鳥の声で目が覚めた。5:00だった。朝食まで時間があったので、ホテルの周辺を散歩することにした。ホテルといっても町外れにポツンと立つ立派なゲストハウスといった感じなので、周囲は本当にのどかだ。川の対岸に畑と家が見え、上流にはプナカの街が見える。
ホテルを出て、坂を上がった。特別な景色ではなく、日常の光景なのだろうけれど、その日常の風景にすら、ただただ感動してしまう。本当に来てよかったなと。幸せの国で幸せだな、と。
雨上がりのせいか、雲が山の下まで降りていて、景色にアクセントを加えている。棚田が続く田園風景。よく手入れしてある田んぼに稲が気持ちよくまっすぐと立っている。今の時期がブータンの一番美しい時期ですと、タシさんの奥さんが来る前にメールで教えてくれたのだけれど、本当にそうなのかもしれない。見渡す限りのラッシュグリーン。
宿に戻る時に、通学途中の学生に会った。なんだか心温まる光景。みんな民族衣装を着ていたけれど、これが制服なのだとか。まあ、日本の学ランもセーラー服も海外の人から見たら相当特殊なんだろうな。
プナカのゾンに行く。
ゾンとはその地域の県庁みたいなもの。昔ながらの要塞をつかっているのだが、味があってよい。半分は行政的機関で半分は仏教的側面を持っている。日本で例えると、県庁の1階から5階までは各部署があって、6階から10階まではお坊さんたちのお寺、しかも住んでいる、みたいな感じ。
ゾンの前で民族衣装で携帯で話しているおっさん、しびれる〜。と思ったら剣を脇にさしたおじさまがやって来て、携帯の人もお辞儀。偉い人なのかもしれない。続々やってくる人はみんな民族衣装を着ている。時間にして9:15くらいだったのだけれど、いわゆる公務員の方々が出社して来ているとのこと。
「ブータン人はねえ、時間にルーズなの。ホントは9:00始業なんだけれど、少し遅れるのは気にしないよ。」とガイドのタシさん。ちなみに勤務時間は9:00-17:00で冬は16:00までらしい。スバラシイ!
家族連れや、子供連れの方もいる。その人々も民族衣装を着ているのだけれど、公務員ではなく、婚姻届や出生届、各種手続きかもしれないとのことだった。このゾンに入る人は一般の人もすべてブータンの民族衣装を着なくてはいけないというルールなのだ。ブータンではこれが正装というわけ。
これはうまい事をルール化したなあと思う。
日本もそうだし、世界共通だと思うけれど、人の服は西洋化している。フォーマルはスーツ、日常はパンツにシャツといったように。ここブータンでも、テレビが解禁されてから特に欧米の影響はつよくなったようで(もちろんインドの影響も)、若者はワックスを塗ったヘアスタイルと、ジーンズにTシャツというラフな格好がほとんどだ。農家のおじさんやおばさんも、民族衣装は手入れが面倒で暑いということから、ラフな格好をしている人が多い。
でも、このルール化。これにより公務員の制服として民族衣装が必然として残り、さらには学校や祝い事でも必須とされているので、どんなに一般の服装が欧米化しても、民族衣装は残り続けるということになっている。
日本だって、着物や袴や浴衣などをお祭りや祝いの席で着る風習が残っていて、それは決してダサいことではなく、むしろステキだと思われているよね。そうやって、昔からある自分たちの伝統を残していくのはとても大切だし、このような形でルール化したところに、ブータンやるなあ、と思ってしまった。
橋の入口にはチベット仏教ならではのマニ車。
一回転させるだけでお経を読んだと同じ効果があるという、「ほんとに?ズルくないの?」といった優れもの。橋を渡ると階段がどーーーーーん!と聳えていた。やばい、絵になるしステキ過ぎる。
このゾンは1637年に建てられたものが起源らしいが、その後水害や不審火などで頻繁に改修されているとのこと。それにしてもすごい。階段を上がったところに東西南北を守る神の絵があり、おじいさんが巨大なマニ車をずっと回していた。
中は左側が行政で右側が僧侶さんのエリア。
ほんと、ここはどこなのだ。まるで数十年、数百年前に迷いこんでしまったような光景がここにはある。
人、畜生、餓鬼、地獄、修羅、天の世界の輪廻転生の図や、ブッダの歴史、ブータンの神々の歴史、ブータンのゾンを一昼夜で一人で立てたシャブドゥンの話など、覚えきれないくらいの盛りだくさんの話を壁画やお寺の中を見ながらタシさんに聞く。
ブータンは本当にアイデンティティを確立してる、豊かな国だなあとつくづく思う。
続いて田園の中のチミラカンへと向かった。
道中は、どうなのこれ・・・女性だったら下を向いてしまうような男根の絵が色々なところに書かれている。それは、このチミラカンという寺が子作りの寺だからという訳ではなく、ブータン全土で見られる絵らしいのだ(確かにその後も沢山見た)。ブータンではこれらはポーと呼ばれ、神聖なものとして崇められている。確かにさ、人々が反映していくためには子孫が必要だろうし、子はいつの時代も宝だったはず。それにしてもねえ、なんか出ちゃってるし・・・
田んぼの中をゆっくりと抜け、坂を上がってお寺まで。
チミラカンの隣には菩提樹の木があり、たくさんのダルシンやルンタが周囲の丘を覆っていた。
多くのちびっこ僧侶達が中で楽しそうに勉強している。それは平和な一コマ。
ここからさらに東へ。標高3,360mのペレ・ラへと道は向かい、旅は続く。