トップページ

 

 
 

01.Warm heart of Africa
02.天空の孤島、ムランジェ山
03.貰ったお札は1700枚
04.環境問題
05.沈没天国、ハラレ
06.無人のトレッカーパラダイス
07.ブラックアフリカ一、壮大な遺跡?
08.ビクトリアフォールズ
09.カラハリ砂漠の宝石、オカバンゴ
10.天空の王国
11.アフリカ民族最終回、ヒンバ族
12.アフリカ病−第二ラウンド
13.Cape of Good Hope

 
 
 
 

5. South Africa
mail_11 / 1st,AUG,2003 @ Windhoek : NAMIBIA
アフリカ民族最終回、ヒンバ族

 

なにも見所もなくおもしろくもない首都に4日間もいた。病気のせいだ。ケープタウンでかかった病気が治らず、ウィントフックでさらに静養。ちょっと調子が良くなったので、やっとレンタカーを借りて、この町とお別れをした。

僕らはまず、大西洋まで車をぶっ放し、ナミブ沙漠の広がるスワコプムンドまでやってきた。町の数百メートル南にはきれいなきれいな砂丘が広がっていた。
砂漠ハンターの僕は早速その砂丘へと足を運ぶ、きれいなオレンジ色の砂丘。ここの砂丘、横幅はあまりなく、縦にも30キロほどしかない。しかし、その高さ、美しさ、共にたいしたもんである。
翌日も、僕らは砂漠で過ごした。とは言ってもここの砂漠は永遠に広がるわけではないから、砂漠の麓まで車で行って、後は歩いて上まで登り、砂と戯れるのみなのだ。だけどこれがたまらなく楽しい。
結局遊ぶだけじゃ飽き足らず、僕らはDune7と呼ばれる砂丘の目の前で、違法に野宿をした。
夜、狐がテントにやってきた。

  

その昔、霧のせいで多くの船が難破し、今では骸骨海岸と呼ばれる海岸線を通り、6000年前のブッシュマンの壁画が有名なトウェフルフォンテインへ。そして今回の最終目的地、オプウォへと到着したのはウィントフックを出た5日後。

この村に来た目的はただ一つ、ヒンバ族に会うためだった。写真で見る限り、このヒンバ族というのは、女は上半身裸で生活し、肌をきれいに保つために油を体に塗り、そのため全体がオレンジ色に見えるのだ。そのヒンバ族が今でもここオプウォの周辺にいるという。
オプウォに入ると、まず目に入るのはヘレロ族。このヘレロの女性は特徴的な格好をしており、特に頭に纏った布から横幅30センチくらいの飾りが突き出ているのが特徴的。この民族はナミビア全土で見ることができるし、隣国のボツワナでも見られた。
そして、ついにヒンバ族はっけーん!
なんてことはなく、普通にオプウォの町を歩いているではないか。普通の人に混じって、上半身裸で革の衣服を纏ってアクセサリーをジャラジャラさせている人が歩いているのだ。
これは観光客に写真を撮らせるために、わざわざ近隣の村から出張してきているのだろうと僕は思った。しかし、宿のオーナーに聞いてみると、彼らはいたって普通に、病院やスーパーにきているだけだという。うーむ、びっくりだ。
村の野外市場に行ってみると、なるほど、普通に雑談して酒を飲んでるだけなのである、胸をポローンと出して。そしてスーパーのレジにも普通に並んでいた、胸をポロリーンと出して。
ムムム、なんかこの町はすごいとこだぞ!

翌日、ヒンバ人のガイドを連れて、ここオプウォから20kmほど離れた彼らの村を訪れた。村にはとうもろこしのメイズミール10kg、煙草、砂糖、パンなどを買っていく。このお土産を持っていく代わりに、村の中を見せてくれるという仕組みだ。
今日は誰かのお葬式をやっているみたいで(とはいってもただ近隣から人が訪れて雑談するだけ)、ヘレロの人やヒンバ族以外の民族も見られた。ヒンバ族は元はといえば上述のヘレロ族から派生した民族で、今でもこの二つは仲がいいみたいだ。
しかし、ヘレロ族はナミビア中で見られるというのに、ヒンバはこの北西部にしかいない。
ヒンバの人々は、赤い石を砕いて、それを牛のバターと混ぜて体に塗りたくる。そのためオレンジ色の肌を持っているかのように見え、また、歳をとっても艶々としたきれいな肌を保っていられるのだという。この物質を彼らは肌はもちろんのこと、着ている服や髪の毛、アクセサリーなど、どこにでも塗りたくってしまう。男性と女性では塗る色が違く、女性が毎晩男性の肌にこれを塗るしきたりになっているという。もちろん女性自身も毎日この物質を肌に塗るわけだ。
そして体を洗うのは月に1、2回だけらしい。しかも石鹸でしつこく擦らない限りこれは落ちないんだと。でも落とす必要なんてないんだろうね。

       

村には必ず聖なる炎があり、何かあると(子供が生まれたり、人が死んだり)そこに火を灯す。火自体を崇めているのではない、そこにはその人の4人の父がいると信じられており、彼らを通して神と会話をするという。

それにしても、こんなに現代が迫っているのに、村でこのような生活をしているのには驚いた。彼らはおもに、ヤギや牛を追って生計を立てている。育てた牛を売ったり、または物々交換をしたりして野菜や主食、生活物資を得るのだという。うーん、すごい。
このオプウォという町で、いろんな民族や、新と旧が仲良く共存してやっていけているのが非常に印象的だった。日本の町でちょんまげした人が歩いてたらみんな見ちゃうもんなあ。

このヒンバの村、たまらなく暑かった。今は冬なのに、夏はどーなってしまうんだろうか。今回レンタカーを借りてわかったことだが、このナミビアという国、なーんにもない。大部分が砂漠であった。こんな水が少ない大地で生活していくのはさぞかし大変だと思う。
暑いと感じたのは別の理由もあった。帰ると熱が39℃、一昨日から熱があり、昨日も38℃あったので急遽翌日、800kmぶっ放して首都まで帰ることにした。アフリカ病にやられ続けている最近。はたして大丈夫なのか?

Next >>

 

▲top


All text and images © 2007 tabibum . All rights reserved