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孤独と不安と葛藤と (ヨーロッパ)
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バルセロナまではできる限り海沿いの道を進んだ。ぼくは地中海の風を受けながら進み続けた。ジブラルタル、エステポナ、フェンヒローラ、マラガ、アドラ、アルメリア、ムルシア、アリカンテ、バレンシア、ペニスコラ、タラゴナ、大都市から名もない村まで幾多もの町を通り過ぎバルセロナへと。
暑かった、ひたすら暑かった。ここは熱帯の国、太陽の国であった。アスファルトは熱を発し、吹く風も熱風である。ペットボトルの水はお湯になり暑くて飲めたもんじゃない。ガソリンスタンドを見つけると、一時間おきに冷えたジュースを飲む。自分にご褒美をあげないとやってられないぜ、まったく。
 道路脇にはサボテンが生えていた。実を採って皮を剥いてカプッと囓りつく。ホントにここはヨーロッパなのかなあ。

 この太陽の国スペインは夏時間のせいもあってか日が落ちるのが非常に遅く、あたりが完全な暗闇に包まれるのは、10時以降だった。1日に進む距離は100キロを一つの目安としていたが、日が長いのでゆっくり行けばいいやと、のんびり休んでいるといつのまにか時間が過ぎていて、暗くなるまであせって走っている日も度々あった。
 泊まるところはお金がないので基本的にテントである。キャンプ場も多数存在したので、シャワーや洗濯がしたくなったらキャンプ場に泊まることもあったが、そのキャンプ場代すら節約して野宿をすることも多かった。
 その場合、まずは暗くなり始めてから、人がいなそうな場所をさがす。もちろん街のはずれであり、道路からも見えないところが良い。どこに悪人が潜んでいるかわからないし、キャンプ場意外でのキャンプ禁止のヨーロッパでは、警察にも見つからないようにしなければならない。そんな場所がすぐに見つかる日もあれば、暗くなってオロオロしながら探しているときもあった。もちろん当たりがあればはずれもあり、いろんなところで野宿した。
 海が見える灯台の下、波打ち際の浜辺、道路から外れた畑の中、屋根しかない作りかけの家の中。テントを張ることさえ面倒くさくなったときは、自転車に荷物をつけっぱなしにしたまま、その横にマットを引いて寝転がった。閉鎖された道路のアスファルトの上に寝転がり、満天の星を眺めながら眠った心地よい眠りもあれば、川が枯れた橋の下で車の音を聞きながら寝なければならないときもあった。
 橋の下というのは、川が枯れているスペインならではの寝床だった。車の音と耳障りな蚊の音を除けば、雨の心配のない快適な寝床といえた。ぼくはこのちょいと浮浪者チックな橋の下に寝るというのを結構気に入っていたけど、それでも予想外にひどい思いをした日もあった。
 その日は例のごとくマット一枚で寝ていた。夜中ふと目を覚ますとなんともいえない臭さが漂っている。いくら頭の位置を変えようと臭いは一向に消え去らなかった。朝起きてみて、なぞは判明するのだが、そこは山羊の通り道らしく、当たり一面に小さな丸い糞がひしめいているのであった。ぼくは、糞の上に寝ていたのだ。

 どうしょうもなく人が恋しくなったときは、話がしたくなってユースホステルを見つけてそこに泊まった。しかし観光名所以外のホステルでは、旅人を全くと言っていいほど見かけることが無く、その代わりに現地の家族連れの旅行者がいて余計に孤独になるのだった。そんなときはバーでビールを飲んですぐに眠ってしまうことにした。

冷えたビールもうまかったが、それは町に滞在したときだけの特権だった。野宿の時に飲むのはなんと言ってもワインである。スペインはワインが安かった。ぼくはよく紙パックに入った安物ワインを買った。それがどのくらい安いかというと、なんと1リットルで100円くらいである。
 日が暮れ、場所を決め、テントを張り、そして料理に取り掛かる。飽きもせず毎日トマトベースのパスタを作る。具はそのときの気分次第で肉や野菜をぶち込んで煮込むだけだったが、お腹が空いていることもあってか、いつも自分は天才料理家じゃないかと錯覚するくらいうまいのだ。帰ってからレストランでもひらこっかなあ。そしてその安物ワインを開け、孤独を紛らせ気持ち良くなってから眠るのだ。
 ウイーっとグテグテに酔った次の日は、目覚ましもかけずに11時や12時まで寝て、太陽の熱でテントの中が熱くなってから起き出して出発する。そしてふらふらと気ままに走る、疲れたら昼寝をする。そして起きたら2時間もたっていたりして、慌てて焦って出発する。
昼飯はスーパーを見つけては、生ハムやソーセージを買いサンドウィッチを作った。

