革命の街、坂の街、サンティアゴ・デ・キューバ

Cuba

夜サンティアゴに着くとカストロがお出迎え。
タクシーを探す。やたらバイクの二人乗りが多いので、バイタクと見当をつけて止めるとやはりそうだった。タクシーより安いし、現地通貨でしれっと払うともっと安い。宿に荷物を置き、街を歩く。坂の街といってもそこまで坂だらけのわけでもない。ガイドブックに載っていたレストランに入ったら広いのに客は自分一人。やはりオフシーズンのようだ。ポークステーキを食べたのだが、この旅で一番美味しかった。

翌朝、港へ行き、そこから坂を上がると賑やかな広い市場を見つけた。南国のフルーツ、野菜、豚・牛・ヤギの肉、そしてシーフードが売られていた。キューバでは加工食品はとても高いけれど、生鮮食品は本当に安い。工業製品や加工製品などを、うまく作る技術が欠けているのだろう。

お肉ボーイ #SantiagoDeCuba #Cuba

バナナボーイ #SantiagoDeCuba #Cuba

街を歩いて写真を撮る。疲れたら座って聴衆を眺める。カフェでコーヒーを飲む。暑かったらビールを飲む。そして時間が過ぎていく。久しぶりの一人旅は、最初は慣れなくてとにかく暇でやることがなかったけれど、徐々に昔のリズムが戻ってきて、ゆっくりと出来るようになってきた。それでも、旅が短いので、見たいものが多すぎて毎日深夜まで街を練り歩いて、ホテルにいる時間なんて本当にごくわずかしかないのだが・・・・旅のスタイルにも性格が現れているなあとつくづく思う。

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坂の街 #SantiagoDeCuba #Cuba

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インターネットを出来るところを探したが、国の人口1000万人で第二の都市のこの場所でもWi-Fiがあるところは高級ホテル一つのみ。それも2時間で1400円。馬鹿らしくてやめた。

午後にモンカダ兵営へ。
建物の大部分は学校になっていて、一部が革命ミュージアムに。こういった使い方は素晴らしいなあと思う。

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1953年7月26日、独裁者の圧政に反旗を翻してここサンティアゴのモンカダ兵営を襲撃した若きカストロは61名の同士を殺され自身も捕まる。どこで誰が殺されたかという生々しい写真が飾られていた。犠牲なくして革命が成し遂げられない、そんな時代。
捕まった彼は自分は無実になるだろうと宣言して、本当にそうなるのだが。弁護士だった彼は自分を弁護し、当時の政権の虐待や拷問の事実が明るみに出ると世論の支持も受け数年後に恩赦で釈放されるのだった。

その後メキシコへ渡り計画を練り、ゲバラも加わると、10人乗りの小型ヨットに80人が乗り数日かけて1956年に再びキューバへ帰ってくる。まさに運も味方するってやつだ。そして民衆に支持されながら山中での2年に渡るゲリラ戦を経て革命を達成するのだ。

ガイドブックではこれより短く省略されてしまうこのくだりだが、想像すると壮絶すぎる。山の中で2年間のゲリラ戦って・・・彼らは最初の襲撃時に犠牲になった同士を忘れることなく7月26日という腕章をつけて戦い続けたのだという。キューバを旅してると町中至る所にゲバラが描かれていて、カストロの絵はほとんど見かけない。もちろん戦略的に広報してるのかもしれない。キューバ人でもないのにNo.2になって活躍し、その後も理想を求めてコンゴやボリビアで転戦したチェはかっこいいけれど、カストロは凄すぎるなぁと、この国を旅しているとしみじみと思う。

色々な矛盾もあるだろうし、亡命した人や富裕者や文化人からは反論もあるだろう。(この国を愛して20年住んだヘミングウェイはずっとカストロを支持していたらしいけど)それでも、アメリカからの経済政策を受けつつ、ソビエトも崩壊する中、医療と教育が無料で、識字率ほぼ100%のこの国を作り上げているのは本当にすごすぎると思った。

そんなことを思いながら、再び夜行バスに乗り北上を開始する。慌ただしい旅である。

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