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01.トランスサハラ
02.セネガンビア
03.伝説のトゥンブクトゥへ
04.ドゴン・トレッキング
05.ビューティフル・ウエストアフリカ
06.Party Every where!?
07.西アフリカのオアシス国家
08.BENIN びっくり3連発!
09.サハラの古の交易地
10.ハア〜な一日
11.極悪度アフリカ1?ナイジェリアへ

 
 
 
 

2. West Africa
mail_07 / 14th,NOV,2002 @ Accra : GHANA
西アフリカのオアシス国家

 

ブルキナファソ、陽気でいい国だった。
小さい村で、ある日アフリカ人に、今日は祭りをやっているから今から行こうと誘われた、確かに遠くからは「トントコントン」とジャンベの音。でも時計を見るともう夜の12時半だった。
近いの?と聞くと「近いさ!歩いてたったの30分だよ」だって・・・いい国だった。

ブルキナファソから一路南下。
ガーナへと入る。第二の都市、アシャンテ王国の中心地、クマシヘと南下を続けると、車窓の風景はみるみる変わっていった。
サバンナは終わり、木がモリモリと元気になりだして、その中にスコーンスココーンと20、30mはある高い木が生えている。その風景がなんともいえなくいいのである。
空は大きな雲に支配され、毎日毎日スコールスコール。
熱帯雨林へようこそ!

ガーナは黄金海岸の国、海岸沿いにはヨーロッパの国々が建てた城や城塞がたくさん残っている。その中でもっとも状態がよいといわれるケープコースト城とエルミナ城を訪れた。
エルミナ城はポルトガル人によって1482年に建てられた。
その後オランダ、イギリスと持ち主は変わったが、おそらくは金よりもさらに多くの奴隷たちが、俗に「New World」と呼ばれる世界へと(北・南アメリカ)次々に運び出されていった。
ここは今では負の歴史の記念館。
多いときには奴隷1500人が1ヶ月から3ヶ月もの間、収容されていたという部屋は、狭くかび臭く、圧迫感と異臭を放っていた。この場所で黒人が次々に死んでいったという。

今日、この地を訪れるアメリカの黒人が多いという。あまりにも多くの黒人がこのガーナから運び出されたので、この地を自分のルーツと信じて尋ねてくるのだ。自分のルーツが奴隷だったって知ったとき、彼は最初に何を思うのだろうか。
でも彼らアメリカの黒人も、この地の黒人も、そんなの吹き飛ばしてしまうほど底抜けに明るく陽気だった。

  

はガーナの首都アクラというところにいる。セネガル・ダカール以来の真の都会である。町は物であふれていて非常にうれしい。どこへいってもヒトヒト人、ちょっとバングラデシュを彷彿したね。
ここガーナはまるでオアシスのような国であった。
西アフリカはフランス支配の影響を受け、公用語はほとんどフランス語。これがまったくわからない。そしてCFA(セーファーフラン)という画期的なユーロもびっくりの共通通貨が使われている。全てはこの通貨のせいで物価が異常に高い。常々旅人はクオリティーはプーアなのになんでこんなに物価が高いんだと嘆き、僕は時に怒る!

そしてここガーナ。
旅人としてはうれしいことに、通貨暴落中。ここの最高紙幣は5000セディ。これが日本円にするとたったの75円。100ドル両替したらお札が160枚にもなったので、仕方ないからポリ袋に入れてかばんに無造作に突っ込んだ。
そしてここは英語圏。言葉が通じるって素敵なことだ!
物価は安い、治安はいい、人は陽気でフレンドリー。食べ物もうまい!見所もある、とほんといい国だった。
しかし、明日この国を出てトーゴへと向かう。またしばらくは セーファー圏である・・・・・・・・
しょぼーん 

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