 ある日珍しく、というか初めて昼間から食堂に入ったことがあった。そこはブドウ畑が広がる峠にある食堂で、その前には多くのトラックが止まっていたので無性に入ってみたくなったのだ。
 なるほど中にはいると大勢のお客で溢れている、それも全て庶民っぽい人々でだ。カウンターの向こう側には初老の男性が座っていて、客席の近くにはその娘と思われる若くて気さくな女性がせくせくと働き回っていた。
「メヌー、ポルファボール、メニューを下さい」
 出てきたメニューは手書きで書かれたシンプルな物だった。どうやら昼は定食形式で、サラダ、メイン二皿、デザート、飲み物が付くらしい。辞書を引いて単語を調べる。なになに子羊、牛肉、パスタ…フムフム。結局子羊の煮込みと、パスタらしき物を頼んだ。
 サラダと一緒に出てきたのはなんとボトル一本のワインであった。真っ昼間からこんなに?隣を見ると、ガタイのいい男が勢いよくワインを飲んでいる。彼はきっとトラックドライバーだろう、いいんだろうか。しかし飲んでみると周りがブドウ畑のせいかうまいうまい。サラサラっとしてみょーに口通りがいいのだ。続いて出てきた子羊の肉もとろけるようにうまい、パスタもうまい、そして最後はアイスクリームときたもんだ。んースペイン料理ってんまいんだなあ。気になる値段はチップ込みで七百円。これなら毎日でも食えば良かった。
 飲み過ぎてふらふらしながらも感激し、気分良く坂を下った。ういーきもちいい〜酔っぱらい運転だあ。

 バルセロナへと続く道は、コスタ・デル・ソル(太陽海岸)、コスタ・ブランカ(白い海岸)と、有名なコーストラインを通りぬける。海沿いを行けば道は平坦と思ったのは安易な考えで、静岡の伊豆の海岸線が起伏に富んでいるのと同様、スペインの海岸線も山脈が断崖となって海に落ち込んでいるところばかりで、上っては下ることの繰り返しである。
 熱くなり、気が向いたときは近くの海に入る。なんせ地中海沿いに進んでいるのだ。毎日、望めば海に浸かることができる。ぼくも地元の方式に従うことにし熱くなっては海に入り体を冷やし、冷えたらまた体を温めるということを繰り返した。そしてその後は荷物をたくさんつけたバックに、水着とビーチサンダルというオシャレとはほど遠い格好で自転車をこぐ。街を離れた海岸沿いの崖の下には、いつも息を呑むほどの美しいビーチが存在していたけど、重い自転車をもって降りる気にはなれなかった。ぼくが入る海は、観光地の、太陽海岸などと立派な名前がついているにかかわらず美しいとは言い難い海で、そして悲しいことに、人だけはたくさんいるのに、期待していたトップレスの美女なんて一人もいないのだった。
 美女は崖下のきれいなプライベートビーチにいるかもしれなかった。崖の上から見る海は本当に美しかった。それは何時も期待を裏切らず、美しい色を放っていて、それを見るたびに、登りの苦労など忘れさせてくれるのだった。
 以前本でヨーロッパには瑪瑙色の海があるというのを読んだことを覚えているが、こんな海を瑪瑙色というのだろうな。その上から見て美しすぎる海に入りに行かなかったのは、ただ単に坂を降りてまた登るのが面倒くさいというだけではない。心に余裕がなかったのだ。
 ぼくは先を急いでいた。人と話すことを執拗に欲していた。毎日言葉を発する事といえば、スーパーで肉をグラム買いするときと、人に道を聞くときくらいである。孤独感もあったが、とにかく誰かと会話をしたかった。バルセロナに行きさえすれば絶対に誰かと話せる。そう思いながら、ぼくはひたすらバルセロナを目指したのだった。

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