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さらなる試練 (イラン)
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テヘランからイスファハンまでは実際に430キロ。それを5日間で走る。ぼくにとってはいくら山道とはいえ、これはかなり遅いペースだった。自分で決めた毎日の到着点へさえも辿り着くことができなかった。逆風や山道のせいもあったが、それよりもテヘランで崩した体調がまだ完全に回復していないようだった。

 イランの京都、イスファハン。イランの京都、イランの京都、そうイメージを膨らませていたぼくはイスファハンに着いて、まず失望した。
 イスファハンについて『深夜特急』のなかで沢木耕太郎はこう触れている。「日本人はイランの京都と呼ぶ。しかしその譬えは、偉大なるダリウスの末裔に対して礼を失したものであるかもしれない。かつてイスファハンは「世界の半分」と謳われ、162のモスク、1802の隊商宿、273の浴場を持ち、西アジアの富が流れ込んでいたといわれるほど壮大な都だったのだ」と。
 しかし彼が旅をしたのは20年以上も前のことだった。現代ではイランの他の都市と同じように排気ガスに侵されていた。外から眺めた町はスモッグに覆われ、町の外は無数の工場に囲まれていた。ぼくが「京都」とかってにイメージをつくってしまったのがいけないのかもしれなかった。

 早速貧乏旅行者の集まるという「アミール・カビール」と呼ばれるゲストハウスに行った。宿の主人にドミトリーだろと言われたが、シングルはないのかとぼくは聞き返した。ぼくは別に誰かと話したい気分ではなかったのだ。
 日本を出て早5ヶ月、ぼくは精神的にかなり強くなっていた。特にイスタンブールからここまで独りでいることが多かったので、ひとりという環境に強くなっていた。独りでいても楽しかったし、寂しくなんてなかった。別れた彼女のことなどほとんど忘れ去っていた。自転車だけがぼくの唯一の友達だった。
 しかしそれは危険な兆候でもあった。独りに強くはなったが、人恋しさや、人のぬくもりを忘れてしまったような錯覚もした。全ては自分が中心で、自分の事ばかりが気になった。強くなるのと引き換えに何か大切なものを失ってしまった気がした。
 小さな村を通れば、すぐに大勢の人間に囲まれた。どの村を通り過ぎる時も必ずと言っていいほど男がバイクで追いかけてきては、話し掛けてきた。中には親切な人もいたし、嫌味な男もいた。しかし全てをひっくるめて、その回数のあまりの多さに、ぼくは彼らをただうざいとしか感じなくなってしまっていたのだ。
 独り旅特有の病気が悪化してきている、これは重体だな。
 
 実際に街を歩いてみると、いくら排ガスに侵されていようと、確かにここは美しく楽しい街であるに違いなかった。王の広場、そしてその広場に建つ王のモスク、マスジッド・シャーの煌びやかな青いタイルは、今までぼくが見たどのモスクよりも美しかった。サファビー朝時代に造られたバザールを冷やかし、暇になればザーヤンデ川に架かる美しい5つの橋を巡り、その袂のチャイハネでチャイを飲んだ。
 市内を走るバスに乗ってみた。すると、ここイスラムの国では、女性と男性が別の車両に乗らなくてはいけないのだ。前の車両は男性、そして後方部は黒いチャドルに顔を包んだ女性が乗り、彼女たちが料金を払うときは、一度後ろの車両から外に出て、最前列のドライバーまで払いに来るのであった。奇妙なもんだ、そういえばタブリーズで会った男性が、この国では結婚していないと手をつないで外を歩くこともできないと言っていたな。中東の石油産出国の金持ちが、一夫多妻制で女を侍らしているぼくのイメージとはずいぶん違うようだ。
 ちなみにバスの料金は10円もしない。なんてたってガソリンが5円だからなあ、それに国内の航空線は1500円と聞いた。なんかチャリで移動しているのが、ばからしくなってくる。

 テヘランと違いここイスファハンは落ち着いて滞在しえる場所であった。長期旅行者がこの町で一息入れるのも十分納得できた。
 しかし、しかしである。ぼくはこの町で全くと言っていいほど落ち着くことができなかったのだ。理由は全くわからない。ぼくの動悸は常に荒かった。心臓の音が聞こえるかのようだった。街を歩いていても、宿で休んでいても、なぜか心が落ち着かないのだ。ゆっくりと手紙を書こうと思って便箋を持ち椅子に腰掛けると、手が震え、ちっともペンが進まないのであった。
 なぜかそわそわした、胸騒ぎ、そんなようなものだったかもしれない。それはこれから起こる悪い出来事をでも予想したものなのかもしれない、もしくはただ単に、のんびりしないで前に進めという事かもしれない。
 しかし、動悸が収まるのも待たず、その理由もわからぬまま、ぼくはイスファハンを後にした。

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