キューバを時計回りにハバナからサンティアゴまで駆け足でグルっと回ってまたハバナに戻ってくると、一週間前に訪れた時の最初の輝きは失われ、街のペースが早く感じられたり、人もガツガツしている輩が多く感じられたり、まったく違う光景に捉えてしまっている自分がいた。旅人はつくづくわがままで自分勝手だと思う。でも我々は過ぎ去る者だからそれで良いのだとも思う。
一週間前は、ハバナで滞在期間全て過ごしても満足だとも思ったけれど、たとえ駆け足であろうとも違う都市や村も見れて本当に良かったと思う。
帰ってきてからも終始のんびりは出来ず、ヘミングウェイの『老人と海』の舞台となったコヒマールに行ったり、マレコン通りで夕日を見たり、レストランでキューバ音楽を聞いたり、ビールやモヒートを飲んだり、おみやげ屋をひやかしたり、とにかくホテルをとっている意味が無いほどホテルにいなくて、ずっと歩いている。
たった10日間の久しぶりの一人旅。キューバに来れてよかったなあとつくづく思う。
10年前とはまったく違う国なのだろう。5年前ともきっと違う国だろう。でも5年後はもっと違う国になっているかもしれない。
この国のことを語るには、もっとこの国のことを知らなければならないことは重々承知で言うならば、やはり奇跡のような国だと思う。
まず、もはや世界でも数少ない社会主義国であるということ。
そして、おそらく成功しているというカテゴリーに分けられるということ。
ソビエトがあのように転んで、中国は市場をあのように開放し姿を変え、それでもこのキューバは変わろうとしつつも旧来型の社会主義のやり方で成功している局面が多々あるということ。
この現代においてインターネットがまだ普及していないこと。すなわち情報統制が行われていて、自国の文化が守られているということ。(大げさにいうと鎖国のようなものかもしれない)
アメリカからの経済制裁をずっと受けつつ、様々な工作をされつつ、ずっとそれを乗り越えている。
いわゆる後進国や途上国というジャンルに分けられてしまうだろう国なのに、識字率がほぼ100%で医療が充実、治安も安全。これだけで、なんだこれという奇跡な状況。
ただ、それでも、キューバはやはり大きく変わる時期を迎えていると思う。
この奇跡を起こしたカストロがいなくなったら、魔法は解けてしまうかもしれないと思うのだ。だからその前に、と急いで行った感がある。
先にも書いたが、教育も医療も充実し、有機農業も発達し、治安もよく、ラテンならではの陽気でみんな幸せに見えてしまう。でも、大袈裟に言うと外からの情報をシャットアウトして、統制して、幸福状態を作り出している側面もあると思うのだ。
ヒトは自分とは違うヒトと比較して幸福度を測ったりするとも思うので、もしもインターネットが丸見えで、すぐそこの国々がハリウッドのように映ったら、いままで感じていた自分の幸せの価値観が崩れてしまうのではないだろうか。それがまやかしかもしれないというのは大人ならわかるかもしれないけれど、じゃあ若者はどうだろうか。
スマートフォンをもっている若者が多くいた。でも、だれもインターネットに繋ぐことはできない。
知りたいという欲求がある。それは人としての基本的で正しい欲求だと思う。でもその欲求を国が塞いでいる。そのような国が国民から支持されてずっとその体制で続くとは信じがたい。
世界は均一化へと向かっている。日本の地方の国道の風景が同じようになってしまったように、世界も同じ方向に向かっているような気がするのだ。そして、その波はキューバにもやってきてしまうのではないか。
旅人としては、より自分の世界と違うものが見たい。だからいつまでも変わらないでほしいし、特別・特異であってほしいと思うのだけれど、それはただの旅人の戯言。世界は変わり続けるし、このキューバもきっと変わり続けるだろう。だからカストロがまだ「いる」キューバに来れて本当に良かったと思う。
いきなりコメントして失礼します。たまたま佐々木様のブログを発見し、キューバ旅行の美しい写真と、キューバの現況を紹介される文章に見惚れてしまいました。「失われつつあるキューバに行きたいなら今すぐにでもいって、見て感じたほうが良いよ。」とあっては行かないわけにはいかないと感じさせられました。
キューバでの写真は三脚を使用されて撮影されていのでしょうか?佐々木さんほどの写真を撮る技量はありませんが、次回キューバへ行くときの参考にしようと思います。
Venceremosさん
コメントありがとうございます。
ぜひ行ってください!いい旅の目的地でした。
カメラはEOSの60Dというのを使っていて、三脚は今回なしです。自然の中に行って夜の写真が撮りたい時以外は三脚は持っていかなないことが多いです。