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知らぬが仏の砂漠道 (パキスタン)
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ラホールへ着く1日前の夕方、ぼくはサトウキビ畑の中を走っていた。今日は野宿をするしかないみたいだな。野営場所を探しながら走ると、道の側に広い空き地がある、いや空き地というよりはサトウキビの積み込み場所のようで、運動会で使うような大きなテントがポツリと建っていた。どうせどこに隠れても見つかるなら、かえって人目に付くところでにテントを張ってやる。その方がなんだか安全な気がする。
 ここに決めーたっと。細い用水を跨ぎ、その場所へと自転車をもって歩み寄ると、無人と思われたテントから背の高い老人と、体格のいい青年が出てきた。
「ここにテントを一晩張りたいのですが、張らせてもらえますか」
 彼らは首をかしげた。
「ここに、これを立てて、寝るの」
 ぼくは手で四角形を描き、眠るしぐさをした。何度か繰り返すとどうやら分かったらしく、首を縦に振った。
 こっちへ来いとしぐさすると、青年は、ぼくの手を強引に掴みテントの方へ連れていった。テント内部の中心には縄で作ったベッドが置いてあり、その横に小さな机が置いてあった。隅にはかろうじて一人が寝転べる程のスペースがある。
「ここに寝ればいい」
「いや、外でいいんだ。」
 というより、ぼくはむしろ外に寝たいのだ。テントの中で一人本でも読みたいのだ。いくらそう言って断っても、その青年はしつこく進めてくる。
「でも寝るスペースがないじゃないか」
「いや、俺はもう帰るんだ。俺の相棒と2人で寝ればいいさ」
 そう言われ、背の高い老人の方を見ると、彼もにやにやしながら中で寝ろという。
「大きいベッドで寝ていいよ。おれは小さいほうで寝るから」
 中を指差しこう言っているようだった。そこまでいわれては断るわけにはいかず、諦めてそのテントに寝ることにして、自転車も一緒に中に入れた。

 暗くなり、若い方の男が帰っていき、その老人と2人きりになると、まったく会話がなくなってしまった。その老人は一言も英語を話せないのだ。
 しばらく経つと老人が無言で、机の上の袋を開け、弁当らしき物を食べ始めたのでぼくも料理をつくることにした。今日のメニューは肉野菜炒めと、チャパティーと呼ばれるパキスタンのパン。老人を見ると、彼はステンレス容器に入ったカレーを食べていた。弁当までカレーなんだなあ。
 ここ最近の常食となった肉野菜炒めを作り、それを口に運んでいると、老人が興味深そうにジーっと見つめていた。食べるかと聞いてみると、彼はうなずいて、手掴みで肉ばかりを取るとそれをガツガツと口へ運んだ。食後にみかんを食べている時に、それも食べるかと聞くと、彼はぼくの手から引っ手繰るように奪い取った。

 なんか変だこいつ。背筋がぞっとした。
 その後日記を書いていると、もう寝ろとしきりにいってきた。そしてぼくのベッドに座り肩を抱いたり、背中に手をずっと当てたりと怪しい行動をとってきた。
またかな・・
「そんなに寝たいなら向こうで寝ればいいだろ。あっちで寝るっていってたじゃん」
 彼はうなずきながらも、ぼくの横からは離れようとしない。
「俺は一人でここに寝るんだよ。いい一人、エクだ」
 エクとはウルドぅー語の1である。それでも彼はどかない。
「いい、おれはここでエク、あなたはあそこでエク、わかった」
 そう言うと大きく肯いたので、わかったとのだと思い、ぼくは布団を掛け寝転がった。するとそいつは何も言わずに、そしてそれがさも当然であるかのように、同じ布団の中に入っくるじゃないか。
 やはりこいつもホモなのだ。ぼくは怒って起き上がった。
「あっちで寝ろ。早くどけよ」
「サルディ、サルディ」
 寒い寒いと、彼は連発した。つまり夜は寒いから一緒に寝れば暖かいということらしかった。
「何がサルディだよ、そっちで寝るっていったじゃないかよ」
「サルディ、サルディ」
 それでもしつこくそう言うので。ぼくはさらに怒って布団を彼に投げ、自分はバッグから寝袋を出しそれにくるまった。そこまですると、彼はさすがに諦めたらしく、隅の寝床で布団に包まった。

