少し経ってしまったが、新疆で起きている事件は本当にいたたまれない。
asahi.comより引用
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「ウイグル族のデモは北京時間の5日午後6時ごろ、市中心部の人民広場近くで始まった。非公式の現地時間で午後4時ごろにあたる。同日昼、「合法的に政府に抗議しよう」という携帯メールが出回っていた。「平和的だった」とウイグル族は口をそろえ、漢族の飲食店員も「暴力をふるう様子はなかった」と証言する。
だが警官らが立ちはだかり、一部が衝突。多くは大通りの解放南路を南下し、付近のウイグル族が次々と合流。規模が膨らみ、制御がきかなくなっていった。
衣料品店員は午後8時ごろ、解放南路でデモ隊と出くわした。すでにれんがや棒を持っていた。ほかの市民とともに隊列に加わり、「自由が欲しい」「ウイグル族よ団結しろ」と叫んだ。デモ隊は治安部隊に前後を囲まれ、石を投げて抵抗した。
前方の治安部隊が空に向かって警告射撃を始め、その後、水平に撃ち始めた。タタタタと銃声がし、50人ぐらいが倒れた。下半身を狙っているように見えた。銃弾が脇腹に命中し、苦しむ女性がいた。「帰れ、解散しろ、早く行け」と治安部隊が叫ぶ。
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シルクロード。
中国西の果て。
美しく過酷な自然が残る場所。
ウイグルのムスリムの優しい人々。
少数民族といわれるウイグル族の彼らは、チベット同様、政府に押さえつけられていた。
たくさんの差別があっただろう。
たくさんの弾圧があったのだろう。
抑圧をはね除けようと、必死でもがき、立ち上がり、そして、前よりもっと強い力で押しつぶされたのだと思う。これから先、しばらくも。
2001年。
新疆ウイグル自治区、パミール高原から、カシュガルへと旅した。
そして最後はウルムチへ。
途中、ウイグル族やキルギスの人々の家の近くにテントをはらせてもらった。
お茶を頂いたり、食べ物をもらったり、とても優しい人々だった。
なんでそんな話になったのか、今ではもう覚えていないのだけど、彼らのヤート(ゲル)でうどんを頂いているときに「中国の警官に暴行を受けるんだ」と20代前半くらいの男性が話したことを覚えている。
漢民族の警察が賄賂を請求しに来るのだと。
それを断るといつも殴られるのだ、と。
カシュガルは、まるで中国とは思えない、イスラムの独特の雰囲気が残る町だった。おそらくは中央アジアの雰囲気をかなり残している。
しかし、そこからウルムチへと電車で移動すると、町並みは一変した。
旧市街が少しは残るものの、町のほとんどはまるで北京のよう。毛沢東の銅像が立つ天安門広場のまがいものがあり、町は漢民族にかなり浸食されていた。
浸食という言葉が、とても適切な表現だと思う。
いずれはカシュガルもこうやって、漢民族に浸食されて、コンクリートが立ち並ぶつまらない町になるのだろう、と思ったのを今でも覚えている。
とにかく、彼らは抑圧する。
同一化を推進する。
押さえつけて、弾圧して、同じ民をひたすら送り込む。
個性は一切認めずに、ただただ、同じような町並みを中国全土につくりあげること。
それを使命とし、誇りとしているのだ。