ブータンで民家に泊めてもらうといっても、かつてバックパッキングをしていた時のように、偶然の出会いとかではなく、ガイドさんにアレンジしてもらっただけだ。とはいっても、日常的に民泊を受け入れている比較的キレイで慣れているところか、あまり受け入れていない、より素朴で現実に近いところかと聞かれ、後者をリクエストした。
家はポブジカのガンテが見える、谷の中にあり、ブータンならではの巨大な家だった。
生業は農業と酪農。前述のジャガイモを育てていて、牛は主にミルク用とのこと。牛は一階で飼っていて、二階が物置、三階が居住スペース。これだと家畜が一階にいるから冬でも暖かいのだとか。ただ、衛生的には良くないらしく、近年この建築方法は禁止になったとか。
失礼ながら泊めて頂いた方のお名前をわすれてしまったのだが、角刈りの父さんとやわらかい感じの母さんの二人暮らしの家だった。娘が二人いて、どちらも首都ティンプーの学校に行ってしまっているのだけれど、ちょうど夏休みで20歳の長女が戻ってきていた。
入るとまず、一番立派な仏間に通されて、そこにはガイドのタシさんと僕の布団がすでにひかれていた。非常に綺麗な布団だった。
居間兼キッチンに通され、バター茶とお米で作ったお菓子が出される。バター茶はしょっぱくて昔から苦手だし、お米のお菓子もバターが絡めてあって、あまり得意ではなかった。でも失礼ないようにと飲む。家畜を飼っているからだと思うけど、終始ハエがものすごく、食べ物にダイブしてくる。ハエ取り紙でもあったらすごいことになるだろうなあ、と思ったのだけれど、ブータン人は基本的に敬虔な仏教徒で、輪廻転生を心底信じているので、めったなことでは折衝をしないらしい。なので、そのような何かを殺してしまうような、道具というかモノというかはこの国では売れないらしい。
この家では、お父さんが料理をして、お母さんと娘が牛の世話をしていた。力仕事がお母さんの仕事の感じ。なんとなく逆じゃないの、普通・・・
夕方になると、お母さんが搾りたての牛乳を採ってきてくれて飲ませてくれた。とても美味しかった。驚いたのは都会に出ている、いわゆるワカモノである娘さんが、文句の一つも言わずに足を泥だらけにして牛の世話を手伝っていたこと。日本ではなんだか考えられない。こんな田舎からと買いに行ったら「うちの家なんて田舎でダサくってさ〜、手伝いなんてしてられないわ」と日本のお年ごろの娘さんなら言おうものなのに、20歳でもまったくスれてもいないし。
なんで帰ってきてるの?と聞くと、「え、なんで?だって休みだから両親に会いたいし」ととてもピュアな答えが帰ってきた。なんか、いいな、ブータン。
暗くなると、ご飯の時間。ブータンでは比較的夜ご飯が遅いと聞いた。といっても19:00くらいなんだけれど、確かに田舎としては遅いかもね。
出していただいたのは、このようなご飯。
いつもながらの停電らしく、ソーラーのランタンみたいな電気しか無かったので、写真は暗い。
かなりの量のご飯(黒米でも混じっているのか、ピンク色)、国民食のチーズと唐辛子を混ぜたエマダツィ、それと野菜がオイルで炒められている物。基本的には唐辛子とか辛いものはかなり好きなのだけれど、お腹が強くない。この時も美味しかったのでたくさん食べてしまったのだけど、翌朝ちょっぴり後悔することに・・・
ご飯のあとは、蒸留酒をいただいた。でも少しでも目を離すとお酒にハエがダイブして、溺死。なので途中からコップを手のひらで塞ぐはめとなった。21:00には就寝。
いつものごとく、早く目がさめたので雨戸を空けて外を眺めてみる。雲が下まで降りてきていて、幻想的な眺めだった。
ただ、その光景をゆっくりと眺めることは出来ず、トイレに篭ること3回・・・
牛さんたちがのどかに草を食べていて、霧の中の家々が美しい。煙が上がっている家は朝御飯でも調理しているのであろう。外で顔を洗ったり、逃げ出した牛を少年が届けにきたりと、早くも時間は動いていた。家に戻るとこれまたお母さんが牛の世話をしていた。朝食は今日もお父さんの仕事らしい。
朝食は干し肉と唐辛子の炒め物。そして唐辛子だけの炒め物だった。唐辛子オンリーの炒め物はさすがに食べれなかった。
窓から見えた家の人に、ふと「幸せですか?」とココロの中で聞いている自分がいた。ここブータンはGNH(Gross National Happiness, 国民総幸福量)というGDPに変わる指標を持っていて、それはエコや持続可能系の団体からは長く知られた事実だったし、最近ことさら注目されていたし、昔ブータンに行った人がみんな本当に幸せそうだったと口々に言っていたからだ。
でも、そんな質問まったくの無意味だとすぐに思い直した。幸せなんてものは、あまりにも主観的な感情だし、外から見てもわかるものでは全くない。そして、こんな外部の者が測れるものでもなければ、図々しく聞くことでもない。
たった一日民家に泊まっただけでは、その国の暮らしなんてまったく分らない。
たった数日旅しただけじゃ、さらにその国のことなんてまったく分らない。でも泊まらないよりは泊まれたほうがよいし、来ないよりは来たほうがよい。
とても良い体験だったなと自分に頷き、再びティンプーへと向かう車へと乗り込んだ。