今回のバスはレーベン号といって、茨城の中古車会社さんがバスを提供している。震災からほどなくして、バスを出し始め、それが今では二台となり、毎週金曜日に東京と茨城発、土曜日作業、日曜日朝に戻る、というのを続けている。
行った先は岩手の陸前高田だった。震災後初の岩手である。
23:30に東京を出発して、町に入ったのは8:00頃だろうか。前回の南三陸市街地と比べると、とても片付いているなという印象。建物だった部分にはほぼ、コンクリートの基礎だけが残り、瓦礫などは一か所に積み上げられて、いたるところで重機が動いている。
しかし積み上げられている瓦礫の高さが半端ない。ビル3階分など平気であるのではないだろうか。
ボランティアセンターで団体で手続きして、今日の作業は気仙町の瓦礫撤去になった。田畑みたいな地形なのだが、人が生活されていた場所でいたるところに散乱している自然物以外のものを片付けるという作業。
水路に入った瓦、砕け散った基礎、トタンの屋根やお茶碗に鍋。この家のモノだけではないのだろうけど、いたるところからあらゆるものが出てくる出てくる。
実際に作業をした時間は午前2時間、午後2時間。移動時間と比べるとあまりにも少ない。ただ、40人もの人間が集まると機動力はすごくある。
本当にたくさんの瓦礫が集まった。
正直、この作業が今後どのように活きていくのかは今はわからない。
この土地がどのように活用されるかによるだろうし、ここに住んでいた人が、この状態を見て満足してくれるのか、はたまた住んでいた人はもういないのか、わからないからだ。もしかしたら重機でガツンと土を盛ってしまった方が早いのかもしれない。
ただ、今日ここにいた皆にとって、この場所で作業をしている行為が無駄ではないよなと思う。自己中心的な考え方かもしれないけれど。
本当にいろいろな想いの人がいる。それだけはたくさん感じた。感じることができて、本当に良かったと思う。
大船渡に親戚がいたという少年が参加していて、小学生なのにすごくがんばって働いていた。夜に話すとその親戚は津波にて亡くなってしまったという。「津波で死んじゃった」とぽろっと普通に言うのだけど、こう言えるようになるまで、普通じゃない時があったのだろうなあと、勝手に想像してしまう。
あれから、8ヶ月。8ヶ月もたって、まだボランティアの手を使っての瓦礫撤去なのかと思うと、先の長い行程に住民の方は途方に暮れてしまうよなと思う。今日作業したところの上の田んぼはこのような ↓ 状況だった。まだ車が埋まっているんだよ。
作業を終えた後は、気仙沼に行ってお風呂に入って、プレオープンしたばかりの復興屋台市場というところに行った。
餃子とビールを飲んだのだが、店のおばさんはずっと仮設にいたらしく、「はたらくっていいなあ、体を動かすのっていいなあ」としみじみと言っていた。
気仙沼の港では、まだいろいろなものが海の中に沈んでいた。
再びバスは東京へ。日曜の朝4:30、東京駅へと着く。
終電を逃したのか、はたまた今まで飲み続けていたのか、だれもがぐったりと寝ている始発の電車に乗って家路に着いた。それは東北とはかけ離れた、日常の平和な光景だった。
また行こうと思う。
今回東北に行く機会を作ってくれた、このバスを企画運営している人々に感謝したい。