ずーっと待っていた自社の震災関係の支援物資がようやく届き、それを届けに福島県のいわきに行った。
常磐道は正常に繋がっていたが、道は所々バンピー。いわきについてからの国道はけっこうひどかった。かなり波打っている。これでも治したということだが、1ヶ月以上前になるだろうか、あの余震はひどかったもんな。
4団体に届けることができたのだけど、やはり現地の人の言葉はニュースや新聞の伝えるものと全く違う。ここでも百聞は一見にしかず、とつくづく思った。
いわき市自体が神奈川県の半分の面積という広大な場所なので、もちろん場所によって被害の差はかなりある。海岸線では津波にやられ、400名がなくなり、北端は原発から30kim圏内なのでいまでも避難地域。南部は比較的ダメージは少ないが、それでも場所によっては断層やらなんやらで、家が傾いたり瓦が落ちたり、被害は広範囲かつ、種類が異なる。
常磐地区や小名浜の方に話を伺った。
原発が一回目に爆発したときは、風が南に向かっていなかったので、放射能物質はほとんどやってこなかったという。ただ、二回目の爆発の時は風が南に向いていたので、東京にも向かい、ここいわき市にも多数の放射能物質が降った。ヨウ素が多いのか、当時は20マイクロシーベルトあったというのだが、現在では落ち着いて、僕が持っていったガイガーカウンターでは最大0.2マイクロ、大体は0.12〜0.15くらいと決して高くはない。風向きにもよるのだと思うけど、ここいわき市に関しては結構風評被害というのはあるのだなあと思ってしまった。
なので、当時はかなりの子どもや妊婦さんなどが避難していて、子どもたちも室内から出られない状態だったらしいのだが、現在は結構な人が戻って来ていて、子どもたちも外で遊べているらしい。ちょうど小学生の下校時間と重なったのだが、低学年のこはけっこうマスクをしているのを目にした。
海岸線にも行ったが、場所によっては津波に被害も確かにひどい。だが宮城のように壊滅というよりは場所によってムラがある感じだ。なので、ここでは津波に加えて、余震と放射能からの被害がものすごいのだなあと感じた。
実は嫁さんのおばあさんやおばさんの家がこのいわきの小名浜にあって、少しだけ寄らしてもらったのだが、余震の影響がかなりひどい。瓦はかなり落ち、ドアはヒシャげ、壁にはヒビが入ってしまっていた。「天災だからしかたねえ」って91歳になるばあさんは言っていたけど、ほんと大変だなあと心から思った。
どう結べばいいのかわからないのだけど、終止ガイガーカウンターで計測した結果だけはプラスだったと思う。東京とそこまで変わらないということ。なので、近々ひ孫を見せにまた来ようと思う。