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インドで1勝1敗 (インドバングラ)
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日本と違って元旦から町は活発に動いていた。しかしぼくはぐうたらと寝ているだけだった。
 今年の正月は寝正月だ。でもインドでの寝正月なんてきっと一生に一度だろうな。朝は遅く起き、夜は雑談をしながら酒を飲んだ。ベッドに寝転びながら本を読み、たまに屋上に出てはボケーッとした。腹が空いたら外に出て、メインバザールにあるターリー屋(ターリーとは大皿、インドカレーの定食のような物)もしくは、ゴールデンカフェと呼ばれる食堂で安中華を食べる。
 暇になり気が向いたら、デリーの中心街、コンノート・プレイスの地下にあるプラカ・バザールや、庶民の繁華街チャンドニー・チョウクをひやかしに行く。
 観光らしい観光をしたのは1日だけで、その日に主な観光名所を駆け足で周ると、残りの日はただプラプラと宿の近所を歩いているだけだった。
 誰もが、デリーは面白味のない町、長くいてもしょうがないと言って足早に通り過ぎていき、ガイドブックにも「用件を終えたらさっさと去るべし」と書いてあったが、ここはぼくにとって居心地のいい場所だった。
 こんなにのんびりするのは本当に久しぶりだった。明日のことを考える必要もなければ、地図を見ることもない。部屋に帰れば話し相手がいる。好きなだけ寝ることができ、お腹が空いても3分歩けば飯が食える。イランにいたときを考えれば、天国のようである。
 日本から郵送してもらったサイクルコンピューターと地図も手に入れたし、そんな風にだらだらと10日以上も同じ場所にいると、さすがにもう出発しようという気になってきた。体もウズウズし早く前に進みたくなった。

1月10日、早起きをして7時半に出発。早朝の街中は快適で、車やリキシャの渋滞に巻き込まれることなく街を抜ける。道の両端は畑、道路は真っ直ぐと南へと向かう。クワを持ち自転車をこいでいるインド人や、わらを積んだ荷車を引っ張るラクダとすれ違う。
 デリーの南150キロ、ヒンドゥー教聖地の一つマトゥーラ、その東のかの有名なタージ・マハールで知られるアグラにそれぞれ2泊ずつすると、聖なるガンジス河や、ヒンドゥー教最大の聖地として知られるヴァラナシを目指し、東へと進んだ。

 ある日チャイ屋で休みながら、ふと自転車を見るとキャリアに大きな亀裂が入っているではないか。パキスタンのあのものすごいデコボコ道を走ってきたぼくの自転車には、ずいぶんガタがきているようだった。前の車輪につける2つのバッグを固定する、フロントキャリアの左側のネジの根元に亀裂が入ってしまっていたのだ。
 車の修理工だけは到る所にあったので、直るかどうか分からないが、試しに持っていってみた。
「すぐ直るよ」そう言うとその溶接工は2人で溶接を始め、言葉の通りあっという間に直してしまった。
「インディアンマン、ベリークレバー」
 彼は得意になってそう言った。

パキスタンと同じくどこにでも人は住んでいて、どこにでも村があった。テントを張ってもきっと見つかるだろう。またあのようなトラブルがあると嫌だし、インド人の悪評をどこでも聞くので、この国では野宿をしないことに決めた。たった200円ぽっちの宿代をケチって殺されたんじゃかなわない。
 宿がありそうな比較的大きい町では、安宿を探したし、宿もないような小さい村では食堂に泊めてもらうことにした。食堂といっても、泊めてもらうところは村の外れや、村と村の間の道路沿いにあるトラックストップのような場所だった。深夜トラックの運転手が寄るのか、その手の食堂は大抵は24時間営業で夜通し人がいたので、いつ見つかるかもしれないテント泊よりもずっと安全といえた。24時間というと、高速のサ−ビスエリアを連想するかもしれないが、外から見ても、もちろん中から見てもごく普通のインドの安食堂であった。ただ広さだけは、街中の食堂の2倍から3倍はあった。
 食堂の外と中にパキスタンや、ここインドでおなじみの、木の枠でできた、ベッドのスプリング部分だけを縄に変えような物が置いてある。通常はその小ベッドのような物にあぐらを掻いて座り、カレーを食べるのだが、食堂に寝かせてくれと頼むと、大抵の場合快くそれを一つ貸してくれた。夜通し鳴り響く、けたたましいインドミュージックを聴き、汚い天井を眺めながらぼくは眠りに落ちていった。

 アーグラを出て2日、明日には聖地ヴァラナシだ。天気も良く風もなく、今日はとても調子がいい。体は絶好調で農村地帯を二十五キロのスピードを出しながら、鼻歌を歌って飛ばしていた。

 突然のことだった。
 〈ガコーン〉
 音が聞こえるや、ぼくは前へと投げ出され、頭を強打し地面に這いつくばった。
「ううー・・」
 いったい何が起こったのか、ぼくには全くわからなかった。道路の真ん中に寝転がっているぼくを、数人のインド人が近寄ってきて起こしてくれた。違う男がぼくの自転車を引きずってくる。
 ああ、そういう事だったのか…ぼくの自転車を見ると、前輪のキャリアが完全に破壊されていた。 つまり、治ったと思っていたはずの、キャリアの亀裂が実は直ってなく、何かの拍子でそれが真っ二つに割れ、急に壊れたキャリアが前輪に絡まり、急ブレーキ、いや何かに衝突したかのようにぼくを、前方へと吹き飛ばしたのだ。なにが「インド人クレバー」だよ。
 それはどこから見ても修復不能だった。コンクリートに強打した頭がズキズキし、体のあちこちが痛かった。膝も赤く腫れていた。「もうだめだ、ヴァラナシまでトラックに乗せてもらおう」一瞬そんな考えが頭を過ぎたが、すぐに強い自分がそれを否定した。
 ぼくは心配そうに見ていた何人かのインド人に紐はないかと聞き、細い縄をもらうと、その縄で前輪に付いていた2つのバッグを後輪のバッグにくくり付けた。
 そしてすぐに東へと、ペダルを踏みこぎ出した。

 自転車をこぐと更に頭は痛み、肩とひざもズキズキする。
「何で君はそこまで頑張るんだい」もう一人のぼくは涙を流しそうになりながら訴えていた。そこまでがんばって何がある。いったいシンガポールに何が待っているというのだ。

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