地震メモ 1 Month 情報過多な世の中で

あの日から今日でちょうど一ヶ月。
死者不明者は27,000人を越えた。もしかしたら死者は100名いってしまうのでは、と思っていたあの日の自分が懐かしい。不謹慎ながらも、ちょっとワクワクしながら気分が高揚して一人で4時間歩いて帰ってきたことも懐かしい。あまりにも壮絶な出来事だった。なんかいろいろなことが根本から変えられてしまって、決して過去には戻れない。
改めて思うのは、一寸先はわからないのだということ。だから昔からそう思って生きてきたつもりだけど、悔いのないように生きたいと改めて思う。

今日は余震がかなりあって、ひとりぼっちのオフィスはかなり孤独だった(みんな海外出張に行ってしまった)。基本びびりだ..... Read the rest

地震メモ Day 25

暖かくなったので計画停電はほとんど終わり、街は何事もなかったかのように普通に戻ろうとしている。お店の閉店時間も遅くなってきたし、止まっていたエスカレーターも動き始めた。駅構内の照明は多少暗いままだし、店舗の照明もまだ100%ではないけれど、また元に戻ってしまうのだろうか。

でも僕らはあの地震の前には決して戻れないと思う。毎日入ってくる原発のニュースにただただ絶望を感じる。ひどい、と頭を下げて落ち込んでいる状況が、毎日ますますひどくなる。耳を塞ぎたくなる、情報をシャットダウンしたくなるほどだ。

昨日、低レベル(といっても基準値の100倍)の水をジャバジャバと海へと流し始めた。海の生物たちに申し訳なく..... Read the rest

地震メモ Day22 南三陸町へ

ものすごい眠気にやられた今週だった。息子よ、寝てくれ・・・
あれから今日でちょうど3週間。日常と非日常(被災地)の頭の切り替えが上手くできない今日この頃。仕事にまったく集中できない。
少し前の話となってしまったけど、先週末ボランティアをしに行ってきた、南三陸町の様子をもう少しまとめてみる。

25日(金)友人のShinyaと夜中に三鷹を出発。那須高原で40分ほど並び給油をして、一路北へ。途中から雪景色に変わった。なんだかやたら車がバウンスするのだけれど、地震の影響で道路が歪んでしまっていることにあとで気がついた。
週末なので、自家用車が多い。と同時に、やたらと電柱を積んだ車を目にする。被災地はすでに復旧..... Read the rest

地震メモ Day17 宮城の登米へ

モンベルとエコツーリズムセンターが中心となって救援を行っている、RQ市民災害救援センターのボランティアに週末行ってきました。宮城県の登米市に拠点があり、休校となった中学校の体育館には50名のボランティアと多数の救援物資が積み上がっていた。

tome01

今は、救援フェーズなので、この物資を被災した人々に届けるのが日常の仕事。
実際に被災地に足を運んでみて、ただただ言葉を失った。やはり自分の目で見るのは違う。詳しくはまた明日以降にかければと思う。

tome07

tome08

tome02

tome03

tome05

tome09

tome10

にわかジャーナリストになるつもりはないので、複雑なコメントは差し控えるが、ここが同じ日本、あの東北とは今でも頭の中できっと整理ができないでいると思う。..... Read the rest

地震メモ Day15 あれから2週間

3月11日の地震からちょうど今日で2週間。
明日からボランティアに行くので、お米を10kgとお酒や行動食を買いに行った。20:30、ガストの明かりがついていて、店内はやけに平和だった。そうだ、明日は停電がない週末だもんな。企業が休む週末には停電がなく、それ以外の日は停電がある、関西に暮らしている人や、ぼくだって以前だったら信じられないような現実だけど、みんな比較的文句も言わず受け入れて、ルールに沿っておとなしく暮らしている。明日は一日明かりのある、平和な日ってわけだ。

20:00過ぎると大抵のお店は閉まっている。その暗黙のルールにも、なんだかなれてしまった。やればできるじゃん、俺たち。でもまだ気持..... Read the rest

