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さらなる試練 (イラン)
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テヘランまで800キロ超、ぼくはまずはイランの首都へと向かうことにした。それにしてもイランは広いなあ、地図を眺めながら改めて思った。パキスタンへはイランの北西から南東へと抜けることになるのだが、軽く見ても3000キロ以上はある。これは急がないとヴィザの期限内に抜けられなくなってしまうぞ。
 シュッパーツッ!
 それにしても今日で自転車をこぎつづけて何日目だろう。やめやめ、そんなの考えると疲れるからテヘラン着くまで数えないでおこう。
 久しぶりに一日中太陽に照らされた。そのおかげでとても暖かい。町と町の感覚がとても広く、その間にはなーんにもなかった。トルコの山の中を縫うような道とは違って、見晴らしのいい開けた風景が広がる。それでも遠くの景色は、360度、連なる山々に囲まれており、道は相変わらず上っては下りの繰り返しだった。
 でも、それを抜かせば暖かいし、道路のコンディションは最高だし、子供は石を投げてこないし、いーじゃない、イランいーんでない。

 今日から300キロはオオカミ出没地帯とあり要注意だ。念のためいつでも火で追い払えるようにとガソリンを用意する。
 本日のゴールはEv Oghli、そこには宿があると聞いていたのだが、着いてみれば町とは呼べないような小さな村落だった。人の話しも地図も当てにはならないものだ、予想通りホテルなどなく、どこかにホテルはあるかと聞くと、100キロ以上先のタブリーズだと言われたのであきらめて村の外れにテントを張った。
 早朝、寒すぎて目が覚める。外に出しておいた水を含んだ食器洗いのスポンジは凍りつき温度計は0℃を切っていた。凍えながらもこぎ始めるが、二重手袋も、二重靴下も意味をなさないんじゃないかと思えるほど、ジンジンと寒さが伝わってくる。こりゃートルコよりも寒いや。太陽があがった日中は暖かいのだが、陽がないとこんなに冷えるというのは、この砂漠的風土のせいだろうか。
周囲は農作物はおろか木の一本さえも生えることが許されないような荒れた大地。生えている植物といえば、西部劇に出てくるような干からびた枯れ草のようなものだけである。しかしそんな土地でも桑で開墾している人々がいる。何処にでも人間は住もうとするんだな、がんばれ。

 そんな砂漠だかステップだか分からない土地に伸びる一本の細い道。そしてその道をひたすら前へと自転車で突き進む。まさに荒野を進むだ、なんかかっこいいな。
「ラクダ!?」
 突然のことだった。なんと、その見晴らしのいい道の向こうにラクダの大群が見える。ペダルを勢いよく踏み込み、急いで近寄ると、正真正銘のラクダが、車の通行を妨げ道路を横断していた。
1、2、3、4、軽く30頭はいる。のんびりと歩いているもの、しょんべんをしているもの、ムシャムシャと周りを見向きもせず枯れ草をむさぼっているラクダ。日本で鴨の親子が道路を横断するのなら見たことがあったが、なんとラクダとは。
 ここは、イランなんだな。
 ぼくはつくづくそう思った。そのラクダは放牧中のラクダだった。今までヤギや、羊の放牧は幾度と見てきたが、まさかラクダも放牧するものとは知らなかった。ラクダの中に一頭鞍が付いたラクダがいて、ラクダと一緒に歩いていた鞭を持ったおじさんは、どうやらそれに乗ってきたようだった。
 あまりにもぼくが長いこと口をぽかんと開けて興味深そうに見ていたのか、そのラクダの飼い主のおじさんが側によってきた。
「すごいねー」
 感激のあまり、ぼくの口からはそんな言葉しか出てこなかった。もちろん日本語である。
「乗ってみるか」
 突然彼はラクダを指差すと、こう言った、いやこう言ったのだろう。
「いいの」
「ああ、乗ってみろ」
 ラクダに乗るのは意外と大変だった。なんせ背がとても高いのだ。やっとのこと乗ると、その下を見下ろすような、そして遥か遠くまで見渡せるような展望にまるで偉くなったみたいだった。ラクダは決して速い速度では走らず、むしろ遅くゆっくりと動くというのに、らくだの上では体が前後に激しくゆれる。はしゃぐぼくを見て、おじさんは満足げに微笑みながら何度もうなずいた。

イラン西部最大の都市タブリーズを過ぎると、道はまっすぐに山の方へと向かい2時間の上りが続いた。ちょうど峠にさしかかるころ、辺りは真っ白な空気で覆われ、視界が急に悪くなった。
「雨か?」そう思った瞬間、空から白い粒がたくさん降りてきた。
「まさか」時は11月1日そう思うのも無理はなかった。しかし、それは紛れもく雪だったのだ。それも大粒の雪である。雪は徐々に激しさを増し、やがて吹雪となった。頬に当たる雪が痛く、まるで吹雪いているスキー場にいるみたいだった。周囲には何もなく、ぼくに前に進むしかなかった。しかしこの最悪の状況の中でむしろぼくはワクワクしていた。
 そうこなくっちゃね、と。
しばらく走り峠を越えると、坂は急な下り坂に変わった。風にのってものすごい強さで雪が吹き付けてきた。坂を下りきると道路の脇に茶屋がぽつんと立っていた。
「助かった」そう思いドアを開けたぼくはさぞかしひどい格好をしていたのだろう。主人が駆け寄ってきて暖かいお茶をなみなみと注いでくれた。お茶を何杯も飲み、体を温めながら、カッパを乾かし雪が止むのを待った。出るときに主人に代金を払おうとすると却下された。
「がんばれよ」
ペルシャ語は分からないけど、きっとそう言っているのだと思った。

 峠を下ると先ほどまでの雪が嘘のように晴れた空が広る。このままペルシャ語を知らないままではこれから先困るだろうから、お昼に入った食堂の主人に簡単な言葉を教わることにした。
 まずは挨拶から、こんにちは=「サーラム」さようなら=「ホダハフェース」ありがとう=「メルスィー」。肝心の数字は1から10、100、200、1000に1万。そして値段の聞き方、これを現地語で聞くのと英語ではずいぶん反応が違うのだ。あとは料理名などなど。
見ず知らずのぼくに、まだ若い彼は丁寧に教えてくれた。
「日本はいい国だ」
最後にぼくの目を見つめると、微笑みながらそう言った。
「イエク、ド、セ、チャハール、パンジ、シシュ、ハフト、ハシュト、ノフ、ダフ」
自転車をこぎながら呪文のようにペルシャ語の数字を数える。これがぼくの学習法なのだ。

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