夜は郡山に泊まった。
朝は一路北へ。
仙台で、ちょっと観光。建築好きの嫁さんのリクエストにより伊東豊雄設計の仙台メディアテークを訪れた。外観は特に際立った特徴は感じられなかったけれど、内部の細部というか、細かいところがかなりかっこ良い建物だった。
東北に行きたいとずっと思っていた。
被災地を失礼ながら訪問して、復興の過程をしっかりと見ておきたい。子どもを産んだばかりで行けなかった嫁さんにも見てもらいたいとも思った。何より、あまりにもあの地を感じられない日常生活を送る中で、北の大地も忘れていないんだよ、と自分自身に言い聞かせたかったのだと思う。何かしたい、とは思っているのだけれど、その何かという具体的行動がわからなくて、やっぱり行動派の自分としては行くのがいいと思った。でも、ボランティアもせずに、被災地だけを巡るのはどうなんだろうとも思った。目的はいったいなんなんだろうか。何をしにいったらいいんだろうか、と。
だったら東北を観光で訪れる、というのがいいのではないか。それが今回最もしっくりとくる目的なのではないだろうかと思ったのであった。
仙台の後は日本三景、松島へ。ここも津波でかなりの被害を受けたと聞いていたけれど、幸いにも観光客はかなり戻っているようだった。橋はまだ壊れていたり、「がんばろう東北」「がんばろう松島」という表示も見かけたけれど、比較的元気な姿を見ることができたように思う。
そして今日の宿泊地、石巻へ。ムスコがお昼寝してしまったので、一人で北上川へと向かった。
ボランティアで訪れた地。
徹夜で運転して辿り着いた道の駅。
道中波打って崩れていた道路。ボランティアで綺麗にした民家や学校。崩壊した橋や材木や船が散乱していた田んぼ。それらを思い出しながら、夕暮れの北上川を海へと向かった。
川沿いの道路は過剰なほど、立派に再生されていた。田んぼはすっかり綺麗になっていた。そして何より感動したのはあのとき崩壊していた大きな橋が復活していたこと。夕焼けの綺麗さと相まって、なんだか感慨深い景色だった。
車を降りて、大川小学校へと行った。
被災地観光というようなものがあると聞いていたけれど、そのようなタクシーが数台。視察系の人がパラパラ。一年以上前に訪れた時は、スクラップされた車や、建物の基礎が残っていたけど、すべては片付けられ、クリアにされ、小学校が残るのみだった。
なくなったたくさんの子どもたち。そして残された家族。子どもを持った今だから、かもしれないけれど、何度想像しても胸がつまるほど痛く悲しい。当事者でもなんでもなく、ただの傍観者で赤の他人だけれど、涙が頬を伝う。いろいろ想うことがあり、そしてその想いを胸に秘めながら、道の駅で暖かい缶コーヒーを買って、自分の子どもの元へと戻った。