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インドで1勝1敗 (インドバングラ)
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薬局で下痢止めと、ミネラルウォーターを買った。食べ物もしばらく控え気味に食べよう。これを機になんとしても下痢を治さなくちゃなあ。
 デリーまで450キロ。地図はどうせ売ってないと思って探しもしなかったけど、デリーに着けば買えるだろうし、なんとかなるだろう。パキスタン砂漠でさえ地図なしで走ったんだから。
アムリトサルの街中の細い道路を曲がると、いきなり50頭ばかりの、牛の大群がのそのそとこっちに向かってきた。道路の端によって牛を避ける。
 大きな通りに出るとサリーをきた女性が何人も歩いている。久しぶりに女性の顔をじっくりと見た気がした。なんせイラン、パキスタンと女性はチャドルで頭を覆っていたし、外に出てくることもあまりなかったからだ。でもそれも、なかなかチラリズム的に好きだったんだけどね。
 ここではスィク教の男性は頭にターバンを巻き、まるでドラクエに出てくる商人のようであった。ここはもうインドなのだ。
 道は格段と良くなって、標識もしっかりと出ていた。けたたましい音とともに、オート3輪の後部を客車にした、オートリキシャと呼ばれる乗り物が何台も通り過ぎていった。
 道路の脇にはたくさんのテントが張ってあり、人がたくさん暮らしているようだった。パキスタンよりも、インドの方が汚くて貧しい気がするのは、気のせいだろうか。
 チャイの味は変わらないが値段は上がり、食べ物は相変わらずカレーだったが、パキスタンの肉カレーとは異なり、「サブジー」と呼ばれる野菜カレーがメインのようだった。野菜カレーは40円ほどで食べれたが、肉カレーは野菜カレーの2、3倍するので食べる気にもならなかった。野菜カレーの値段はインドの方が安く、肉カレーの値段はパキスタンの方が安かった。人によって意見は別れたが、ぼくはパキスタンの多少脂っこいカレーの方が好きだった。
 何もトラブルはなく順調に進み、安宿に2泊し、1泊はガソリンスタンドにテントを張らせてもらった。

 12月29日、アムリトサルから4日、遂にインドの首都ニューデリーに到着した。デリーまで20キロという標識が見え、そこから車が渋滞していた。さすがは人口840万人、インド第3の都市である。デリーの中心、ニューデリー駅へと向かうが、そこまで永遠と町並みが続いており、デリーの大きさを肌で実感する。
 ゴッチャリと汚い街だった。まるでパキスタンの村のように、人、リキシャ、牛、ブタ、バスにトラックが入り交じって走っていた。小さな商店が建ち並び、その前を子供が裸足で走っていた。デリーは、ぼくの想像していた都会、都市とは違って、無数の村の集合体のような場所だった。
 ニューデリー駅のそばのメインバザールに安宿がたまっているというので、ひとまずそこへ行き、ラホールで会った日本人に紹介された安宿へと向かった。メインバザールとは名ばかりで、ただの土産物屋通りだった。通りを歩くとすぐにインド人が寄ってきた。
 「インディアン・ティーはいらないか? この木でできたチェスはどうだ? サリーを買っていかないか?」
 ぼくは首を振り、黙々と自転車を押しながら宿の方へと向かった。すると彼は急に耳元に口を当てると囁くように言った。
「ハシシー、マリファナ」
 ハハハ、なんでさっきまで大声だったのにそこだけ小声なんだ。インド人って面白いなあ。
「ホテル・ナブラング」へと着くと、ちょうどシェアメイトを探していた日本人に出会い、ツインの部屋をシェアすることになった。ツインといっても、汚いベッドが2つ並び、水シャワーとトイレが付いただけのシンプルな部屋だった。値段は1人150円なり。
 部屋まで決まると心からほっとした。第一の区切りであるギリシャのアテネに続いて、第二の中継点デリーに着いたんだなあ。今年中に、今年中にとセクセク頑張ってこいできたからなあ。目的は無事達せられたわけだ。すごいぞタクジ、よくがんばった。ここまで1万2000キロ超、よくこいだよ、本当に自分に感心。これでしばらくは自転車のことも、時間のことも気にせず休めるんだなあ。なんだか夢みたいな話だな。
 部屋を出ると、パキスタンのラホールのYWCAで一緒だった、医学生てっちゃんとばったり会う。そしてこの宿には、同じくラホールで会った、パキスタンに留学2年の知田さん、180カ国も旅をしている松本さんがいるという。どうやら念願かなってにぎやかな大晦日と正月になりそうだった。


「ハッ!」
 気合いを入れると蛇口をひねり、えらく冷たい水を頭からかぶった。
今日は大晦日なので一年の垢を落とさねばならない。そう思い2週間ぶりに体を洗うことにした。12月のデリーはまだ寒く、このバスルームで吐く息も白いというのに、安宿たるゆえんかシャワーからは水しか出てこなかった。3分間で体も髪も洗うと、宿のみんなと市場へ向かう。今日は部屋で鍋をするのだ。
 豚肉、うどん、キャベツ、にんじん、そしてビールを買い込み宿へと戻った。宿の主人に鍋を借り、みんなが持ちよった日本製の醤油やだしの素を入れ、コトコトと鍋を煮込み始める。
 松本さんは南へと行ってしまったので、ここにいるのはてっちゃん、知田さん、そしてルームメイトの祐ちゃん、ぼくの4人だった。でもこんなに大勢でわいわい何かをやるのは本当に久しぶりだった。イスタンブール以来だ。そして3ヶ月ぶりにビールを飲み、くだらない雑談をしながら、97年最後の夜は更けていく。

〈バンバン、ピュー〉
 新しい年がやってきて遠くの方で音がした。
デリーではいまだに爆弾テロなどが起こっていたので、特にこんな日は外に出ては危ないというので、ぼくらは宿からは一歩も出ないことにした。屋上に上がり通りを見下ろすと、人っ子一人いなかった。正面には同じような安宿が見え、西欧人が酒を飲み騒いでいた。〈バンバン〉と聞こえるその音は、花火ではなく銃声のようであった。誰かが浮かれて空砲でも撃っているのかな。
 こうしてぼくの新しい一年は、あっさりとそしてゆっくりと明けていった。

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