何かを犠牲にしてでも見るべき光景
ガイドが言っていたことは間違っていなかった。
「毎日が美しい、そして進めば進むほど、さらに美しくなっていくだろう。」
たとえ何かを犠牲にしてでも見るべき光景だと心から思った。言いすぎかもしれないが、毎日毎時間そう思った。
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12月27日、入山2日目。
朝起きると東から昇った太陽がエドワード湖を赤く照らした。
ヘダゾーンの中を進むと左手には巨大な溪谷が現れ、その先には3,800mのRwatamangufa (ルワタマグファ、現地語で折れた骨という意味)とその上に月が見えた。ほぼ満月なその月を見て、いったいいつ頃からこの地は月の山と呼ばれることになったのだろうか、とぼんやりと考えた。昨日の疲れはとれ、調子が良かった。今日はゆっくりと4,000mまで上がる。
3,300mを超えると苔に覆われた木々はなくなり、セミ・アルパインと呼ばれるエリアに入った。登山道は谷へと入っていき、いくつもの川や滝が流れるとても美しい光景となった。しかし同時に噂に聞いていた沼地エリアの始まりだ。日本から持参した長靴を朝から履いていて準備はバッチリ。「ズボズボズポポ」ほうぼうで各々がおかしな音を出しながら進む。
ジャイアント・ロベリアにセネシオといったアフリカならではの木々もこのあたりから見られるようになり、このあたりの独特の景観に一層の花を添えた。3,500mを超えると沼地はバージョンアップする。通常の考え方だと下界に近いほど沼地が多く、標高が上がれば乾燥していくはずなのに不思議である。
川沿いに道が続く。セミ・アルパインというだけあって、高い木は減り、円形の背丈が低い草が生える草原のような景観となる。ここは周囲を岩山に囲まれた、俗世からは完全に隔離された中央アフリカの秘境だった。密林をかき分けて歩いていると、タイムスリップをしているかのような錯覚に陥る。気分はまるで18世紀の探検家だ。スタンレーもリヴィングストンも現地の案内人を雇って、こうやってアフリカのさらなる奥地へと入っていったんだろうなと心が震える。
寺と目をあわせては「This is サイコー!」とお互いに言い合う。でもすぐに「This is サイテー」を感じたテラは「死亡です」と静かになった。急に雨が降ってきて、それはすぐにBB弾の大きさの巨大のヒョウになった。雨具の上から激しく叩かれとても痛い。すぐに上下の雨具を着込んだ我々は良かったけれど、横着してボトムを履かなかったテラは「長靴の中が氷水でジャブジャブ…」と辛そうだった。
それでもなんとか山小屋に着くと暖炉があって救われた。
3日目となる12月28日は4,000mのBugata Campからスタートし、4,450mのBamwanjara Passへと道は続いた。やはり昨日の景色を上回る絶景だった。大気が不安定でまたしてもヒョウが降り、崖からは絶え間なくかなりの量の水が流れ続けていたけれど、雨具の上下を着て長靴まで履いている我々は余裕だった。
峠は激しい風が吹きつけていて、絶景を楽しめたのもつかの間。それぞれ記念写真をささっと撮る。珍しく冷静な玉ちゃんが自分を撮ってほしいとカメラをよこした。歩きながらぺちゃくちゃ話している僕とテラと違って玉ちゃんは静かに黙々と歩いていたが、時折ぼそっと感動を口にする。「いやー、なんすかね、いったいこれ」言葉足らずだけど、言いたいことはわかる。
峠から下る道はジャイアントロベリアの森だった。かつてアフリカを一年を旅したのに、このような景観はどこでも見たことがなかった。あまりの絶景で、心の中を衝撃と感動が襲っては一人ため息をつき、仲間と目を合わせては頷きあった。きっと誰もが「来てよかった」とこの瞬間に感じていたと思う。道半ばで、そんなことを考えるのは軽率かもしれなかったけれど。
