然感が薄い道。途中の朝焼けはきれいだったけれど、ちょっと退屈だったのでキロ6:30くらいで進む。30kmくらい早く終わらせてしまいたい、と思ってしまったのだ。急にトレーニングをしすぎたのが仇となったのか、すでに足底が痛く、体のふしぶしに違和感があり、あれ…という感じ。
日が昇ってからは周囲の人と話しながら進んだ。200mileのレースに出ている人の面白話や、日本人のNickさんの身の上話、などなど。

18.5mile(約30km)走ってBeals Pointに戻ってきたのが3時間半後。飛ばさないようにと言われていたのに明らかにオーバーペース。補給をしてさくっと出発。

フォルサム湖沿いの美しい道を進む。5.5mileで次のエイドへ。4時間半、相変わらずのオーバーペース、抑えて抑えてと弘樹氏。でもせっかちな性格なので潰れてもいいから元気なうちに進んでおきたいという変な根拠で進み続ける。

緩やかなアップ & ダウン。右手に湖が見えて清々しい。緑の短パンの人に付いていこう、とかその時々でペーサーをとっかえひっかえで、やはりそれなりのペース。32.5(約50km)Horseshoe Barには6時間半。かやっぱらを進みむと35.5mileのRattlesnake Barにつく。とにかくエイドがたくさんあって、エイドにつくとめちゃくちゃ歓迎されて、水をボトルに入れようか、何をしてほしい?などホスピタリティが半端ない。

弘樹のホスピタリティもすごくて、ご飯を作って待っててくれた。相変わらず「早すぎんじゃない?」との助言を優しく伝えてくるのだが、気にもかけない俺。今思うとレジェンドに失礼すぎるだろ。

ここからエイドを一つはさみ一番大きいOverlookまではそこそこの上り。変なテンションでなんか余裕だなって思ってた。100mile辛いとか言うけど、サクッと終わっちゃうのか、つまんないな、とさえも・・・こんな画像を携帯にアップしたりなんかもして。

71kmの巨大エイドに着いたのはスタートから9時間半。
そもそも目標タイムもないので、すべて楽しみつくそうというのが今回の目的。ケサディーヤを食べてエイドでおしゃべりして、雰囲気を存分に堪能する。フェスみたいでとにかく楽しい。

ここは弘樹の車のデポポイントなので、座ってゆっくりと休んだ。
椅子やらクーラボックスやら買ってきてくれているのよね、どんなホスピタリティーよマイペーサー。

そしてなんとここからペーサー(並走者)が付けられるので、当然弘樹に走ってもらうことに。160kmのうちペーサーが付けられるのが90km。ペーサーは複数でも良いらしく、かつ途中交代も自由なようだった。当日エントリーもできちゃうという緩さ。(これは後に仙元山100で採用した)

「先に行こうか?あとから行こうか?」と弘樹。うーん、あとから付いてきてみてとつくづく失礼な俺。いいとこ見せようと上りも走る。そして「抑えて抑えて」と叱られる。
約50mileのNo Hands Bridgeはウエスタンステイツの有名な橋らしい。そうこのレースはウエスタンステイツの一部コースを走るのだ。懐かしいな〜、久しぶりだな〜と弘樹。ウエスタンステイツに3−4回出てるって言ってたな。思い出話に花が咲く。

橋の手前で膝に違和感、あれちょっとやばくないかと横になって歩いてみる。48.5mile(約80km) 11時間半。決して遅くはないがここからがくんと失速。フラット基調で走りやすい道なのだが、走れなくなる不調タイム到来。「不調タイムと好調タイムの繰り返しだから仕方ないよ、たぶん」と俺。さっきまでの余裕な気持ちは一体どこへ・・・ここから膝が違和感より痛みへと確信的に進化する。

60mile(96km)Auburn Lake Trailに着く頃には真っ暗になっていた。膝の痛みはいわゆる腸脛靭帯炎でもはや普通に歩くこともままならない痛みへとなっていた。この膝であと60kmは無理な気がしてリタイヤの文字が脳裏にちらつく。100kmを超えたところで完全にギブ。すると弘樹のパックからいわゆる腸脛バンドがでてきて、ギュッと巻いてもらって少し楽になる。

相変わらず不調・快調時間の繰り返しだったので、ペースがバラバラ。快長時間に調子こいて抜かしたランナーに不調時間に歩いているから抜かれる、といったことの繰り返しにさすがに弘樹がお怒りに。
「あのな、おれ誰だと思ってる?」「えーっと石川弘樹さんデス」
「けっこう100mileの経験があるんだよね」「ソウデスね」
「こんなとこまでペーサーしに来ているのに、なんで俺にペーサーさせないのよ」ごもっともな意見だった(笑)
「じゃあ、ペーサーお願いします!」今更感。

弘樹のペーサーは退屈だった。めっちゃスピードが遅い。一定のペース。でもしんどくないのに、次々にランナーを追い抜き、後ろからは抜かれない。正直に流石だなって思った。すげえ!
腸脛の痛みはもはやバンドでは抑えきれなくなって、誇れたものじゃないけど数時間おきに痛み止めを服用した。

8の字を書いたようなコースなので、ペーサーとの合流地点であったOverlook 74.5mile(120km)に戻ってきたのは19時間30分後。車から椅子が出てきてホスピタリティータイム。痛み止め飲んでいるけど、100mileまあまあ余裕だなってまだ思ってた(笑)のんびりしてから再出発。

ここからちょっと魔の時間。とにかく眠い。
「なんか楽しい話をしてくれ〜、ひわいなやつとか」とペーサーに投げかけるも、一定ペースで黙々と進む。下ネタ的話が一向に出てこない。後で聞いたらトレイルは神聖なものだからそんな会話は下界でしかしてくれないらしい。83.5mile(133km)23時間45分。とにかく眠い。魔の時間続く。そしてここからのトレイルは行きに通っているはずなのに、細やかなアップダウンが続き全く進まない魔の道。さっきから何キロ進んだ〜?とペーサーに距離を聞くもほぼ進んでない。あれ、この進行具合だともしかして制限時間に間に合わない?とビビり始める。100mileが余裕じゃないかもと思い始めたのは140km地点くらいだったと思う。110kmの信越と比べてとにかく長い!異様に長い!なんだこれ・・・って思った。やがて日が明けてきて眠気はどこかにいってくれた。魔の時間と魔の道が終わり、同時に弱気な自分も終わり、陽気な時間がやってきた。

Granite Beach、のこり4マイル。現金なことに走れるようになってきた。ダム湖の脇の舗装路を通り、最後は快調にゴール。

27:33 ゴールゲートの電光掲示板が見える。「日本のTakuji Sasaki、かれのはじめての100mileゴールだよ、おめでとう」と放送が聞こえた気がする。ペーサーと手をつないでゴール、やりきった達成感に包まれる最高の時間。もう二度と走らない、と無駄な誓いを立てる時間。

クニさんと櫻井さんとの出会い。

こうして、初の100mileレースが終わった。余裕!て途中で思ってしまったのは大きな間違いで完走できたのは100% ペーサーのおかげだった。
もう二度と走らないと誓いを立てたのに、これが終わりじゃなかったとは、このときは知る由もなかった。

One Reply to “ウエスタンステイツへの道 -1- Rio del Lago”

  1. 初の100マイル完走の裏にはこんなストーリーがあったんですね。しかし、トレランレジェンドのアドバイスを聞かないとは、バチが当たりますよ。WSへの道の第一話に一瞬ですが登場させて頂き有難うございます。残念ながら本戦には出場できないので、ルート上では会えません。陰ながら応援してます。

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