トップページ

 

 

 

 

孤独と不安と葛藤と (ヨーロッパ)
08

 01  02  03  04  05  06  07  08  09  10  11  12

 

ピレネーを超えればアフリカだとナポレオンは言ったが、今日はそのピレネー山脈を逆から超えねばならない。ピレネーを越えればフランスだ。
フィゲラスからはずっと登り道だった。途中、日本の高速道路の料金所みたいなところを通り過ぎるが誰も居ない。さらに少し進むと活気がいい村に着く。スペインのペセタも、フランスのフランも使えるらしいので、ここが、スペイン最後の村なのだな。
 その村を過ぎると後は下りだった。恐れていたピレネー越えも、登ってみるとあっけなかった。気が付くと、道路の交通標識がフランスのものに変わっていた。いつのまにか国境を超えていたのだ。 おそらく、さっき通りすぎた料金所らしきところが、昔の入国審査所で、そのあとに通った村は、フランス側の国境の村だったのだ。ちくしょう、またしても感動すらない国境越えだよ。国境すら気づかないなんて、欧州統合は本当に近いんだなぁ。

 たかだか2、3時間で超えてしまったピレネー山脈ではあったが、山を下ると明らか過ぎるスペインとの国土の違いに驚いた。スペインの乾ききった空気とは違い、ここには潤いがあった。川には当然のごとく水が流れ、道端にはえている草木も生命力に溢れていた。景色も土地が平らのなので遠くまで見渡せる。
 ファーストインプレッションでの風景はもうフランスの勝ち。これから走ることが楽しみ、こんな気持ちは初めてだ。
 しかし暑さはまだ変わらなかった。水筒の水はお湯になり、吹く風は熱風だった。たまらなくなって木陰を見つけて一息つくと、そこでは偶然にもぼくと同じく自転車で旅をしている若者四人組が休んでいた。彼らはブルガリア人で、これからスペインに入り、ポルトガル、そして果てはカナダまで行くという。世界にはいろいろな奴がいるんだな。
 彼らと別れてからも、逆方向へと向かう二組の自転車乗りを見る。サイクリストが増えてきているのを感じる。さすが自転車の国だ。

フランスでも走るのは地中海沿岸。モンペリエを通り、大聖堂を見て、カマルグ自然保護地区でフラメンコを眺め、カンヌ経由でニースまで七日間。フランスの一番の問題は物価が高いことだったが、それを差し引いてもぼくはフランスを好きになってきていた。何よりも景色や街並みが格段ときれいだ。
 「ヨーロッパはどこに行っても同じだ。似たような街並に、そっくりな教会、それが飽きてしまう」と日本の友達が言っていたけど、自転車の速度で旅をしているぼくにはそうは思えなかった。

 ガイドブックに載っている街だけに見所があるわけではなかった。走っていると突然、中世の城壁が現れ、その城壁の中には町がありに今も人が暮らしている場面に出くわす。また、通りかかった川の上で、何かの祭りなのか、二隻の手漕ぎ船に長い剣を持った若者が、お互いを水につき落とすべく戦っている。公園ではペタンクという鉄のボウルを放るスポーツの大会をやっていたりと、フランスは、いや今まで通ってきたヨーロッパのすべては毎日違った顔を見せてくれた。けして退屈することはかった。そしてそれを見るたびに、これは自転車で旅をしているからこそ得られる、ぼくだけに与えられた特権なのだと、優越感に浸ることができた。
 アップダウンの厳しい道では、数え切れないほどのサイクリストとすれ違い、また追い抜かれた。彼らはぼくの乗っているマウンテンバイクとは異なる、タイヤが細いドロップハンドルのロードレーサーに乗っていた。ここはツール・ド・フランスの国なのだよ。

 フランスの物価はスペインの一・五倍と言っても過言ではなかった。スペインでも節約した生活を送っていたぼくは、このフランスでさらにケチっていかねばならなかった。
 日本から持ってきたお金は約50万円。全部ドル建てのトラベラーズチェックに変えてきて、行く先々の国でそれを現地通貨と両替した。有り金が50万円とは、9ヶ月という期間を考えると決して充分と言える額ではない。むしろとても少ないんじゃなかろうか。ヨーロッパの3ヶ月を1日2500円、そしてアジアを1日1000円で生きていけば足りるという計算だったが、ここフランスでの1日2500円という予算は非常に辛いものだった。
 たとえば、ユースホステルに泊まるとそれだけで1500円、自転車で走っていれば喉も乾くのでジュースを2、3本飲む。するとその日の予算の残りはたったの700円ということになってしまう。それではハムすらもなかなか買えないので、フランスパンにチーズを塗って食べることが多かった。野宿が一番安くすむので、野宿をしてお金を節約しては、その節約した分を都市の観光にまわした。  
 こうして、フランスパンは死ぬほど食べたけど、フランス料理はただの一度も食べれずに終わってしまった。フランスに来ながらフランス料理を食べなかったなんて馬鹿な話かもしれないが「人間すべてを選ぶことはできないのだ」と悔しいので自分にそう言い聞かせることにした。

 フランスの有名避暑地であるニースに2泊することにする。旅人の間でニースの評判はすこぶる悪かったが、実際に来てみると名前の通りナイスな街だった。そう、ニースを英語読みするとナイスと読むのだ。たった1日の休暇だけど、ビーチで本を読みながらゆっくりと休むことにした。このビーチにはトップレスのかわいい子がいた。さすがフランス、もうフランス最高拍手拍手。
 ニースを出るとエズという小さな村がある。そして小高い丘の上には昔のお城が今も残っている。城というよりは要塞に近いかもしれない。まあ要は観光地なのだけれど、そのこぢんまりとしたたたずまいがぼくはとても気に入ってしまった。小さなレンガの小道を歩き、外で余韻に浸りながらボケーっとしていると、大型バスに乗った日本人の集団が降りてきた。
彼らは、主に「典型的日本風おばちゃん」で構成される絵画を目的とした(らしい)集団だったが、ぼくを手早く見つけると珍しがって寄ってきた。旅のことを聞かれ、手短に話すと一緒に写真を取りたいと言われた。そしてぼくは急遽モデルとなり、私も私もと叫ぶおばちゃんと肩を並べて写真を撮ることになってしまった。
 最後の人が、「コーヒーでも飲んで」と20フラン(約1000円)を手渡し去っていった。1000円のコーヒーなんてどこで飲むんだよー、ぼくはそんなに貧乏に見えたのかな。実際そうなのだけど。だけど、日本人は何故なんでもかんでも「お金」なのだろうか。いかんいかん、そんなことではいかんぞ日本人。なんて堅いことを言いつつも内心は「ラッキー、もうけもうけ」と思ってしまう情けない自分であった

 

Next >>

 

▲top


All text and images © 2007 tabibum . All rights reserved