 肩を叩かれた。目を開けると辺りはまだ真っ暗で、老人がベッドの横に立って何やらしゃべっている。時計を見るとまだ5時だった。
「寝てくれよ、何時だと思っているんだ」
 そう怒ると隅の寝床に帰っていった。やっぱりこいつはどこかいかれている。
 朝起きて、その老人の方を見るとこっちを見ながらウルドゥー語でぶつぶつ一人ごとのようにしゃべっていた。
「ポリス、イラン、国境」
 ぼくが聞き取れたのはそれだけだった。こいつは本当に狂っている。別にぼくは頼んでここに泊めてもらったわけじゃないのだ。こんなとこ飯を食ってさっさと出よう。
 ぼくはバックからパンを出しナイフでジャムを塗り始めた。それを見た老人は、またがめつく、くれくれとしつこく言い寄った。だけど嫌味のぼくは、昨日のことに腹を立てあげようとはしなかった。
しつこく頼まれても、怒って首を振り続けた。

 一瞬のことだった。老人はジャムの瓶にさしてあったナイフに手を伸ばし、それを抜くと、ナイフの先をぼくに向けた。
「う〜…」
 老人は完全に逆上していた。ナイフの矛先は依然ぼくに向けられたままだ。
「落ち着け、落ち着いてくれ。悪かった、パンはあげるから」
「う〜」
 彼はナイフを振り回した。
「ウーッ、ウーッ」
 ぼくは必死になってそのナイフを持った腕を掴んだ。男は老人とは思えない力でナイフをぼくの方へと下してくる。ぼくは必死で、少しずつ顔の側へと近づくナイフを遠ざける。
 まるで映画のワンシーンのようであった。でも、映画の中のジャッキー・チェーンのようにはいかず、いかにそのナイフを顔から遠ざけるかということで、ぼくの頭はいっぱいだった。
 左手に力を入れて必死でナイフを顔から遠ざけるが、遂にはベッドに押し倒されてしまった。
「フー、フー」
 激しい息使いをしながら、その男は唇をぼくの顔に擦り付けてきた。やばい!さされる!
「そうだ、逃げればいいのだ。すぐそこは道路じゃないか」ぼくはとっさに閃くと、力一杯男を壁に押し当て、裸足で外に駆け出した。一目散に道路へと向かい、手を振って助けを求め、大声で叫んだ。
「だれか助けてくれー」
 車は一台も通らなかったが、男はテントから出ると、意外にもあっさりと道路と反対の畑の方へ一目散に逃げ出していった。警察に捕まるのを恐れたのだろうか。イスラム国では外国人に罪を犯すと、腕を切り落とすほどの重罪になるというのを聞いたことがあるけど、この国でもそうなのかな。
「なんにせよ、助かった、よかったよかった」ぼくはほっとしながら裸足のまま、テントへと歩き、中に入り荷物をまとめた。一体なんだったんだろう。テントの中には朝食の残りが散乱していた。もったいないなあ、そう思って、外でパンの残りを食べ始めた。パンを食べ終わると、このままここを出るのもしゃくだと思ったので、牛乳の残りを布団にぶちまけてやった。ちくしょーい!

 今日にはラホールに着くんだな。それにしても何なんだよ。
 つい先程ナイフで刺されそうになったというのに、ぼくは何にも感じなていなかった。ただ土産話が増えたくらいにしか思わなかった。イランの川で物が流されて以来、ぼくの精神は格段と強くなっていた。以前は少しのことで落ち込み、何にでも簡単にショックを受けたりしたのに、今は少しのことでは動じなくなっていた。でもそれは同時に危険な事に鈍感になっているということでもあった。

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