下りきってはまた激しい沼地地獄。これもまた現実。気を抜くと足が抜けないほどハマる沼地が延々永遠と続く。日程を短縮した分、初日は大変だろうけど、二日目からは余裕を持った行程だろうとなめきっていたのに、毎日朝に出発しては夕方まで動き続ける行程の長さと激しさ。「なかなかやってくれるよねー」と屈強な弘樹もぽそり。
進行方向の左手には美しいKachope Lakeがアッパー、ミドル、ローアーと3つ連なる。ため息が出るほど美しいコンビネーションだ。ガイドのモーゼスが指さしたすぐそこの森はビルンガ国立公園だという。すなわちコンゴ領が目と鼻の先だ。
3,974mのHunwick’s Campは比較的大きいキャンプで山小屋には我々の他に2名のトレッカーがいた。それにしても、繁忙期だというのにほとんど他のトレッカーに会わない。なんて人気がない大陸第三峰なんだ。カマボコ型の簡易山小屋は広く使えてそこそこ快適だったが、夜はテラに毎時間といっていいほど起こされる。高山病にセンシティブな彼はダイアモックスという薬を飲んでいて、その効用で頻尿になっていた。どうやら一緒に行った5年前のアコンカグアのトラウマがあるらしい。アコンカグアで彼は入山4日目で高山病の重度の肺水腫にかかりヘリでドナドナされ生死の境をさまよった。
赤道直下の雪景色
12月29日、歩き始めて4日目。今日も朝から雨だった。おかしい、おかしすぎる。インターネットを駆使した我々のリサーチ能力に間違いがあったのだろうか。12月下旬からは乾季に入り、山はベストシーズンを迎えるというのがリサーチの結果だったのに、毎日雨が降っている。雨の中でも美しすぎるこの地は、晴れてたらどんな絶景だったのだろうか。「なんでこんなに雨が降るんだ?」とガイドに問い詰めると「まだ雨季だから」という予想外の回答が返ってきた。「ええっ!じゃあ、いつから乾季なの?」と聞くと「1月1日から」と言われた、あと3日… きっと元旦からじゃないのだろうけど、このアバウトさもさすがアフリカ。
川沿いの木道を進み、その川はKitandara Lakeと名付けられた美しい湖となった。ジャイアント・セネシオがここに来て巨大化してきている。特異すぎる光景で、またしても昨日よりも美しかった。モーゼスが初日に言っていたことは間違っていなかったのだ。
木道はすぐに終わり、相変わらずヘビーな泥道となった。油断をすると膝下まで泥の中に埋まり、長靴が泥から抜けなくなった。Scott Elliot Passに向かって高度を上げると、雨は雪に変わる。バスを越えてからはしんしんと本降りとなり、あたり一面は雪景色だった。雪の中にニョキニョキと聳えるセネシオ。これはいったいどうなっているんだろうか。
まさにアフリカらしい景色の中で、しかも赤道直下で本格的に雪の降る不思議さたるよ。かつての探検隊もまるでおとぎの国に迷い込んでしまったかの錯覚ともとれる、この状況に出合ったであっただろうか。
ついに最終キャンプ地、4,485mのマルゲリータキャンプへと到達する。
暖炉に当たりながら濡れたものを乾かし、翌日の山頂アタックの作戦会議をし、テクニカルギアの使い方の確認をする。
夕食を山小屋で待っていると、窓の外に青空が見えた。あんなに雪が降っていて、厚すぎる雲に覆われていた空が急変したのだ。それも夕焼けのボーナス付きで。外に出て、壁をよじ登る。「うおー」興奮した弘樹が叫んだ。体調は回復傾向にあり、気分も良くなってきたようだ。彼だけでなく、みんな叫んでいた。目の前に見えるのはかつての探検家の名を冠したベイカー山だろうか。下方にはハート型の湖が見え、遥か彼方まで広大な山脈が続いていた。険しい山々に囲まれたこの地は歩いてしか到達できない秘境と呼ぶにふさわしい地だった。
このすごすぎる景色を誰かに見せてあげたかった。でも泥沼を4日も歩いてここに来たいと思ってくれる人を今は思いつかなかった。