地震メモ Day12

原発問題、新たなフェーズ入り。東京との浄水場から規定値の二倍の放射線が観測され、都が23区の乳児に水を飲まないように勧告。水パニックがにわかに起きて、水や麦茶などはどこもかしこも売り切れ。兵庫の友達に聞くと、かの地でも売り切れらしい。

土壌もジワジワと汚染され、北西に30キロ離れた場所で通常の1600倍の放射能。ヨウ素は8日で半減するが、セシウムは30年だとさ。
美しい私たちの国が、本当に広範囲に渡り汚染されてしまった。原発は今も制御不能で根本的には解決の糸口が見えていないので、これらの数値は蓄積するものの、減ることはあまりないのだとう現実を突きつけられる。本当に本当に悲しい。..... Read the rest

地震メモ Day10-11

Day10
車でビュイーっと姫路まで、疎開した子どもと会いに。
久しぶりにふつうの世界。売り切れもない、緊迫感もない、ここは何も変わらない日常だ。情報過多で疲れていたし、ここ数日原発の動向が気になっていたのでなんだかホッとする。
帰路、東名はものすごく混んでいた。90%以上は物流のトラックたち。午前3:00でもトラックだらけ、異常だ。雨だし運転がものすごく怖い。でも丈夫でしっかりしている西から、弱って物不足の東へと物がどんどん移動しているのだ。すごく普通の流れ、日本は健康だよ。

Day11
朝からみのもんたのテレビで、放射能はまったく問題ない、とのコメント。いやー、それってどうなのよ。とにかくメディアぐ..... Read the rest

地震メモ Day9

今日も西日暮里のボランティアセンターへ。
山形には新規で30名のボランティアが来てくれたという。やっぱり日本人の助け合い精神はすごいと思う。着々と震災tの現場へ物資が届けられていることだろう。
ボランティア希望の方と話していると、とても元気が出る。いつまででも行けますとか、週明けに上司と相談して休みますとか、19歳の熱意を持った未成年だったり。

今回、「阪神大震災の学びから・・・」というコメントで現地への対応がかなり遅れてしまったんではないかとちょっと思った。被災地にむやみに入るべきではないのだけど、自らが自立できる人はどんどん入れば良かったのではと今更ながら後悔した。何てったって、ここは神戸/阪神..... Read the rest

地震メモ Day8 ボランティアに行く

すべてを変えてしまったあの地震からまだ一週間とちょっと。果たして現実だったのか、夢だったのか、その影響のあまりの大きさに錯覚がおこる。
今日は西日暮里のエコツーリズムセンターへボランティア。昔の職場(ホールアース自然学校)のボス広瀬敏通が代表を務めている組織。ここは今全国の自然学校やガイド系の要望などを取り入れつつ、モンベルのアウトドア義援隊と協力し、被災地の支援を行っている。
→詳細はこちらから

仙台に拠点があっただが、原発のリスクを鑑みて、拠点を山形空港のすぐそばの天童市に移した。すでに広瀬さんなどは現地入りしていて、天童市をベースにしつつ、その他3拠点、気仙沼/登米市/仙台にサテライトを構築し..... Read the rest

地震メモ Day7-8

Day7
ようやく落ち着いてきた7日目。
計画的な停電が実施されているのだが、うちはまだ体験したことがない。
今日は冷えたので、夕方になると大規模停電が起きるとニュースで発表された。そのとたん帰宅する人が多くでて、電車は相当なカオスになったよう。「停電始まるから混乱する前に帰りな」と言われた人の大号令で、駅はパニック。
実家に帰る予定があって、19:00に電車に乗ったのだが、埼玉までの3路線、すべてがら空きで座れた。
家族全員で家族会議。混乱時にどうするか、離れ離れになったらどこに集まり連絡するか、死んだらどうするか、兄弟で仲良くやって頂戴と親からの改めてのメッセージだった。
震度3レベルの余震が3回。も..... Read the rest